やさしさとさびしさの天使

ヒロシマにいる天使



ヒロシマの天使は歩いていた
あの川沿いを

夏の朝、蝉の鳴くクスノキの周りを
まだ青い銀杏の実を見上げながら

天使の傷は癒えたのか
治ったのか
天使はもう数千年も歩いている
その間に何が無くなり何が残っているのか
天使は知っている

天使はベトナムの空を飛んだ
アウシュビッツの町外れの森も
南京の街も知っている

天使は歩く
何度も何度も
何事も無かったかのように

この夏も蝉が鳴いている
天使はその下にいる
灼熱の日差しの下を歩いてる



天使は時間の回転扉を回す
回転扉は時間と人を結びつける一つの道具だ
時間は人の中に存在しているのだ
それは非常にナイーブに
あるいは非常に大胆に
少なくとも解釈の不可能性ということにおいて極めて自然に
人の中に存在する
それぞれの人の中に個別にある時間をつなぐのは天使の役割の一つだ

ヒロシマの天使は
失われた時間と見出される時間をつないでいる
そこで亡くなった人の時間
それを蘇らせようとする人の時間

人は世界の中に生きるのではなく
人の中に生きるのである
失われた人の時間は
見出そうとする人の時間と混ざり合う
溶け合う
そして新しい時間の層となり生き続けるのである

世界は人の中の時間が響きあったものなのだから
ヒロシマは目に見えない
ヒロシマは響き合いであり
音楽なのだから

天使は響きのかけらを集めて繋いでいるのだ



人は人の中で生きる
時間は人の中で再び繋がっていく
複雑に
クラインの壺のような概念の中を
騙し絵のような空間の中を
食物連鎖で循環する生命のように
様々な楽器が一緒に音を出すオーケストラの音楽のように
鏡の映す世界の共時性を醸しながら
いつまでも心に残る人の面影として
夏空の下の風景として
灼熱の日差しの下にクスノキが作る憩いのようにして

残っていくのだ
続いていくのだ
繋がっていくのだ

歩くことは思い出すこと
歩くことは語ること

天使が歩いているのはそのためだ
天使はもう千年も歩いている


2010.12.13
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