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 思い出に残る「なにコラ」山口、広島演奏旅行!!
      〜ただたけだけコンサートvol2〜in山口with「とおんきごう」〜
              〜安芸國男声合唱祝祭〜

10−01 2010.2.2

2011年 

【山口編】
2両ディーゼルの山口線の車窓から見る風景は、はるかな時間を越えて 中也の見た風景を想像させてくれました。霜が降りた大地、農家の屋根、 …以前、夏に浜田に行く際に広島からのバスではなくわざわざこのルート で向かっていたほどお気に入りの路線なのですが、冬の風景も素朴で心惹 かれるものでした。

中原中也の詩を特集した「ただたけだけコンサート」の日の朝、私は、山 口線に乗って湯田温泉の中原中也記念館に向かったのでした。とても気持 ちの良い体験でした。

湯田温泉の足湯 …中也記念館は観光地にありがちな展示だけの記念館ではなく、中也がいか に今なお山口県の人々に愛されているか、大切に思われているか、というこ とが非常に良く分かるアクティブな「生きた記念館」でした。自筆の詩や草 稿ノートなんかを見ると演奏する予定の曲に対するイメージが膨らみました し、文庫本で文字を追うのとは全く違ったリアリティ(…息遣いや体臭のよ うなもの)を感じました。展示や解説にも中也の人となりを立体に感じるこ とが出るように丁寧な趣向が凝らされ、長門峡の詩の奥には文也の死を受け 止めきれない中也の自暴自棄の姿が見えてきて胸を打たれました。世界観を 拡張するという意味では、記念館のイベントとして中也の詩に付けられたた くさんの曲を試聴出来たことが面白かったです。これは、それぞれのアーテ ィストや作曲家がどのように中也の詩を読んだのかという点で興味深いこと でした。帰り道では通りに面した雑貨店で「中也手ぬぐい」を買ったり、足 湯を巡ったり、駅前のうどん屋さんも美味しく、気持ちの満ちた状態でリハ ーサル・本番を迎えることが出来たのでした。

「ただたけだけコンサートVOL2」を山口で開催したいと思い立ったのは、 「ただたけだけコンサートVOL1」の当日のことですが、つい舞台で宣言し たものの、関西の団体が山口で演奏会をするというのもまた難しい話では ありました。
ところが、本当に幸運なことに山口県の素晴らしい女声合唱団「とおんき ごう」さんとの出会いが直後にあり、(ついでに言うとその出会いを作った のは信長先生、もしくは名古屋大学コールグランツェのT君ですが…)そこ から一気に視界が開けたのでした。今回の演奏会は「とおんきごう」さんに 賛助出演してもらい、その全面的な協力によって成立したものでした。裏方 関係全てにお世話になっただけでなく、ご尽力によってたくさんの方に聴き に来ていただくことが出来ました。また、中也記念館から展示の協力もいた だき、演奏会そのものを「なにコラの多田武彦作品特集」である以上に、 「言葉と音楽」という観点、「当地の詩人の音楽ジャンルへの波及」という ような観点からの立体的な催しにしたいという意図をささやかながらも実現 することが出来たのでした。
賛助出演で歌ってくださった「とおんきごう」さんの歌声は澄み切っていて 美しかったです。特に女声合唱団には珍しく様々なジェネレーションがおら れることによって、音楽そのものが立体的にふくよかなものになっており、 魅力ある音楽でした。中也特集と呼応したプログラムとして「金子みすず、 青木景子、まどみちお」という山口出身詩人の曲を歌ってくださり、大変 感激しました。私たちの中也の曲も、満員の客席からは大きな拍手をもらい、 この地での出会いに感謝し、この地で演奏会を開催出来たことを心の底から 嬉しく思ったのでした。

P.S.
それにしても(京都の時もそうでしたが)、アンコールで「雨」を歌うと、 開演前には降っていなかったのに「雨」が降ってくるのは不思議な感じで した。もちろん、終演の雰囲気には相応しかったと思いますが。

湯田温泉レリーフ1湯田温泉レリーフ2

【広島編】
広島は全日本合唱コンクールで「なにわコラリアーズ」が初出場初金賞 を獲った思い出の地です。前日から練習を繰り返し、晩御飯時に「当た るといけないから、牡蠣だけは出演が終わってから食べるように」とい うお達しがあったことを思い出します。幸いにして金賞を獲り、嬉しそ うに金メダルをぶら下げて舞台を降りると、裏方におられた崇徳高校の 天野先生(同志社グリークラブの先輩にも当ります。学生時代から私の 指揮を随分褒めてくださり、しょっちゅう声をかけていただいてました …)が「君はこのまま金メダル10個くらい獲ったらいいよ!」とおっ しゃってくださり、何となくその言葉が潜在的に働きかけてか、そのま ま10年続けてコンクールに出て10個の金メダルを獲ったのでした。
天野先生のお力もあったのでしょうが、広島には男声合唱団が多く、 「なにコラ」が最近仲良くさせてもらいっている「寺漢(てらおとこ)」 さんの呼びかけで、「なにコラ」を含めて5つの団体による男声合唱団 のジョイントコンサート開催となりました。

私の持論ですが、一番受けるのは「児童合唱」(出てくるだけで拍手を もらえる=子供が歌っているだけでみんなを微笑ませられる)、その次 に受けるのは「男声合唱」(とりあえず技術がなくても大きな声を出せ ば拍手がもらえる)というものがあります。
もちろん私はそのような「アバウトでノスタルジーに偏りがちで、自己 満足しがちな男声合唱に対するアンチテーゼ」として「なにコラ」の活 動をしていると公言しているわけですが、逆に言うと、混声や女声では なかなかそうはならない部分を男声合唱特有の魅力として生かしていく ことも大事だと思っています。男声合唱人はたいていどこかで繋がり を持っており、今回の広島の打ち上げでも、「私の先輩が、どこそこで 歌っている」とか「彼とはどこどこで一緒のコンサートに乗った仲だ」 とか、というような話の応酬でした。男声合唱愛好家は、ひと言交わす だけで旧知の仲のように付き合っていけるような大らかさを持っている と改めて思いました。おかげさまで、「なにコラ」単独演奏はリラック スした状況で楽しく演奏させてもらいましたし、合同の「幼い日の想い 出」は、私の大好きな曲でもあり、曲中のソプラノソロは寺漢の寺沢さ んの奥様でもある昆野さんに素敵に歌っていただき感激でした。

…二日間に渡る中身の濃い演奏会でしたが、この山口、広島での出会いは、 なかなかコンクールのような敷かれたレールの上での活動では得られない 苦労と喜びと感謝の気持ちを与えてくれたように思います。関係者の皆様 方にお礼申し上げたいと思います。さて次はどのような出会いが待ってい るのでしょうか。

P.S.
後からよくよく考えてみると今回の山口広島というルートは中学校の修学 旅行のルートでもあったように思います。肝心な中身はすっかり忘れてい ますが、当時の広島市街には京都で廃止になった市電が走っており、妙に 感激した記憶だけが残っています。

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