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北原白秋の詩による 多田武彦 男声合唱作品集


「雪と花火」「東京景物詩」「三崎のうた」
               〜情趣に潜む官能と耽美の物語〜

「なにわコラリアーズと多田武彦作品」
93年に創設した「なにわコラリアーズ」では古今東西の珍しい男声合唱作品や、 日本の男声合唱団ではあまり取り組まれていなかった北欧等の現代作品にチャ レンジする一方で、これまでの演奏会の中で何度か多田作品を取り上げていま す。多田作品の魅力は、何よりもまず詩人や詩の選び方、「これしかない」と いう「詩の選択眼」とも言うべきものではないでしょうか。まるで、あたかも 詩の中に内在していたとしか思えないようなメロディーが紡ぎ出され、その澱 みのない流れの中にハーモニーが寄り添っているようにも思えます。中でも私が 意識して取り上げてきた一連の白秋のテキストに作曲された作品には、言葉や 詩の源に存在する官能性や背徳感、逃避的傾向、浪漫的傾向がフォルムを崩さ ない音楽様式の中に見事に表現されており、多田芸術の真骨頂とさえ思えるの です。

「北原白秋について」
明治37年(19歳)東京へと上京した北原白秋は、その後、処女詩集『邪宗門』 に続いて『思ひ出』『東京景物詩』等の作品を残しています。特に後者では 郷土や幼少時代への愛惜と交差するようにして、新しくエキゾチックに彩られ ながら生まれ変わる都会の風景の中に官能的で耽美的でもある抒情を感じ取って いるようです。… 「あらせいとう」「カステラ」「サモワール」等、選択さ れた言葉からは本来の意味の現出ではなく、人生の中の最も大切な感情を押し 込めたような愛おしさが覗きます。優雅でダンディな感覚は決して表層のオブ ジェに留まらず、通奏低音のように鳴り響く人妻への秘めたる恋の悩みやその 背徳感、人生全体を覆う悲しみと傷みに結びつくような深みを感じさせます。 白秋はこの詩集の後、知られた通りの姦通罪で拘置され、世間の非難と罪の 意識を背負って錯乱状態のまま木更津に渡ることになり、やがて大正2年に は俊子と正式に結婚、三崎へ移住します。つまりこの時代は白秋の人生に暗 雲が垂れ込めていた時期でもありますが、挫折感の中から滲み出る耽美的な 情感に満ち、それが次第に安らぎや新生の切望に変化していくようにも思います。
…収められた3曲は、作曲時期こそ異なりますが、北原白秋の美しくも官能的 な言葉に寄り添うだけでなく、見事な物語性を漂わせた多田芸術の結晶とも言 える名曲群です。私自身の気持ちの熟成を待ちながら10年の歳月に跨って演 奏させてもらいました。いつか1枚のCDに纏めて聴いていただきたいという 願いが叶い、大変嬉しく思っています。

〜東京景物詩〜

「あらせいとう」
あらせいとうのたねを取る子どものしぐさを見つめながら流す涙の向こうに赤い夕日。

「カステラ」
カステラの甘さとしぶさ。ほろほろとこぼれる様子から連想する幼年期への愛惜と涙 との対比。恋することの切なさ、苦さ。

「八月のあひびき」
ふと仰ぎ見る八月の空虚な瞬間。不幸な人妻に同情し、やがて恋をしてしまった白秋 はその思いを振り切ることが出来ず、スロープを滑り落ちるように背徳的な人生の深 みにはまってゆく。恋愛の「光と影」とその混迷に、生きること自体に根ざした傷が 疼く。

「初秋の夜」
嵐が去った夜。稲妻がまだ幽かに聞こえ、十六夜の月、虫の音、孤独感。

「冬の夜の物語」
表面的には何も起こらないのに内側では秘めたる恋情の炎が官能的なまでになまめかし く燃え上がる…。男に寄り添う女、ゆっくりとうなづく女。湯気をあげるサモワール。 そして、女の愛に応える男。窓の外は音もなく降り積もる雪、やがて雨。…ゆっくりと した時間の推移の中に濃密な吐息を漂わせた(まるで映画のような)視線の切り返しと、 俯瞰し見守るようなやさしい眼差し。悲しくも美しい物語にやがて時間と世界がゆっく りと寄り添う。

「夜ふる雪」
降りしきる雪と揺れ動く白秋の心。雪降る夜の闇の中に辛くも一人遠ざかってゆく。

〜雪と花火〜

「片恋」
アカシアがたそがれの夕日に照らされて金色と赤色に散る。やわらかな君の吐息。

「彼岸花」
彼岸花は女性。人妻との恋愛に耽溺していく白秋の心象。

「芥子」
芥子の葉は世間の例え。世間との断絶感や自身の孤独感を歌う。

「花火」
隅田川、両国橋に掛かる花火と頬に流れる涙。遠ざかり消えていく両者の距離感。 銀と緑に散る孔雀玉、恋愛の体温を感じさせる涙、・・・花火は男女の情愛の極みで あるとともに、手を伸ばしても手に入れられない遠い日の象徴のよう。

〜三崎のうた〜

「丘の三角畑」
単調なリズム(鍬を打つ)の繰り返しによる高揚感。光の反射。目線がそれた瞬間の静寂。

「白南風黒南風」
帰り来ぬ男性を待ち続ける港の女の切ない感情をテナーソロが歌う。

「海雀」
遥か彼方の海の面に点々と浮かぶ海雀。波間に見え隠れする小さな銀の光の命のは かなさと、永遠の波を繰り返す海の巨大さ。
 
「雨中小景」
浮世絵風の情趣。心象風景とも言うべき降り込める絹漉しの雨には、身悶えするような抑え難い憂愁が漂うよう。

「鮪組」
かつて日本一の鮪港であったこともある三崎。粋で荒々しい男たちが歌い上げる。

・・・白秋の詩歌は綺麗ごとや絵空ごとではなく、生きていくことの苦悩や哀歓に溢れ、 血や涙のような強い叙情が滲んでいるように思います。

2009年1月発売
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