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 映画のこと、その他  

デルス・ウザーラ 私が映画館で最初に映画を見たのは小学校二年生の時です。しかも中身は漫画アニメ でも子供向け映画でもなく、黒澤明が当時のソビエト連邦で撮ってアカデミー外国語 映画賞を獲得した「デルス・ウ・ザーラ」(シベリア調査の使命を持った軍人と密林 案内人の友情物語)でした。何だかわくわくしながら家族で観に行ったのを覚えてい ます。もっとも子供が見てもそれなりに分り易い作品で、隣の父が小声で解説を入れ てくれてましたし、「友情からもらった新型銃が仇になったラスト」は何とも切ない 気持ちになったものでした。私も「デルス」を気に入っていましたが、父は珍しいこ とにサウンドトラックのレコードまで買っており(レコードなど買ったこともないの に)、エレクトーンを習っていた兄は「鷲の唄(我が鷲よ灰色の翼の鷲よ)」という 挿入歌を毎日のように弾かされていました。父はお客が来る度にほろ酔い状態で兄を 呼びつけては、兄の伴奏でいつもその歌を歌っていましたし、私は父親にたくさん手 伝ってもらって描いた「デルス・ウ・ザーラの絵」によって地域の絵画コンクールに 入選したりしていました。家中が父親に巻き込まれて「デルス」によって盛り上がっ ている感じでもありました。

同じ頃、父親が一緒にお風呂に入りながら粗筋をしゃべってくれた映画がありました。 (余談ですが、父は本当に語り方や話が上手だったと思います。留守がちだったので、 幼い私たち兄弟のために昔話や童話をオープンリールに吹き込んでくれ、私たちは毎 晩寝る前にそれを聞いていたのでした。・・・)
さて、夜にテレビでその映画の放映があったのですが、父の話があまりに面白そうだ ったので、結局私は眠い目をこすりながら特別に父と一緒に見ることになったのでした。 長らく私はそのタイトルのことを思い出せなかったのですが、本格的に映画を見だす ようになった後、それがジャン・ルノアールの名作「大いなる幻影」(第一次世界大 戦を舞台にしたフランス人捕虜を題材にした作品)であったことを知りました。面白 いことにいずれも小学二年生の時の記憶でしたが、父親の解説とともに映画の記憶は 鮮明で忘れられません。その後も「影武者」「七人の侍(リバイバル)」等は父親に 連れられ家族中で映画館に出向きましたし、久しぶりの新作となった「乱」などは父 は随分楽しみにしていて、公開前にすでに「夢の中で見た」と家族に言って騒がしい 状態でした。

父親の若い頃がちょうど映画の隆盛期であり、他に娯楽も少なかったということが 大きいのでしょうが、父は映画好きで、特に黒澤明の映画ファンだったようです。 少しでも黒澤の記事が出ていると普段は読まない雑誌なんかも買い求めていましたし、 家には黒澤の画集からシナリオから、研究書、エッセイにいたるまで揃っているよう な状態でした。
そんな父親に教えられたり勧められた影響で、私自身も映画好きになり、大学では 映画を素材にした卒業論文を書くために、自宅で大量に映画のビデオを見ていたの ですが、よく家に来られていた(若い日の映画仲間の)明石欣三さん(※)が私の そばを通りかかり、「お、何を見てる?ああ、これは知ってる、良い映画だよ」と いうようなことを言って(手話でまくしたてて)おられたものでした。

花咲き山 映画に限ったことではなく、父はいつもいろんなことに真剣に興味を持っていまし たし、子供たちへの「勉強以外の」教育にも熱心でした。特に本にはかなりエネル ギーが割かれており、良い本が厳選されましたが、本屋に行くと好きなだけ本を買 ってもらえ、兄はかなりの本好きになっていました。私は父から映画の話をたくさ ん聞いたことによって、高校時代には難しい映画を見に出歩くようにもなっていま した。父自身が絵を教えていたことがありましたが(年賀状の絵なども筆でさらっ と描いて上手でした)、絵画の展覧会なんかにも良く連れて行かれ、私が夏休みの 絵の宿題を適当に描いていると必ず駄目だしが出て、結局一から全部描き直すこと になっていました。あれだけ忙しい人でしたが、私の絵が完成するまで手を抜くこ となく指導(時には手伝い過ぎて、母から怒られていましたが)してくれましたし、 ろう学校での文化祭の劇のシナリオを小学生の兄に指導しながら書かせたこともあ りました。それから、これはどういうわけでそうなったのか思い出せませんが、家 にはずらっと「滝平二郎/斎藤隆介」の絵本が並んでおり、それをもとにしてセロ ハンを切りながら「花咲き山」の絵本を家族で幻灯にして作ったことがありました。 この大傑作の幻灯は父が朗読をして吹き込んでおりましたが、客が来るたびに父の 指導のもと家族総出で上映されたものでした。
父は、多趣味というよりやはり「教師」で、子ども向けに漫画化されたり幼稚化さ れたものではなく、芸術的文化的に価値のあるもの、大人向けの本物や本当に良い ものをそのまま子供に見せようという思いと意欲に満ちていたのだと思います。

・・・最晩年、すでに病床にあった父親に出たばかりの「黒澤明」のDVDセットを プレゼントしました。実家に持っていった際、父は懐かしい「デルス・ウ・ザーラ」 の前編だけを私と一緒に見て、「後編はまた・・・」、と言いながら疲れて寝てしまい ました。その後、体調が悪化して最後の入院をすることになりましたので、後半を 見たのかどうかは知らないのですが、お酒を飲んで機嫌良く歌っていた「(鷲の唄) 我が鷲よ灰色の翼の鷲よ」のフレーズが思い出されたものでした。

全国手話通訳問題研究会の機関紙(4回シリーズ)より
 
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