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 2010年末の風景

10−15 2011.1.11

つぶやくことが少なくなったときは、順調に呼吸をしているのか、窒息のスト レスを抱えているのかのどっちかなのですが、本年の秋以降はいろいろストレ スの多い時間を過ごすことが多かったように思います。12月ともなると、 演奏会一つ一つを自分の楽しみとしてありがたく味わえている部分と、ともか く「一つ一つ」と自分に言い聞かせながら、必死で入魂している部分とがあり ました。私の場合は少しでも気持ちが抜けると全てのことが水泡に帰すような 脆弱さを抱えていることを私自身が知っているので、なおさら入魂(もしくは 周到な段取り、準備)は必要です。もう少し大きな合唱の活動ということで言 うと、次の扉を開こうとしていることへの迷いや躊躇のようなものが私を支配 しているのだろうと思いますし、純粋に芸術的な視座だけを深めて行動する訳 にはいかない立場、合唱の持つ社会性ゆえ、孤独感、孤立感のようなものを強 めるのでしょう。

私自身、個に篭らず合唱の仲間に救われてきたことをずっと恩義に感じていた 人間であり、この10年以上、出来る限り合唱界の正面からの取り組みをしてき たつもりではありますが、年齢的にも再びもとの世界(次の世界?)からの手 招きを感じるものです。年末に寺嶋陸也先生とお酒を飲みながらひたすらに 「映画の話」をする機会があり、昔の血が蘇ってきたのも一つの切っ掛けだっ たかもしれません。このことは合唱から離れるということではなく、やや盲目 的に邁進してきた合唱の取組に対して別の窓から覗き直してみたいという気持 ちとも言えるのでしょうか。(もともと斜めから入りましたから)

さて、今年もいろいろ終えて、ようやく年末がやってきてくれました。
恒例の「全同志社メサイア」については、いろいろと音楽的ハプニングがあり ましたが、一生懸命やっている学生の演奏会の後味の良さのようなものを感じ ることが出来ました。我々は結果として上手かどうかより、懸命な姿に胸打た れるのです。学生の演奏会の良さを再確認させてもらいました。

その後も各合唱団で練習おさめをいたしましたが、そう言えば、今年のそれ ぞれの忘年会(帰り)での私の状態はどれも酷いもので、地下鉄国際会館で 折り返したこと1回、京阪出町柳で起こされたこと1回(これは折り返さなく って良かった…二度ほど折り返して淀で起こされたことがある…)、名古屋 からの帰りに新大阪で起こされた時には(京都だとばかり思って降りたので すが、意識が戻ったしばらく後に新大阪と気づき愕然となる)、京都じゃな いのか、とがっかりしたものの、しばらくしてから「広島じゃなくて良かった」 としみじみ思ったものです。

英勲 大晦日は雪の京都となりました。30年ほど前、同じく大晦日に大雪になった ことがあり、父と一緒に金閣寺に行ったことがあります。当時の金閣寺は金ぴ かではありませんでしたが、交通がマヒして人が来ないので、静かに新雪を踏 みしめながら美しい「雪の金閣寺」を眺めたことを思い出します。ちなみにそ の時は、父と兄と三人で近くの蕎麦屋(権太郎)で年越しそばを食べたのでし た。今年は雪の中やはり夕方から錦に出かけ(閉まりかけは人が少ない)、お 正月用のお餅と野菜とお酒を買いました。たる酒は今年は英勲。

いろいろありましたが、来年は少しでも古くて新しい本当の自分が出せる年に 出来ればと思います。

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