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飯沼さん、そして大学合唱のこと

飯沼京子さんから愛に満ちた?メッセージをいただき、何か返答しなくてはなら ないけど、恋文?のやりとりはオープンにするものではないし・・・、と迷っており ました。そう思っている間にも、飯沼さん率いる学生合唱団「アンサンブル・エ ボリュエ」の見事な演奏があり、私と飯沼さんを結びつける一つのキーワードが 大学合唱であったことを思い出し、そのことについて少し思いを巡らせてみたい と思います。

「学生合唱」の衰退が言われて久しいのですが、大学のクラブ活動の持つ絶対的 な「強度」のようなものはどこに行ってしまったのでしょうか?私のように現在 も大学に勤めているものにとっては、大学生自身のポテンシャルを疑うことはあ りません。私の学生との付き合いの中では、むしろ在りし日の大学合唱ではあり 得なかったような驚くべき積極性を持った学生(神大の某君、北大の某君、名大 の某君…とかその他多数)に出くわすこともあります。

しかしながら、「何かが欠けている」「密度が薄い」という気持ちを持ってしま うのは、大学合唱の現在を物足りなく思う方々と同じです。
大学論や一般論を語り出すと長くなってしまうのですが、私は現在の学生を取り 巻く環境に決定的に欠落したものは「情熱」ではなく「情報」ではないかと思う のです。インターネット環境によってこれほどまでに発展してきた情報社会にお いて、その最先端であるはずの学生に「情報」が不足しているというのは、やや 可笑しな感じもいたします。
「情報」という言葉がそぐわないならば「先輩から 後輩への縦のライン」とも言い換えることが出来るかもしれません。この希薄化 が、文字では言い表せないような伝承すべき事項を伝え切らない状態を作ってい る…と思うのです。彼らの子供の頃からのコミュニティの生成過程を分析すれば (ガキ大将を中心にした近所付き合いが希薄、年齢が少し違った従兄弟等が少な い…年齢差を越えたコミュニケーションや距離の取り方に慣れていない…とか) 様々な社会的要因で裏付けることは可能でしょう。
かといってここで前時代的な「精神論」を振りかざすつもりはありませんが、と もかく忙しい学生は(先輩・後輩)という学年を超えて「とことん話をすること」 が少ないんじゃないかと思うことが多いのです。
例えばマネジメントでもかろうじてマニュアル等が残っている場合はありますが、 新しい担当者は一人でそこに記された手順を表面的に追っていくのが精一杯で、 先輩から、その結論に至ったプロセスや苦労話やこぼれ話のようなものを聞く機 会が圧倒的に減っているように感じます。
演奏会の持ち方や選曲や練習にも無数に方法があるのに、去年のスケジュールを 追いながら、不備のないよう誠実に活動を守っていく…というようなケースが多 いように思うのです。

もちろん、こういう縦の繋がりのあるコミュニティやコミュニケーションの取り 方を学生が嫌がっているとも思えません。なぜなら、大学の行事で課外プログラ ム等のキャンプに学生を連れて行くと、本当に嬉々として夜を徹した話に盛り上 がります。場面を設定してやると学年や学部を超えた集団活動や、先輩からの体 験談のようなものには学生は興奮しながら輪の中に入ってきます。年代の離れた 者の昔話ですら異様に興味を示して、面白く聞き入ることが多いのにもびっくり します。(もちろん、語り部?のパーソナリティによりけりという側面はありま すが…)

そこで、飯沼さんです。
飯沼京子さんの音楽は素晴らしいと思いますが、それに増して素晴らしいことは 「学生と真剣に話をしてこられた」ことだと思うのです。関西の学生が皆飯沼さ んに親しみと憧れを抱くのはその為でしょう。
学生は先輩の話に飢えている…。直接口から聞ける情報に飢えている…。あるい は「あれもこれも聞いてもらいたい」「自分たちのことをどう思うか、大人から 本当の意見が欲しい」という気持ちでいっぱいなのかもしれません。その点、飯 沼さんは「先輩役」を兼ねた形で、見事に関西の学生の気持ちを掴んでおられます。 「エヴォリュエ」も練習を見せてもらうことがあるのですが、そこには、既存の 大学合唱団のコミュニティでは捉えられない魅力があるように思います。ある意 味では、そこに飯沼さんがいることによって、その場は「生きた情報の宝庫」に もなっているだと思うのです。
飯沼さんがとことん学生と付き合われることによって、最初は「先生」相手にマ ニュアル的に使っていた学生の言葉が、徐々に本音になっていきます。そして、 それに対応する飯沼さんからの言葉は「先輩」としての(生きた言葉)になって いるのだと思います。

公私ともに大学生のそばにいる私からすれば、忘れてはならない態度、見習わな くてはならない付き合い方だな、と思い知らされます。
考えてみれば、合唱人口そのものを維持し拡大発展させていくためには、我々が 先輩から教えてもらった様々なことを後輩である学生に伝えていく…その単純な ことを怠ってはなりませんね。自慢話であろうが何だろうが、「後輩に語る」こ と自体の大切さを思い知らされると共に、飯沼さんに鍛えられた?学生が、社会 人として、先輩として多くの後輩に関わってくれることも期待したいです。

2004年Jamca通信より
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