Keishi Ito Homepage 〜目をひらく 耳をすます つぶやく〜 

演奏の場面で・・・【一般】客演等

2009年7月〜東海メールクワイアー第52回演奏会

東海メールへ寄せる

男声合唱を始めた大学時代、興味を持って自ら買った最初のレコードには 「東海メールクワィアー」の名前がクレジットされていた。大学合唱団で は出せないようなうっとりするような甘いサウンドと洗練された表現に驚 かされ、以後私が男声合唱の奥深い道を歩み出すきっかけにもなったのだ と思う。都築さんから「東海メールで指揮を」というお話をいただいた時 にすぐに思い出したのはあのレコードのことで、20年以上の歳月を越え て自分がその憧れの団体の指揮をしていることがまるで夢のようでもある。

それにしても、男声合唱の痺れるような熱さというものは、どこから来 るのだろうか?
同じ合唱でも、女声合唱、混声合唱などには例えようがない。東海メール の練習や昨年のJamcaのステージを通していつも感じるのは、「ロマンと美 意識」である。人生の何か(=自分の生き様のようなもの)を投入して、 「何故歌い続けなければならないのだろうか」という疑問に歌声そのもの で対峙する姿勢・・・。生きることの意味と同じところに根差した「歌そのも のの存在感」を思い知らされるのだ。男声合唱とは、黙して多くを語らず、 ひたすらに人生を燃焼させながら「仲間」と歌い続ける合唱のことなので ある。

さて、私のステージは私に合唱魂を注入してもらった師匠(故)福永陽一 郎のアレンジを当てていただいた。当時、男声合唱団のレパートリー開拓 と啓発のために片っ端から歌曲や混声合唱の名曲を男声合唱にアレンジさ れていた福永先生であるが、「光る砂漠」は、特に注力された作品だと聞 く。当時としては珍しいフランス音楽ふうの煌くサウンドを、力強さと繊 細さを兼ね備えた男声合唱の世界で紹介したかったのであろう。もう一つ は、私からお願いした「日本の笛」である。もともと私は白秋の浪漫主義 やエキゾチシズムに強く惹かれていたのだが、この曲は粋で洒脱で、艶っ ぽくて可憐で、一度取り上げたかった大好きな作品であり、(これはきっと 合唱では男声でしか歌えない!)念願のステージともなる。

チラシを見ると「山桜(光る砂漠)」に「びいでびいで(日本の笛)」・・・、 そうそう男声合唱とは「仲間」だけでなく「花」のためにも歌うことが出来 るかっこいい合唱のことなのだった。「東海メール」はそのように教えてく れている。

2010年1月〜Diligo Musica&Ensemble Mikanierジョイントコンサート

ご挨拶

本日、アンサンブルミカニエ、ディリゴムジカという二つの若い合唱団 のジョイントコンサートの開催されます。
個性的な指揮者を擁するこの2団体の頑張りにはついては、合唱団の立 ち上げ前夜から関心を持ち、音楽監督的な立場から応援もしてまいりま したが、それぞれの地に若い歌声を結集させることに意欲を持ち、新し い歌声、新しい文化創造の種を撒こうとされている逞しい姿に感銘を受 けています。実際問題として、合唱団を維持発展させていくことは多大 なエネルギーを費やすものです。音楽的な要素だけではなく、メンバー 集めの問題や運営マネジメントの問題、それぞれが生活を維持しながら 音楽と付き合っていく時間を割いていくことの根本的な問題、…特に現 在は活動の試行錯誤時期でもあり、メンバーの皆さんも様々な陰の努力 をされていることでしょう。しかしながら、どんな輝かしい団体も、ど んな素晴らしい音楽も、そういった小さな努力の積み重ねが根底を支え てきているのだと思います。是非とも、地道な努力を継続し、それぞれ の地に芽が出て豊かな音楽の樹を茂らせてください。私も応援しながら ゆっくり見守っていきたいと思います。

さて、この似通った性格を持った2団体が仲良くなり、海を越えて!ジ ョイントコンサートにこぎつけたことを大変嬉しく思っております。指 揮をさせていただく合同曲には、今を時めく大人気作曲家である信長貴 富さんの最新曲を選んでみました。
2010年という新しい年の幕開けに、新しく生まれた曲を若々しい歌 声で響かせてみたいと思います。ここから生まれた出会いがさらなる連 鎖によって新しい音楽文化の創造に繋がって行きますように。今日の日 が豊かな日々の幕開きとなりますように。

2010年2月〜合唱団うぃろう 第1回演奏会

合唱団うぃろう第1回演奏会によせて

関西を中心に活動している私が名古屋の地に大きな縁(ゆかり)を持っ たのはもう3、4年前になるでしょうか。名古屋大学コールグランツ ェの30周年記念の委嘱曲を指揮させてもらったことが切っ掛けだった と思います。その後、矢継ぎ早に東海メールクワイヤーや愛知県合唱祭、 愛知県の講習会なんかでもお世話になり、特に若いメンバーと仲良くさ せていただきました。皆人なつっこく、素直で、前向きで、合唱に対す る熱い姿勢を持っており、私自身も構えず自然体で付き合わせてもらい ました。

そんな彼ら(彼女ら)が、大学を卒業しても歌える場が欲しい、大学合 唱団の枠を超えていろんな人と一緒に音楽に取り組みたい、と作ったの がこの「合唱団うぃろう」です。当然の成り行きで私もこの新しい合唱 団の立ち上げに参画することになりました。うぃろうメンバーは、味も 様々、個性も様々です。その後、ジェネレーションや出身の異なるメン バーも増え、望んだ通り一般合唱団としての必要な要素も整ってきまし た。昨年の合唱祭での微笑ましいデビュー、京都の「アルティ声楽アン サンブルフェスティバル」での熱唱を経て、本日、第一回演奏会にこぎ つけられたことを嬉しく思います。潜在的な合唱力を持っているこの名 古屋の地から、若々しい歌声で日本の合唱界に向けて新しい風を吹き込 む役割を担ってくれればと思っています。

さて、今日の演奏会は嬉し恥ずかしい第一回目の演奏会。バレンタイン デーということで、少し張り切り過ぎたかもしれません。「愛」を隠し テーマに…、新しい合唱団が取り組むには少々プログラムが欲張りな プログラムですが、それもまたご愛嬌。合唱に対しては常にチャレンジ 精神と大らかに楽しみ味わっていける団体でありたいと思います。

作曲家の松波先生からは、新しい合唱団の立ち上げを祝福していただけ るかのように曲をプレゼントしてもらいました。ステージで紹介したい と思います。どうぞお楽しみに。

2011年3月〜佐賀女子高等学校合唱部&女声合唱団ソレイユ合同演奏会

演奏会に寄せて

「佐賀女子高校合唱部」&「女声合唱団ソレイユ」の初めての ジョイントコンサートでご一緒することが出来、大変嬉しく思 っています。
数年前に「佐賀女子」の透明でひたむきなサウンドと「ソレイユ」 の太陽のような歌声に出会った衝撃は大きかったです。その後、 いろんな折を通して、樋口先生の本当に素敵なお人柄と愛情に溢 れた指導に触れ、メンバーの皆さんの向日葵のような笑顔に触れ、 両団とも私の大好きな合唱団となりました。皆さん、素直で、前 向きで、合唱に対する熱い姿勢を持っておられ、笑顔いっぱいの 活動をされており、私自身も構えず自然体で付き合わせてもらう ことが出来ました。
「音楽」とは、生命を与えられていることのありがたみを実感さ せられる力、喜び、励まし、・・・「仲間」とは、かけがえのない宝、 生きている目的を支えるもの、伝えたいという意志を生み出す力、 ・・・私たちの「未熟さ、稚拙さ、無謀さ」は、いつかはこうなりた い、という夢を育む力、想像力を支える気持ち・・・。
いつもそう思っています。
そして「合唱」は一人では出来ません。合唱は様々な意味で「出 会い」の場であり、仲間や先輩後輩、指揮者や伴奏者とともに、 詩や音楽やそこにある世界観や価値観、人生観などと関わってい くことがその醍醐味ではないかと思うのです。
両団との出会いが私の人生においても、新しい世界の扉を大きく 開いてくれたようにも思いました。新しい仲間と音楽を分かち合 うことの出来る喜びや感謝の気持ちと、三月の季節に相応しい爽 やかで晴れやかな気持ちを持ってステージにのぞみたいと思います。

本日もさすがに世界中のたくさんの曲がレパートリーにありますね。 邦人曲としては新進気鋭の作曲家「松本望(フランスへ留学中)」 さんの新曲を取り上げてみました。いずれもフレッシュで熱い演奏 が出来ればと思っています。

2011年10月〜男声合唱団Archer第5回演奏会

雪明りの路 〜吉村先生、京都産業大学グリークラブ、アルシェ〜

私が高校2年生の時、京都会館で初めて聞いた「第九」で男声パート を歌っていたのが京都産業大学グリークラブでした。緑のブレザーが 目に眩しく、男声合唱を格好良く思ったものです。その印象が強烈で、 大学に入ってから迷わず「男声合唱団」に入った私ですが、当時の京 都産業大学グリークラブの演奏は惚れ惚れするように柔らかで爽やか で美しいものでした。それから25年以上経つのでしょうか、まさか 私がそのOB団体「アルシェ」の演奏会で客演指揮をしようとは夢に も思いませんでした。卒業後、私が合唱界で活動するようになってか ら声を掛けて貰い、様々なチャンスを与えていただいた吉村先生の引 き合わせによるものだと思っています。あの頃のメンバー始め、先輩 方、それから若い世代を含めて男声合唱の名曲を指揮させていただく ことを大変嬉しく思います。「雪明りの路」終曲は、猛吹雪が去った 後、一面の雪に反射して青白く光る北海道の幻想的な情景を描いてい ます。吉村先生の愛された曲、皆さんと一緒に心を込めて演奏したい と思います。

2012年4月〜アンサンブルミカニエ&合唱団こさじ ジョイントコンサート

ジョイントコンサートに寄せる

『合唱団:小さじ』と『アンサンブル・ミカニエ』のジョイントコンサー トの開催、おめでとうございます。和歌山と鳥取(太平洋と日本海?) というかなり離れた地で活動をしている小規模の合唱団同士が出会い、 一つのステージに立ち音楽をする…。そう考えただけでもワクワクし ますが、同じ場面に立ち合い、合同ステージを指揮させていただける ことに大きな喜びを感じています。
合唱とは、どう頑張っても一人では出来るものではなく、声を合わせ ることによって何かを分かち合い、伝え、何かを成し遂げられる芸術 だと思います。なので、このような人間同士の繋がり、仲間としての 繋がりこそが活動の財産となるのではないでしょうか。このようなジ ョイントコンサートは時としてその演奏会だけでは完結しない副産物 を生み出します。今日の日の演奏会が、きっとまた新しい何かの物語 の始まりにもなるように思います。
さて、その合同で演奏させていただくのは、今を時めく人気作曲家 (合唱指揮者)の相澤直人さんの新曲(委嘱初演)です!。スタイル の異なる6つの曲が送られてくるたびに、驚き、感心し、感嘆しなが ら楽譜を見ておりました。既存の合唱組曲ともスタイルが異なり、各 曲が独自性を保ったまま一連のものとして寄り添っているように見え る曲集(混声合唱アルバム)となっています。新しい出会いずくめの 中で、このような素晴らしい曲の誕生に関われたことに感謝しながら 張り切って演奏したいと思っています。

合唱とは、 「ほかの誰かと心を合わすことの大切さ」
「私自身のかけがえのなさ」
この2つのことに同時に気付くこと・・・このステージの終曲のように あれたら、と思っています。

2013年11月〜アンサンブルミカニエ第6回演奏会

アンサンブルミカニエの演奏会に寄せて

阪本君と知り合ったのは、彼がまだ今よりほんの少しだけスリムで京都の大学生 だった頃のことでした。強面の雰囲気とは異なり、心の底からの音楽好 きだっ たことは十分知っていたのですが、まさか和歌山に帰って自ら合唱団を立ち上げ るなどとは思ってもいませんでした。 大都会ではないこの地において、一般の混声合唱団を立ち上げ、維持していくこ とは大きな困難の伴うことでしょう。しかし、意欲を持って取り組み、 しかも 委嘱やジョイント、様々な合唱祭への参加等、積極的な姿勢に満ちていることに は頭が下がる思いです。

さて、オフィシャルな文面では初めてカムアウトするわけですが、「いとうけい し」のペンネームである「みなづきみのり」の詩があの宮沢賢治の詩と 混ざり 合って構成されている「アポロンの竪琴」は私の大好きな曲です。すでに千原先 生によって素敵な女声合唱曲になっており、多くの女声合唱団に よって歌われ ておりますが、私はいつか全曲指揮をしたいと思いながら、なかなかチャンスに 恵まれませんでした。このたび混声に委嘱されて、尊敬す る千原先生ご臨席の もと、小さいながらも(指揮者の身体は大きいが)頑張っている合唱団の仲間と ともに演奏出来ることに、とてもわくわくする気持 ちでおります。

この地の持っている海の色や空の色を、それらを吸い込んでいる歌い手とともに 表現し、この合唱団ならでは(仲良しのお友達メンバーも少し助けてく れます ね) の音を見つけてみたいと思っています。どうぞお楽しみください。

2017年12月〜アンサンブルミカニエ第10記念回演奏会

アンサンブル・ミカニエ10周年おめでとう!

桃栗3年柿8年と言いますが、「葡萄の樹」の下で育った阪本君が和歌山の地に蜜柑の 木を植えて10年にもなるのですね。「上手いかどうか」という割とどうでも良い基準 ではなく、「個性的かどうか」という大事な観点に立ったとき、「アンサンブル・ミカ ニエ」は確実に一つの合唱団としての個性を確立しているように思います。これについ てはひとえに「音楽監督が放置することによってしっかり者が育っている」という一つ の成長スパイラルのモデルケースを実現しているように思っています。合唱団の運営は 音楽的な云々ではない部分での苦労と忍耐の連続だと思いますが(そのわりには指揮者 の体重が減らないのが不思議ではあります…)、ミカニエの皆さんには、自分たちの活 動のみならず私が不器用ながらも懸命に取り組んでいるイベントやプロジェクトについて も合唱団を挙げて協力・応援をしていただいています。私のほうが感謝の気持でいっぱい です。

蜜柑の木は確実に育っています。10周年の狩り入れの際には音楽監督の我侭にもより、 京都においてシューベルティアードを開催することになり、私も張り切っています。和 歌山のみかんが全国の食卓に運ばれているように、ミカニエの合唱がぜひ関西や全国の 合唱シーンに進出し、さらなる成長を遂げますように。20年目に向けてのスタートです ね。期待しています。ともに頑張りましょう!!。

2018年12月〜どさんコラリアーズ third concert

熱く歌え!

時折、私たちの愛する「男声合唱」というものが「音楽」や「合唱」と関連しながらも、やや独立した別のジャンルであるかのような錯覚を覚えることがあります。「白熱して過剰に交わされる薀蓄」「やがてそれを凌駕して爆発するエネルギー」「さらにそれを沈静化させる驚くような美しさ」の三層が順番に訪れるピュアな営みで、味わったことの無い人には決して説明しきれないので、他者からは「どうして男声合唱の人はあんなに熱くて、あんなに必死で、あんなに無邪気なのだろう」と思われることでしょう。

私がより自由で新しい合唱活動を夢見て、大阪で「なにわコラリアーズ」という合唱団を立ち上げたのはもう25年前になりますが、全国に仲間が散り、「やっぱり男声合唱じゃないと」と思うメンバーが集まり、各地で歌ってくれているのは嬉しい限りです。また、この合唱団を小学生の頃からよく知っている佐古君が文字通り懸命に指揮(その割には体重が落ちませんが)してくれており、一緒に演奏出来るのも嬉しいことです。加えて本日は「みなづきみのり」の名前で作詩している曲が歌われることになります。2人の素晴らしい作曲家によって、いずれも男声の「弱さ」「やさしさ」、そして「勇気」やそれを奮い立たせるための「励まし」を軸として素晴らしい楽曲に仕上げていただいています。この演奏会が男声合唱独特の魅力を多くの人々に実感してもらえる機会になればと思っています。

2019年3月〜えちごコラリアーズ ホワイトデーコンサート

熱くあれ!底抜けであれ!〜「えちごコラリアーズ」

時折、「男声合唱」というものが「音楽」や「合唱」と関連しながらも、やや独立した別のジャンルであるかのような錯覚を覚えることがあります。「白熱して過剰に交わされるこだわりや薀蓄」「それを凌駕して爆発するエネルギー」「やがて迎える穏やかな笑顔と抱擁」…これらが順番に訪れるピュアな営みで、味わったことの無い人には決して説明しきれないので、「どうして男声合唱の人はあんなに熱くて、あんなに必死で、あんなに無邪気なのだろう」と思われることでしょう。
私が、新しくて自由な活動を求め大阪で「なにわコラリアーズ」という合唱団を立ち上げたのはもう25年前になりますが、「やっぱり男声合唱じゃないと」と思うメンバーが集まり、各地で高らかに歌ってくれているのは嬉しい限りです。「えちごコラリーズ」は、愛する代表(藤田君)と指揮者(木越君)が全身全霊で情熱を傾けてくれており、その下にいつも気持の良いメンバーが熱く歌ってくれています。今日は私も一緒になって男声合唱の熱さ、楽しさをお届け出来たらと思います。

強くあれ、美しくあれ!〜「こしひめ」

では、女声合唱の美しさはとはなんでしょうか?私は、やや無邪気なところが可愛い男声合唱に対して、女声合唱の美しさとは個々の芯の強さが支えるものだと感じます。声について、言葉について、舞台表現について、常に個々が持つ逞しい意志や覚悟のようなものがその立ち姿を凜と映えさせるのだと思っています。
本日は「えちごコラリアーズ」の賛助である「こしひめ」ですが、「えちごコラリアーズ」と凌ぎを削るライバルとなって、美しく輝いてくれますように。

2019年10月〜東海メールクワィアー第62回演奏会

多田武彦作品に寄せて

(私が指揮をしております)「なにわコラリアーズ」が、「ただたけだけコンサート」(現在vol5まで進行中)を始めたのは、ノスタルジーや蘊蓄にウェイトが行きがちだった多田作品全体に、声楽技術とオーソドックスな音楽観を持ち込みながら新鮮な音楽作りをしたかったからですが、多田先生は、「なにわコラリアーズ」の演奏をよく映画に例え、「細部に至るまでアングルやカット、カメラワークが感じられる…」とおっしゃってくださいました。多田先生は若い頃映画監督を志しておられたことがあったようです。実は私も大学時代には年に365本の映画を見ながらポストモダン芸術論を学んでいた経緯があり、共通のボキャボラリーの中で小津安二郎や溝口健二、成瀬巳喜男、山中貞雄の映画技法を音楽に結びつけながら演奏談義をさせてもらったものでした。

私が多田先生とお話できたのは多田先生にとっての晩年ということになります。随分気に入ってくださり、頻繁に長いお電話(平均2時間)をいただきました。朝の7時ぴったりに自宅に電話が鳴ると、大抵それは多田先生でしたが(恐らく7時までは待っておられたのか…)、堰を切ったように山田耕作先生や清水修先生の話、カールベームとウィーンフィルの話、紅白歌合戦の歌手の話…(ここまでは定番)、音楽のみならず、何故かウェッジウッドからエルメスの歴史の話まで、様々なことについて教えていただきました(もちろんいくつかの話は重複するのですが…)。そして最晩年には、私が「みなづきみのり」という筆名で作詞活動をしていることを嗅ぎつけられ、「他にも書いてるでしょう、ぜひ見せなさい」と言われたので慌てて詩を書きためたノートを提出いたしました。すると「頂いた詩は、ほとんど曲にできる。中でも12の月の詩が気に入ったので、ぜひ曲を付けたい」と言ってくださり、それが多田先生史上例を見ない全12曲の組曲『京洛の四季』となったのでした…。

…さて、このたび「かつてない規模での演奏会」を企画された「東海メールクワイアー」の皆さんとともに多田作品に取り組めることは私にとってこの上ない喜びです。「もし多田武彦がいなければ、日本の男声合唱はここまで盛り上がらなかったのではないだろうか……」とよく考えます。「多田作品」の神髄は詩の選択眼でしょう。音楽と取り組むことが「人生を反映させた抒情詩」と格闘することと同義になることから、多田作品は青年たちの崇高なジャンルに成り得てきたのではないでしょうか。様々なやり取りから、多田先生が詩の選択において最も大切にされていたのは「春夏秋冬」「花鳥風月」…そして、型としての「起承転結」であったものと思われます。つまり、品性を保った情緒性と、様式感を伴った美意識が多田作品の中心ということだと思うのです。

多田ファンならば誰もが考えたくなる多田作品の「アラカルトステージ」ですが、テキストであるその抒情詩を観点にして「春夏秋冬〜移ろいゆく季節感」と「花鳥風月〜詩が描いた日本各所の風景」をキーワードに選曲してみました。著名な曲から珍しい曲までを織り交ぜておりますので、一緒に多田ワールドをお楽しみいただければ幸いです。

2019年11月〜TFM合唱団 演奏会

「アポロンの竪琴」に寄せる

ふと思います。
私たちは時間の中にいるのでしょうか?私たちの中に時間があるのでしょうか?
私たちは海の中にいるのでしょうか?私たちの中に海があるのでしょうか?
いや、時々考えます。
私たちは言葉の中にいるのでしょうか?私たちの中に言葉があるのでしょうか?
…目を開けて見上げた満月が、目を閉じても心の中にくっきりと存在するように…、耳を澄まして聞いた歌声が、後になってもしっかりと心の中に残っているように、私たちと世界とはお互い呼吸し合い、包み包まれながら存在しているに違いないですね。

合唱とは、音楽ジャンルの中では「言葉」を持つ芸術です。そこには「音楽」とは別の生理を持つ「言葉」が表裏一体のように寄り添いながらも、背反と連帯を反復して存在しているということになります。つまり、言葉と音楽は示し合わせた裏切りの周到さと不意な一致を繰り返しながら「滲み」や「傷痕」や「ずれ」のようなものを含めた曖昧な味わいを作り出すものだと思います。

さて、「アポロンの竪琴」は私が戯れに詩を書いていることを聞きつけられた千原英喜先生から声を掛けられ、とてもロマンチックな音楽にしていただいたものです。言葉の深淵や表層から巧みに組み立てられた素晴らしい音楽宇宙に触発されて、今回はさらに挿入詩などを加えてみました。言葉から歌へ、歌からまた別の言葉へ…。そんな感じでしょうか。そしてそれらはまた別の感性をもった歌い手たちにより、多様な味わいを持って歌われます。 言葉と音楽の豊かな関係、その不思議さ、手触り、肌触りの伝わる演奏になればと思います。

2019年12月〜アンサンブルミカニエ第11回演奏会

合唱狂言?さ、さ、サンタクロース?

よく言うことですが、「個性的かどうか」という大事な観点に立ったとき、「アンサンブル・ミカニエ」は確実に合唱団としての個性を確立してきているように思います。これについてはひとえに「音楽監督が、焚きつけるだけ焚きつけた後に、酵母を入れてしばらく放置することによって勝手に合唱団は発酵している」という成長スパイラルの一つのモデルケースを実現しているとも言えます。その傾向は近年ますます際立ってきており、本日のプラグラムを見ても、松本望先生にお願いしての「合唱ポップス」、千原英喜先生の発案を受けての「メンデルスゾーンの無言歌を有言歌に」、そしていまだにその定義も何もない「合唱狂言!」…というアカデミズムとエンターテイメントを混ぜ合わせたような独自の路線には、合唱団の強烈なカラーとともに唯一無二性をも感じます。

もちろん合唱技術の習得に真摯であるという前提がなくては成立しない路線ですが、合唱の世界が音楽のジャンルの中でも小さく閉じ過ぎてしまわないためにも、非常に重要なチャレンジであるように思うのです。

さて、その合唱狂言ですが、昨年の打ち上げで与えられていた日本酒「紀土(純米吟醸)」の影響もあって、二つ返事で引き受けたものの、何をどうして良いか分からず、取り合えずスマートな二人が演じることだけを考えたテキストを作ってしまいました。今から考えると中学生のときに私が友達のノートに落書きした話をなぞっているように思いますが、恐る恐る提出したテキストには瞬時!!に曲が付けられて返ってきており、どんな球でも軽々と形にされる千原英喜先生の凄さを再確認するものでもありました。あとはひたむきに演奏するのみ。

ジャンルが何であれ、形が何であれ、歌や音楽が人の心を捉え、結び付け、励ましや憩いのひとときを与え続けるものでありますように。そのために私たちは真摯に音楽と演奏に向き合い、努力する態度を持ち続けなければなりません。

今年一年の様々なシーンを思い出しながら、反省と感謝と小さな微笑みを。

2020年10月〜アンサンブルミカニエ第12回演奏会

灯りを消そう

このコロナ禍の中「アンサンブル・ミカニエ」は何とか演奏会にこぎつけることが出来ました。もちろん、好き放題が出来た去年の「合唱狂言〜サンタクロースの巻」を思い出すと、今年はいつものようにはいかず、感染抑止に努め細心の注意を払いながら…、ということになります。練習には大きな制約がかかったり、なかなか踏み込めなかったりもどかしい思いをしたことも多かったと思います。このような時勢の中では、優先順位を考えて、我慢することも必要でしょう。しかしながら、継続的に明かりを灯しながら、低速度でも動いておおかないといけないこともあるのだと思います。

今日は、感染抑止を第一に考えて、オンラインとのハイブリッド演奏会ということになります。

音楽も演劇も生身との対面でしか伝わらないものがたくさんあります。しかし、このような状況だからこそ、気づいたことや大切だと感じたことがあったのも事実です。

今はあくまでも「やれることをやる」、そして互いに用心深く小さくともし合った明かりで、励まし合うことが大事だと思っています。

いつか手を繋ぎ、抱きしめ合い、身体ごと共感出来る日が来ることを信じ。

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