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 全日本合唱コンクール20年

18−06 2018.12.29

今年の全日本合唱コンクールでは、名古屋大学コールグランツェがスーパーな頑張りを見せてくれました。
前日が授業日程のため、名古屋からの最終便で札幌に入るということは聞いていたのですが、なんと機体トラブルで飛行機が飛ばなくなったのです。(ちなみに私は別便で入り海鮮を食べていてそのニュースを聞きました。以後、食べ物が喉を通らず、日本酒だけが喉を過ぎていきました。(笑)そこから急遽深夜に羽田空港に向かい、空港で一夜を明かした彼らは、当日の早朝に羽田から千歳に飛び、バスで移動をしてきたのです。連盟には、順番を決して変更することは出来ないとの確認を取っておりましたから、間に合うしかなかったのですが、そもそも雪が降り出しており、思うようにバスも進まないまま、集合時間ぎりぎりに間に合ったのでした。もちろん、予定していた早朝の練習は全くしないまま、人数が多いため12分のリハ時間でも全曲を通せないまま「ぶっつけ本番」状態での演奏でしたが、学生たちは見事な演奏をして2位金賞を獲得してくれました。改めて学生の力を思い知りました。でも、実のところ札幌のキタラホールに現れた彼らの明るい生き生きとした表情を見た瞬間に、「これはきっと行けるのでは」とすら思ったのでした。彼らのメンタルには、「間に合って良かった、これでちゃんと聞いてもらえる」「良かったやっと歌えるぞ」という喜びに満ちていて、コンクール的な緊張などまるでなかったからでした。
こちらは、「バスは男女別に乗って、着替えも済ませ歌いまくれ」という指示を出しながらも、雪道でなかなか思うように到着しない彼らにはやきもきしっぱなしでしたが、彼らは明るく逆境を跳ね返しておりました。きっと一生で忘れられない2日間になったことでしょう。

さて、私は実は今年で全日本合唱コンクールに20年連続して出場したことになります。コンクールについてはどちらかというと懐疑的な考え方をしており、その考え方は別にゆずりますが、その意見を表明するためにも、合唱指揮者としての自身の修行のためにも、努力をしてこれまで出場を続けて来ました。人生をわりと数字とともに生きて来ましたので、20年欠かさずどこかの合唱団で出場し続けたことで、私にとっては一つの目的を達成したということになります。
20年前の広島大会、「なにわコラリアーズ」で初めての出場を果たしたのですが、学生の時から私の力を評価していただいていた崇徳高校の天野先生から「良かった良かった、君はこのまま10個くらい金賞もらって実力示せばいいよ」と言っていただいた言葉が忘れられず、「なにわコラリアーズ」ではそのまま10年連続金賞を獲って力を示す、ということを自身の目標として奮闘して来ました。その後、このまま繰り返しても意味が薄いと考えて「なにわコラリアーズ」の出場を止め、男声合唱とは別の合唱修行をするという意味で別団体であと10年間の全国大会出場を努力目標として掲げて来たわけです。お蔭様で、この間、淀川混声合唱団、アンサンブルVINE、名古屋大学コールグランツェ、同志社グリークラブで全国大会に出場することが出来ました。目標達成したということでは、これ以上コンクールに出場し続ける理由を探すほうが難しくなりました。
来年は京都ということですので、ひとまず「目指す」理由はあるように思います。加えて、29個もの金賞を獲っていながら、一番金賞が欲しいはずの「同志社グリークラブ」だけが金賞を取れていないという事実が、私の喉元の骨ではあります。私の人生は「ねばならない」をモチベーションにしてきましたので、来年はひとまず、その「ねばならない」に対して、エネルギーを注ぐことにしましょう。しかし、そろそろ、人生の纏め時期に入りました。もっと大きな「ねばならない」に向かって、ポストコンクールということも視野に入れた活動をしていかねばならないと思っています。

  

P.s 赤レンガテラスで作成した「雪だるま」です。よく出来ました。

    
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