京都のわらべ歌を集めて子どもたちに教えよう


街中から子どもの歌声が消えて久しくなりました。「かごめかごめ」や 「はないちもんめ」などの懐かしい遊び歌はもちろん、手まり歌も歌わ れなければ「かくれんぼするもの寄っといで…」という掛け声すらも聞 こえてきません。遊び場としての「スペース(空き地や原っぱ)」が見 当たらなくなり、時代とともにコミュニケーションの形態が変化し、子 どもの興味そのものもパーソナルなもの、スピーディなものへと変わって きているのでしょう。しかしその一方で、学校教育の現場や昨今取りざ たされている諸問題への解決方策においても、子どもたちを取り巻く 環境である「地域力」や「地域で感受性を育てること」の必要性が叫ば れてきております。「地蔵盆」や「祇園祭の山鉾」等にも代表されるよ うに、京都という町は本来「地域ぐるみで子どもを育てていく」という 習慣の根付いていた町だったと思います。また、その歴史性からも沢山 の「わらべ歌」や「遊び歌」が親から子へ孫へと歌い継がれておりまし た。

このプロジェクトでは、大人と子供をつなぐミッシングリング的存 在である大学生を媒介に、今やあまり歌われない「わらべ歌」を発掘し、 実際にそれを使って遊んでみることを企画しました。子供たちを中心に して形成されてきたコミュニティの持つ意味や力を回復させること、芸 術性ではなく現代的な生活の中に「手をつなぎ身体をぶつけ合う(スキ ンシップを伴う)」遊びの要素や、節を付けて呼びかけあうことでの一 体感の醸成を試みること、季節感や細やかな情緒を感じさせる言葉を息 づかせること…、それらのことを含めて、「わらべ歌」が取り持つ地域 コミュニティ形成と情感共有の可能性を探ってみたいと思ったのでした。

取組みを通して、様々な方の協力により「わらべ歌」に宿る人々の思い や、そこに込められた歴史文化の豊かさを感じることが出来ました。半 年の活動は、壮大な可能性のほんの端緒とも言えるものであったと思い ますが、このことが様々な動きへのきっかけにでもなればと思いDVD として纏めた次第です。わらべ歌そのものの存在と同様、内容は学術的 なものではありません。諸説ある節回しや語源、言葉遣い、イントネー ションを含めて一つの正しさを追求することに終始せず、もとより「全 ては遊び心の産物であった」ことを念頭にした活動に対して、合わせて ご理解いただければ幸いです。