「女の愛と生涯~千原/みなづき版」演奏に寄せて

…時々考えます。私たちは歴史の中に生きているのでしょうか、それとも私たちの中に歴史があるのでしょうか。私たちは時代を生きるとともに、体験してきたことの想い出や記憶とともに生きているとも言えます。ですから「時間」は私たちの中にも外にも存在し、それぞれ別の流れ方をしていると言えるのではないでしょうか。

また、私たちにとって生と死とは互いに反対の世界に位置するものなのでしょうか、死とは生の後に訪れるものなのでしょうか。私はこうも思います。私たちの生はそもそも「死を抱えながら存立しているのだ」と…。

さて、シューマンの名曲「女の愛と生涯」を物語ふうに翻訳し、千原英喜先生に合唱曲にしていただいたうえで指揮をするという貴重な経験をさせてもらっています。このタイトルからは、どうしても女性の幸せが「受け身」であることや、「結婚や出産」に収斂されているかのような古い思考パターンを喚起してしまいがちです。確かにテキストの内容はいかにも世の男性の秘めた願望(先に死ぬ夫を悼んでほしい)すら読み取れてしまいますが、私がこの間ずっと感じていたことは、そのような表面的なストーリーではなく、むしろ、もっと普遍的な「私たちの生と死を取り巻く時間の物語」でした。

私たちは、歴史に翻弄され、時代に翻弄され、社会に翻弄され(もしくは少しは助けられ)ながらも、与えられた環境の中をひたすら生きます。そうしているうちに外の時間はどんどん過ぎ去り、私たちはいずれ年老いていくのですが、時間はいつしか私たちの中にたくさんの思い出や記憶を生み出し、様々な人との関りを織りなしていってくれます。

つまり、私の中には「あの日の私」がいるとともに、誰かの記憶の中にも「あの日の私」がいるかもしれないのですね。そして、それぞれの時間を丁寧に見出す「まなざし」こそが「愛」なのではないかと思います。「思い出すこと/思い出されること」「私を/あなたを/誰かを」…私たちはこの繰り返しの中を生きているのです。まるで瞳を開くことと閉じることの繰り返しのようにして「愛し/愛されている」ように思います…。

2019.12.1