「何をのんきに歌ってるんだ」
「その路地裏がなくなろうとしているんだよ」
「魚屋も駄菓子屋もなくなって高層マンションになるらしい」
「ついにこの商店街全体も区画整理されるらしい」
「きれいになっていいじゃない」
「わしらの住むところがなくなるってことだよ」
「それどころか、野良猫駆除計画なるものまであるんだよ」
「えーーー!」
「許せん、人間ども」
「どこもかしこも、野良猫には住みにくい世の中だよ」
「まあまあ、落ち着こう」
「あら、世間は猫ブーム、飼い猫にでもなれば」
「そんな簡単にいくものか」
「そうさ、人間に好まれるのは可愛い猫か愛嬌ある奴だけなんだよ」
「何とかこのままにして欲しい、わしが死ぬまでは。」
【朗読】
あらあら、賑やかなことですね。
ここはたくさんの猫が暮らしている猫町。どの町もきれいになり過ぎて猫には住みにくくなってしまいましたが、ここは小さいながら、昔からの商店街もあって住処を追われた野良猫たちも居心地良いダウンタウンなのです。野良猫たちは時折集まっては、集会「猫耳会議」を開いていました。たいていは、どこの魚屋のゴミがあさりやすいだとか、どこの路地には思わぬごちそうが落ちていることが多いだとか、そんな話でしたが、このところはこのダウンタウンそのものの再整備と野良猫駆除に関する情報を仕入れた者がおり、その話題で持ち切りなのでした。
どうして人間の話すことが分かるって?
知らなかったんですか?
猫は、人間の言葉が分かるのです。分からないふりをしているだけなんですって。
「あんたが魚泥棒ばかりしてきたから、商売成り立たなくなったんでしょう?」
「そりゃ関係ないだろ、商店街も儲からないのさ」
「少子化だよ少子化」
「月末、わしらのように人間の会議があるらしい、そこでこの町の運命は決まるのさ」
「そして私たちの運命もね」
「偉い人たちに取り入ってやめさせないとな」
「人間たちに総攻撃というのはどう」
「いやあ、人間に養ってもらうに限るって」
【朗読】
そんな適当で無責任な発言が交わされる中、若い三毛猫であるミーチェは声を上げるのです。
「僕たちは果たして人間に媚びを打って生きていくだけで良いのかなあ?」
ミーチェに明確な答えはなかったのですが、この怠惰な日常に抗うかのように、漠然とした悩みとちょっとした使命感がミーチェを支配していたのでした。
「そんなこと言ったってどうするのミーチェ」
「お前は人間か」
「悩むのは人間だけでいい。わたしらは今日のご飯のことだけ考えてたらいいの」
【朗読】
そうかもしれないし、そうじゃない気もする…、とミーチェ思いました。
ミーチェは会議を離れ、一人で路地裏を歩き周りました。
「皆のもの、誇りを持たにゃならん。そもそも猫たるものの歴史は古いのだ。
エジプト時代から愛玩動物になっているのだぞ。
犬族は狩りや戦に連れて行かれたが、猫族は農耕とともにいる。
つまり文化の発祥に寄り添っておる。
猫に纏わる伝説も神話も、ことわざも、文学も、絵画も、歌も、ライバルの犬を凌駕するくらいにあるのじゃ。
猫なで声、猫をかぶる、借りてきた猫、化け猫、なめ猫、招き猫
吾輩はねこである
猫をかんぶくろに押し込んで
お魚咥えたどら猫
そしてそして「ドラえもん」のモデルでもある」
「長ひげのドラ爺さん、蘊蓄はどうでもいいんだよ。僕らの居場所がなくなるかもしれないんだ」
「野良猫にも権利がある」
「私たちは森で生きる野生動物じゃないんでね」
「区画整理と合わせて駆除されるという噂もあるんだ、それだけはごめんだよ」
【朗読】
猫たちは口々に言いたいことを言いますが、こんな事態に直面したことがなかったので、会議にも何にもなりません。
ミーチェは街を歩いて、屋根から屋根へと飛び移っているうちに、大きなベランダで日向ぼっこしている愛らしいメスの黒猫ノアと出会います。
「君、見慣れない黒猫だねえ」
「あなたも見慣れないわねえ」
「僕はこのへんの猫のことはたいてい知っているけど」
「私は家から出たことがないからね。ノアって言うのよろしく」
【朗読】
ノアはちょっと裕福な家で飼われている飼い猫でした。家族の皆から大層可愛がられていましたので、きれい好きなお洒落さんで、毎日起きたい時に起きて、眠りたい時に眠り、お腹がすいたら甘えた声を出すという生活に慣れていました。
「あなた、おなか空いてるの?うちのキャットフード食べる?」
「人に食べさせてもらうのは、ノラ猫のプライドが許さねえ」
「あなた変なこと言うわね」
「野良猫にも流儀ってものがあるのさ」
「なんだか難しい猫ねえ、人間の近くにいるのは楽ちんよ」
「人間の世話になって生きていきたくないんだよなあ」
【朗読】
ミーチェは人間に手なずけられることに納得がいかず、ノアがもらったものを食べようとはしませんでした。ノアはそのことについては全く理解が出来ませんでしたが、まあ、考えや立場の違う者同士興味を持ったということでしょうか。
「あなたは正義感が強いってことね」
「正義かどうかは分からないけど」
「夢を持っているというのかしらね」
「ああ、そうかも知れない」
「あなたきれいな目をしているのね」
「野良猫だって、水平線を見つめているからね」
「冒険がしたいってことね」
「そうかもしれない」
「でも、思いつめないでね」
「ああ、ただ、野良猫駆除計画だけは阻止しないとねえ」
【朗読】
ミーチェが思案に暮れて街をさまよっていると、文房具屋の軒下、古い赤電話の代わりにどっかと座っている大きな三毛猫に出会いました。看板猫の「キバ」でした。飼い猫ではありましたが、ミーチェにとっては頼りがいのある兄貴分なのでした。
人間の会議まではあと数日です。
「そうなのかい、人間は猫のことは好きなはずだけどねえ、俺はプライドを持って看板猫をやってるんだ。でも拾われる前は野良猫やってたからな、お前らの気持ちもよく分かるぜ」
「この商店街がなくなるのは寂しいでしょう、そしてそうなると飼い猫はともかく野良猫は住めなくなるんだよ。駆除計画まであって」
「そうか、自動扉の店だけになりゃ、俺の役割だって終わりだな」
「そうでしょう、猫がたくさんいることがこの町の良さでもあるのに」
「この文房具屋の存続も怪しいな」
「そうだよ」
「なあ、ミーチェ、飼い猫の中にゃ、野良猫のことを毛嫌いする鼻つまみもいるが、俺はそんなことないぜ、飼い猫と違って、意外と自由だろ。だからお前も野良猫だけに拘るな。この街の猫を守りたい気持ちは俺も一緒だから、頑張ってくれよ、応援はするぜ」
【朗読】
看板招き猫のキバはそう言って、ミーチェを励ましました。
何か決定的な方法を探して走り回るミーチェでしたが、ときどきノアを訪れては、現状報告をしていました。
「なかなか難しいよ。君は相変わらずのんびりしてて良いねえ」
「身だしなみよくしてみんな飼い猫になれば良いのに」
「何言ってんだい、そいつは願い下げなんだよ」
「可愛く振舞えば駆除なんかされないんだから」
「相変わらず、君は分かっちゃないなあ、野良猫には野良猫の良さがあるのさ。」
「そうなのかなあ」
【朗読】
ノアは奔走するミーチェを見ながら歌います。
【朗読】
ミーチェが走り回っている間にも、猫町では相変わらずおろおろする猫、メラメラと闘志を燃やす猫、議論を重ねる猫、に分かれて紛糾しています。
ふとミーチェは昔長老のドラ爺さんから聞いた話を思い出しました。この界隈では一番の長生き、そして、俗に言う「化け猫」だという赤毛の「かおる婆さん」の話を。
「化け猫」に相談に行くというのも変なものですが、ひょっとしたら何らかの突破口になるかもしれないと思ったのでした。
「それはありかもしれんな、猫という生き物の最後の底力というもんだ。あの婆さん商店街の菓子屋のドラ焼きが好きだから、菓子屋がつぶれるってことにしよう」
と、ドラ爺さんも言うので、ミーチェは隣街のかおる婆さんに会いに行きました。
かおる婆さんは、今では一人暮らしの人間のあんず婆さんの飼い猫でしたが、自由気ままに暮らしていました。かおるという人間のような名前はあんず婆さんの一人娘の名前からつけられたものです。
「なに?、私が化け猫だって?、お前は何者かね、ああドラ爺さんの紹介かね。まあ当たらずとも遠からず。」
「魔力か妖力か分かりませんが、具体的には何かに化けられるってことですか?」
「どんなものに化けたの?、化けれるの」
「くどくど聞くんじゃないよ、まあ気まぐれに飼い主のあんず婆さんに化けて留守番をするとかね」
「猫にはそんな力があるの?」
「長生きした者の中には「猫また」と言って妖力を持つ者が現れる。もちろんすべての年寄りが力を持つ訳ではないんだよ。私は若い時から妖力の一つや二つ持っておる。」
「野良猫駆除計画まであるんだよ。このピンチを何とか乗り切れないものかと思って」
「かおる婆さんも昔は野良猫だったって話じゃない」
「ああ、そうだった、が、わたしゃ人間に恨みも何もない」
「そうそう一人暮らしのあんず婆さん、近くに商店街があるほうが便利じゃないかな?」
「コンビニのほうが便利じゃ」
「そんなことないよ、区画整理になったら、きっと大好きなどら焼き売ってる菓子屋も立ち行かなくなるよ」
「ほう、確かにそりゃ困ると言えば困るが…」
「工事の車とかなんとか一杯入ってきて煩くなるんだよ」
【朗読】
かおる婆さんは少しぼんやりとしました。
実は、かおるという娘さんは中学生のときに工事の車にはねられて亡くなっのです。
その頃野良猫だったかおる婆さんは、あんずさんの悲しみと嘆きを見かねて、ある日、縁側に座るあんずさんの膝に飛び乗り、飼い猫になってあげたのでした。
「まあ、私も静かな環境が好きでね。公共の福祉にも猫の福祉にも関心はないが、菓子屋とあんず婆さんのために、お前に力を貸してやっても良いかもしれん」
「どんな妖術使ってもらおう、催眠術とか?」
「簡単な方法がある。お前が人間に化けてその区画整理計画とやらをぶっつぶすんだよ。無血開城だな。」
「でも、僕は人間に化けられないけど」
【朗読】
かおる婆さんは自分の尻尾の毛を一本引っこ抜くとミーチェの頭に乗せました。するとミーチェはたちまち人間の姿に変ったのです。
「へえ、これが人間か、しかしこれでばれないかなあ」
「何言っとるんだ、化けるのは技術じゃない、気合だ。恨みとか、怨念とかもその類だろうが、信念を持って言えば丸いものも四角くなるんじゃ、気合を入れて化けるんじゃ」
「へえ、化けるって面白そう」
「そうさ、気合だよ、誰だって演技はするものじゃ」
「気合かあ、何だかファイトが沸いてきたなあ、一つ人間たちを化かしてみるか」
「よーし、その気合いで、会議に乗り込むんじゃ」
「おー」
【朗読】
ミーチェは、猫耳会議と長老のドラ爺さんに報告すると、野良猫全員に励まされ、この猫町についての重要決議をする人間の会議に出かけました。
ミーチェが登場すると、「見かけん若者だなあ」と思うものも居ましたが、気合を入れて会話をしましたので、誰も疑うものはおりませんでした。
会議にはこの町をそのまま温存したいという者もおりましたが、少数派でしたし、会議はそんなに簡単なものではありませんでした。ミーチェは意見は言ってみるもののなかなか上手くいきません。
「猫はブームでもあり、猫タウンとして売り出せば観光客が」
「衛生問題はどう考えるのかね」
「経済的発展は」
「人口問題は」
「老朽化対策の費用をどう工面する」
【朗読】
自分が思いもしなかったような悩みや苦労が展開され、ミーチェは戸惑ってしまったのです。
人間もなかなか悩み苦しんでいるのですね。
ああ、もう少し勉強してから望むんだった、困ったなあ、と思いながら、ミーチェは野良猫の仲間やかおる婆さんが見ているはずの天井を眺めていました。
天井裏から見守っていたかおる婆さんは、とうとう見かねて、奥の手を出しました。
野良猫たちを次から次に人間に変えて会議に送り込んだのです。
反対派を増やす作戦に出たわけです。
「わしは町の区画整理には反対じゃ」「猫の駆除反対」と大声を上げたのですが、ミーチェ以外の野良猫達は、上手く演技出来ずに会議自体ががやがやしだしました。
【朗読】
その時、誰かが叫びました。
「町の住人でないやつらが入って来てるぞ」
「反対派の奴らがどこかからかき集めたな、騙されるな」
【朗読】
ミーチェがもはやここまでと思ったとき、かおる婆さんはさらなる奥の手を使いました。
天井から灰を撒いたのです。それは、秘かに蓄えていたマタタビに呪文を唱えて煎じた灰でした。そう、みんなが「いろんなことを忘れ、懐かしい気分になり、まあ、いいか」と思える魔法の灰だったのです。
その場の時間がとまりました。
そして議論は突然緩穏やかなものに変わりました。
「いやあ、古い町並みもまあ良いもんだよねえ」とか
「大型量販店は味気ないなあ」とか
「子供の頃は、商店街はかくれんぼや鬼ごっこには格好の場所だったなあ」とか、
昔話が溢れ出し、「まあ、当面このままで良いか」という雰囲気が立ち込めてきたのです。会議によくある一つのパターンですね。私達もひょっとしたら猫に騙されてるのかもしれませんね。議論は、1時間ぐらいのんびりゆったりと進んだあと、突然結論に至り、区画整理の話も野良猫の駆除もあっさり立ち消えたのでした。
「まあ、なんでもマネをするばかりではなく、アイデアを絞ろうじゃないか」
「慌てなくてもいいか」
「折しも猫ブーム、街に野良猫がいたって良いじゃない」
「まあ、がたがたくどくど言わずに、ゆっくり考えて行こうや」
【朗読】
やがて、会議が平和に閉じ、みんな催眠術にかかったようにハッピーな気持ちのまま帰っていきました。急に人間に化けさせられた猫たちもいつの間にか本来の姿に戻り、ミーチェと頷き合いました。
かおる婆さんはふと溜息をつきました。
そして遠い記憶を想い起しました。
まだ野良猫だった頃、自分の名前のもとになったかおるちゃんが、まだ幼い自分を撫でてくれたこと。その手のことを思い出しました。
猫は人間の膝が好き、人間は膝で眠る猫が好き。
人間と猫は良い具合に触れあっていければ良いなと思いました。
【朗読】
野良猫たちの楽園である路地裏は残ることになり、かおる婆さんはあんず婆さんの膝に帰っていきました。
「かおる婆さんありがとう」
「まあ、わしゃ、あんず婆さんのひざで死にたいからね、それまで持てば良いと思ったまでで、誰も助けちゃいないよ」
【朗読】
それからしばらく立って、ミーチェは旅に出ました。町の危機には立ち上がった彼でしたが、街が落ち着くと今度は逆に、もっと冒険がしたいという気持ちが沸き起こったのです。
ミーチェはノアに別れを告げました。
そして街にも別れを告げ、旅に出ました。夜明けに。
ささやかな猫たちの物語はこれでおしまいです。
町の野良猫たちは長老のドラ爺さんの号令で少し身だしなみを良くし、時々人間に愛嬌を振り撒くようになりました。すると次第に猫好きの人間が集まり、この街は気ままでチャーミングな野良猫のたくさんいる町、猫耳タウンと呼ばれるようになりました。
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