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 再び父のこと

福知山の土師の生家を見下ろす場所に父のお墓が出来ました。
父母のお墓の傍です。

monument

人生を聾者の権利獲得のために費やした父親でしたが、苦労やその時々の 心情を短歌で綴ってきましたので、お墓の横には父の字で品良く小さな歌 碑を作りました。
納骨式には地元におられる父の小学校時代の同級生たちが花束をもって駆 けつけてくださいました。
前日から降っていた雨があがり、五月の青い空が見えました・・・。

父の遺言はたった一つしかなく、まさにこのお墓のことだけでしたが、当初、 京都市内から随分離れた場所にお墓を作ることに大反対だった母もこの日の 風景を見て諦めたというか、納得した様子でもありました。
生前の父はお墓参りに来るたびに、幼い私にも「わしの墓の土地は買ってあ るんやで、ここに埋めてや」とばかり繰り返し、墓地のそばから生家を見下 ろしていました。自分自身の少年時代の思い出を何度も何度も聞かせてもら っていましたので、私には父がどんなにこの土地を愛していたかが分かります。 墓地からは少年時代に駆け回って遊んだであろう野山や川が広がり、わずかな 町並みが緩やかな空気の向こうに見えました。

父の人生は、新米教員として偶然赴任した京都府立聾学校で突如目覚め、そ の後は他者や弱者のためにひたすら邁進していく尊いものだったと思います。 しかしながら土師時代からはその面影を見つけることが出来ません。もともと 八人目の末っ子でもあった父はきっと父母や兄姉たちに可愛がられて育ってき たに違いありません。家族写真を見る限り、決して聡明そうな顔には見えず、 ぼんやり、はにかみ、甘えん坊の年の離れた少年の表情が浮かんできます。

大好きな土地の土に父の骨を埋めました。
父母のそばに帰り、少年時代に戻ったように喜んでいるのでしょうか。いつか 一緒にお墓を探したことのある大好きな姉さんにも会いに行ったでしょうか? 落ち着くと今度は木や花になって土師の地を見下ろしているのでしょうか。風 や雲や星屑になって、その眼差しで私たちを見守ってくれるでしょうか・・・。

名残惜しく福知山を後にしました。
その日の福知山の空の色を私は二度と忘れないように思います。父が少年時代 に見た空はこの空だったんだなあと思いました。時間を超えるようなやわらか い色の空でした。

P.s
私が思い描く父の幼い頃の話(膝にかさぶたを作った少年の話)はまた別の ページで。

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