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 銀杏並木に思う 

13−6 2014.1.5

紅葉 今年つぶやきが少なかったことには忙しかったという以外の意味は特に ないのだが、どちらかというと重苦しくため息の出る時間を過ごすこと の多かった一年の中で、今年の残りをあと一か月に控えた11月下旬の 朝に東京青山で眺めた銀杏並木が心を捉えた。聳え立つツリーと黄色い 絨毯とが引き締まった青空に映えていた。

知らぬ存ぜぬと言い訳することの限界から、さる詩人との同一性を公式 に認めざるを得ない機会が何度もあり、この際もうどちらでも良くなっ てあぶくのように吐いた。誰にでも別の顔があるように、私にもサッカ ー日本代表の監督になってワールドカップに出場したいという目標を持 つ顔があるというものだ。私という人間がまともに付き合っていると徐 々に相手を煙に巻きたいという衝動にかられる人間であることを知らな い人はまだ多い。

  紅葉2紅葉3

エレニの帰郷 テオ・アンゲロプロスが亡くなってから2年、「エレニの帰郷」を上映す るとあって、何とか観れないものかと思っているのだが、私にとってギリ シャの空はますます憧れの向こうに行ってしまった。いつか訪れたいと思 っている土地はクレタ島である。あの時出会った高校生は、今は少なくと も40代のお母さんというわけか。先日、20年数年ぶりに出会った女の 子はあの当時の彼女の母さんにそっくりになっていて眩暈がしたことを 思い出す。まるで360度円環するカメラワークのようだ。もしくはポス ターが風にさらわれるラストを持つ「るんは風の中」。

20年前の古傷が痛む。それは私の左腕である。まるで時限装置が作動し たように、ここぞ、という時を迎えて予定通りに作動しているのだ。私の 人生の彩りとして。機能面では何も損傷がないのにリリックな外傷が施さ れている右腕に対抗しているのだ。そういえば父の死に際しても、18歳 の頃に死線を越えた結核の影がセピア色のアルバムを捲るようにして蘇っ てきたものである。緩やかな人生というストーリーの伏線のようにして。

1行の詩も書いたことがないのに、詩人に分類されていた時期がかつてあ った。それはベルリンの壁が崩壊した頃のことである。私のそばには小説 家と書道家とがいた。ミッシャ・マイスキーのバッハを聞きながら世界の沈 黙と饒舌について語ることで、自分自身が世俗と凡庸へ同化しようとする から逃れようと必死だった頃のことだ。当時から比べると苦いと思ってい たウィスキーも随分飲めるようになった。そのこと自体が世俗と凡庸へ同 化したということなのか。しかし、もうそんなことは気にならない。

私にとってのアイデンティティの中核とも言える同志社グリークラブが、 数年前のフラグメンツ以外で相変わらず私の指揮によってまだ決定的な結 果を残せていないもどかしさとは裏腹に、彼らのオーダーが4列になって いたことと、年末メサイアにおいてテノールがバランスを欠いてまで自パ ートをメロディーのように歌っていたことが、私の気持ちを掻き立てる数 少ない出来事として記憶される。この合唱団が「教える対象から」自分自 身の学生の時の頃のように「勝負する対象」になることが私の望みであり、 それが私の指揮者としてのミッションの一つになり得る。

来るべき一年を象徴するようにして牡蠣の毒にあたった1月に始まり、痛 む左腕で振り切ったことで勝ち得た全国大会の金メダルをもらってないふ りをして予定通り表彰式を小さく外した11月まで、痛みと憂いに満ちた 春夏を経て、様々な作曲家とのコラボレーションやピアニストとの共演と いう喜びに覆いかぶさるようにしてゆったりと流れる厚い雲の層は未だに 光を遮っている。

紅葉4 天使というタイトルの詩のことを考えるのが好きだ。パウル・クレーが生 涯の最後に描いた絵が私の枕元で毎日待っている。晩秋の銀杏の高い枝に も天使が腰をかけている気がした。テラスのカフェで微笑んでいる天使、 夕焼け雲を駆けていく天使、くるくると舞うハート型の銀杏の葉っぱを手 に取る天使、悪戯っぽい顔でブランコに乗る天使、…天使のことを思いな がら今年を綴じたい。

今年も更けていくその漆黒の手前の夕闇に仄かな銭湯の灯りが浮かんで揺 れている。出口のようにして。来年が良い年になりますよう。

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