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 再び信州大学混声合唱団

08−12 2008.12.10

ちょうど2年前、38回の演奏会で「どちりなきりしたん」を演奏後、 「めのゆ(温泉)」での打ち上げのシーンが鮮明に蘇ってきます。今年 40周年を迎えた信州大学混声合唱団の記念演奏会最終ステージで、私 の最も重要なカードである?(混声版)「くちびるに歌を(信長貴富作曲)」 の感動的な再演を果たすことが出来ました。(6日松本、7日長野・・・ ともに快晴の「青い空と白い雲」)

shinshu-univ もともと大学合唱団出身である私の指揮活動は「大学生に還元したい」 と思っていたことや私の師匠である福永陽一郎がまさしくそうであった こともありますが、こと信州大学混声との再演に際しては、心の底から 感動出来る音楽への取り組みプロセスがあり、それが大きな達成感に繋が ったように思いました。
なんとなく20〜30年前の学生生活を彷彿とさせるひたむきさ、一生懸 命さ、不器用ながらも試行錯誤して少しでも良くしようと取り組む姿勢、 工夫が、十分に発揮された演奏会を見せてくれました。
指揮者が一定度合唱団員の鏡であるならば、彼らの本気度が私を本気にさ せるというのでしょうか。上手いかどうかという次元とは全く無関係で、 例えば練習で指摘したことは、次の練習ではほとんど直っていましたし (当たり前だが、これが難しい・・・)、技術系を中心に一生懸命メモし、 実際に取り組んでくれたことは(実に単純なことですが)、大事なこと だったと思います。次の練習では、常にその次の次元が目指せましたから、 私が学生に何かを与えて終わるという印象は私の中では全くなく、最終的 には自分が本気になれる次元で彼らとがっぷり組んで合唱音楽と格闘出来 たように思うのです。もちろんそれだけのポテンシャルのある曲を選べた ことも大事だったのですが、恐らく関屋先生が種をまかれ、中村先生が水 やりをされていることが彼らにはDNAとしても残っており、音楽の本質 の次元で反応してくれたのだと思います。

コンクールに出ているとどうしても最後の最後まで表面的な部分を気にし がちなのですが、今回の信州大学での最後の練習などでは、「もう練習は 十分した」という思いからテクニカルなことはどうでも良くなり、自分に とってのこだわりポイントであるディティールと、それに伴って「語って しまっている」自分がおりました。(この感覚は一曲入魂と思って練習に 向き合っていた学生指揮者時代の感覚とも通じるものだったように思います。)

それにしても、(もともと、福永先生と関屋先生は音楽的にも人間的に も非常に近いポジションにおられたのではないかと思うのですが)、 関屋先生のお亡くなりになった年に信州大学混声合唱団と出会えたことは、 偶然ではない「導き」を感じなくもないです。
4つのキャンパスに分かれていることは、合唱団の活動にとって大きなハ ンディではありますが、このような不自由さが却って彼らの活動に対する モチベーションを高めているようにも思います。そもそも、この地が、私 が高校時代にワンダーフォーゲル部を選択し、何度も山登りのために来た 土地だということからして、「縁」を感じるのです。

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私の大学生活が様々な人や世界との「出会い」の繰り返しであったように、 彼らにとっての私との出会い、信長作品との出会い、諸先輩との出会いが 豊かな人生の糧となってくれることを願っています。

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松本や長野に行く練習の道中は本当に楽しかったです。もらったりんご、 信州そば、おやき、特別に探し出して用意してくれた純米生原酒「信濃錦」 は絶品でした。ぜひ50周年に、子供を抱えたり、社会人らしくなった彼ら 彼女らとにこやかに再会することが私のささやかな目標でもあります。

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私の学生時代、チケフレ(懐かしすぎ)だったSさん(伊那在住)が小学校 5年生の次男を連れて見に来てくれました。出会いと再会を繰り返して、合 唱人生が続いていくことに何より感謝。

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