1)王子との出会い
「ウワバミに飲まれた象の絵なんていらない」
王子がそう言ったので僕は驚いた。
何しろ僕が子供の頃に描いたその絵は、誰からも帽子としか思われなかったからだ。そして大人たちは、そんなくだらない絵を描いてるくらいなら勉強しなさい、と言ったものだ。つまり、王子は僕の絵を理解した最初の人だった。でも今更言われてもねって思ったよ。なにしろ、とうに画家になることを諦めてたんだから。
「ねえヒツジの絵を描いて」
王子はそう言った。
でも僕は上手く書けずに何度もスケッチブックを破り捨てた。
「もっとかわいいヒツジ」
「角はいらない」
「もっと長生きしそうなヒツジ」
「だから、上手く描けないよ。何しろ、僕は絵の勉強をせずに算数や歴史の勉強をしたんだから」
「もう一つ別のを描いて」
いくつ描いても王子が気に入らなかったから僕は四角い木箱を描いて渡した。
「ここに君のヒツジが入ってるんだよ、それでどうだい?」
「なるほど、これは良いねえ。ありがとう」
王子は大きな笑顔を見せてくれた。頬を少し赤らめて。
1 君のヒツジが歩きだす
スケッチブックを開いて
力いっぱい描いてみた
一本の線を
すると、それは水平線になっていった
どこまでも伸びていく水平線
その向こうには何があるのだろう
船を浮かべると冒険旅行の始まりだ
一本の線が僕らを不思議な世界に連れて行く
風が起こり
雲が動く
波の音が聞こえるよ
渡り鳥も鳴いている
パレットに絵の具を溶いて
力いっぱい描いてみた
大きな渦巻を
すると、それは星になっていった
誰も知らない宇宙の中で
きっとあるに違いないこんな星
覗き込むと手を振る人が見つかるよ
丸い渦巻が僕らを世界の果てに連れて行く
目が回り
世界が動き出す
星のささやきが聞こえるよ
流れ星が光ってる
四角い箱に入っているのはヒツジ
やがて出てきて草を食べていく
描いた絵は動きだす
描いた動物が走りだす
描いた鳥が飛び立つ
描いた花が語り掛ける
ほら、心が魔法をかけるのさ
すると世界はちょっと面白くなるんだよ
2)
B612という小惑星を知っているだろうか。火星と木星との間に無数にある小惑星群の一つで、かつて一度だけトルコの天文学者に観測されたという伝えがある。王子はそこからやってきたんだ。王子はその星のただ一人の住人で、星は王子が少し歩くだけで一周できるくらいに小さかった。
僕は、その時自分の操縦する飛行機の故障でサハラ砂漠に不時着をしていた。そこでその星から来た小さな王子と会ったんだ。
「ねえ、バオバブの木を知ってるよね」
「知ってるよ、アフリカのサバンナなんかに生えてる巨大な木だね」
「ヒツジの絵を描いてと言ったのはね、ヒツジに木の芽を食べてもらうためなんだ。ねえ、ヒツジは小さな木は食べるでしょ?」
「ああ、たぶんね」
「僕は星で一生懸命に木の芽を摘み取ってるんだよ」
「どうして?」
「なぜなら、同じようにとても小さなある星では、たった3本のバオバブの木が育ちすぎて星を破壊したって聞いたからね」
「そんなに強いの、バオバブの木は?」
「そうだよ。恐ろしいんだよ。だから、バオバブの木が育ってしまわないように、注意深く摘み取ってるんだ。でも、これからは君の描いてくれたヒツジが食べてくれると良いな、って思ったので」
王子は頬を赤らめながら言った。気品があってチャーミングな表情だった。そして王子は僕に尋ねた。
「君は何をしていたの?」
僕は遠くにあった一人乗りの飛行機を指さした。そして、僕が飛行機の操縦士ということ、今は不時着をして、飛行機を直そうと思っているところだということを伝えた。そして、水が十分にないから、早く直してしまわなければならないことも説明した。
王子はすました顔のままだった。まるで心配はそんなことではない、というふうに彼方の空を見ていた。
「ねえ、僕は夕日が好きなんだ」
「夕日か、砂漠の夕日は確かにきれいだよ、でももう少し待たないといけないかな」
「僕の星は、小さな星なのでいつでも夕焼けが見えるんだ」
「どういうこと?」
「地球だったら、場所によって夕焼けの時間が違っているでしょう?」
「確かに、例えばフランスのパリとサハラ砂漠では夕焼けの時間が違う」
「僕の星は小さいから、少し歩けばいつでも夕日を見に行けるんだよ、ここでは飛行機で行かないといけないんでしょう?」
王子は故郷の星ではずっと夕日を見ていたんだ。
悲しいときに、悲しい気持ちが収まるまで。時には1日に44回も。
2 僕の星では
夕日は何も語らない
でも、僕は夕日を見る
何度も、何度でも
夕日は決して微笑まない
だから僕は目を閉じる
そのまなざしを受けるため
悲しみがなくなるわけでもない
苦しみが消えるわけでもない
でも、夕日は僕の心を見つめる
そして、温めてくれるのだ
複雑に絡み合った僕の心を
ゆっくりほどいてくれるのだ
そのとき
君にも聞こえるに違いない
夕日の奏でる音を
フルートのような素朴な音色を
夜空は何も語らない
でも、僕は夜空を見る
何度も、何度でも
夜空は決して呼びかけない
だから僕は目を閉じる
星の言葉を聞き取るため
不安がなくなるわけでもない
後悔が消えるわけでもない
でも、夜空の星は僕の翼を照らす
そして、励ましてくれるのだ
折れそうになった僕の翼を
再び開かせてくれるのだ
そのとき
君にも聞こえるに違いない
星が歌う声を
コーラスのようなきれいな音色を
3)
王子の星でのお話です。
ある日、どこからともなく流れてきた植物の種から芽が出ました。
王子は恐る恐る調べてみたのですが、それは星を破壊するバオバブの芽ではありませんでした。膨らんだのは薔薇の蕾だったのです。
薔薇は王子が見守っているのを知りながら、咲き頃を見計らい、ゆっくりと化粧をし、少し迷いながらもドレスを選んでは重ね、時間をかけて髪を梳きました。そして、朝日が昇るのに合わせて優雅に花びらを開いたのです。
「ねえ、呼んだらすぐに来て」
「私は強い風がきらいなの」
「水は少しずついただきたいの」
「光が眩しいわ」
「獣が来たりしないかしら、心配なので囲いを作って」
「少し一人にして欲しいの」
「何かお話をして」
薔薇は注文ばかりしたのです。
気位が高く、自分は特別だと考えていたのです。
「私はそこらへんの草じゃないの」
そして自分は注目され、尊敬されるべきだと考えていました。
王子は薔薇に言われるたびに、少しの戸惑いと疲れを感じながらも懸命に世話をしていたのです。
4)
最初の頃は良かったのです。
王子は、美しい薔薇に心を動かされ、じっと眺めながら、薔薇のために心を砕きました。
しかし、徐々に王子は薔薇に振り回されるようになって、やがて、いろんなことがうまくいかなくなっていってしまいました。
そのことが王子の一番の悩みでした。
王子はだんだん辛くなっていきました。
「ねえ、ここは設備が悪いのね、私が前に住んでいたところは、、」
薔薇はそう言って言葉を止めると咳払いをしました。自分の言ったでたらめがあまりに不自然だったのでごまかすために。薔薇は種でやってきたのですから、前に咲いてた場所なんてないんです。
王子は薔薇のそんな言葉に振り回されながら、だんだん悲しい気持ちになっていきました。そして、その悲しい気持ちを和らげるためにいつも夕日を見ていたのです。
でも、ある日ついに王子は薔薇と喧嘩してしまいました。薔薇があまりにも気位が高かったので、たまりかねて。
3 薔薇よ
My gentle rose
I love you with all my heart
The rose smelt sweetly
The rose sang lovely
薄い朝もやの中で
薔薇の花が咲いた
僕の心を
小さな微笑みが照らした
薔薇は優しい香りを放った
薔薇は美しい声で歌った
それから僕は
薔薇を見つめ、水を与えた
薔薇に語り、風から守った
でも、どこですれ違ってしまったのだろうか
僕は一日中オレンジ色に滲む夕日を眺めるようになった
薔薇に背を向けて
僕はもっと君を大切にすべきだったのだろうか
…いや、もっと深く知るべきだったのだろう
愛することの真実を
薔薇よ
僕は心からお前を愛していたんだ
でも、何かがうまくいかなかった
かけがえのない僕だけの
一輪の薔薇よ
My gentle rose
I love you with all my heart
In the thin morning haze
Rose flowers bloomed
My heart
A small smile lit up
Roses emitted a gentle aroma
Rose sang with a beautiful voice
Then I
Staring at the rose and giving it water
Spoke to the rose and protected it from the wind
But where did we get lost?
I started watching the orange sunset all day long.
Turn your back on the rose
Should I have taken better care of you?
… No, I should have known more deeply.
The Truth of Loving
Rose
I loved you with all my heart.
But something went wrong
Only for me, irreplaceable
O Rose
5)
王子はずっと夕日を見ていたのですが、どうしても辛くなって星から脱出することにしたのです。星を渡る鳥たちの群れを使って。
王子は薔薇に言いました。
「さよなら、風よけの覆いをしておくね」
「いいのよ、私もあなたがいなくなって少し寂しくなるかもしれないし」
「でも風はきらいでしょ」
「少しなら大丈夫。誰かがここを覗いたときに分かるほうが良いから。あ、蝶々さんってきれいなんでしょ、来て欲しいな」
「でも、嫌いな獣が来るかも」
「私には爪があるのよ、毛虫も我慢するわ」
「爪って4つしかない棘のことかい」
「もういいのよ、わたしバカだった、ごめんなさい」
「えっ、謝るのかい」
「知らなかったでしょ、私好きだったのよ」
「え?」
「あなたを、ごめんなさい、私がバカだった、でも、あなたも多少バカだったけれど」
王子にとっては薔薇の言葉は棘のように突き刺さったままになってしまいました。戸惑う王子を見かねて薔薇は言いました。
「さあ、行くって決めたんでしょ、早く出発して」
薔薇はプライドが高いので自分が泣いているところを見られたくなかったのです。
6)
それが王子から聞いた星での話なのさ。
戸惑い、後ろ髪を引かれながらも、王子は星を去ることになったんだ。
ある夜明けにね。それから王子は旅に出た。勉強のつもりで別の星を渡り歩いた。何しろそれまで王子は自分の星のことしかしらなかったので、この世界や人生のことを少しでも知ろうとして、小惑星の中の小さな星々を順番に回ったんだ。
そして、この世界の中には変わった人が多いということが分かった。
最初に行った星は、やたら命令したがる人がいる星、
2番目に行った星は、やたら褒められたがる人がいる星、
3番目の星は、お酒を飲んで恥ずかしさから逃げたくなる人の星、いやお酒を飲んで何かから逃げようとしている恥ずかしさをお酒の力でごまかそうとしている人の星というのかな。
4番目の星は、仕事に縛り付けられていて数字ばかりを並べ出してくる人の星、
5番目の星は、何も考えることなく規則だけを守ろうとする人の星、悪い人というわけではないんだよ、
6番目の星は、自分は冒険をすることなく冒険してきた人の話ばかりで論文を書こうとする人の星だ。
僕は王子の星巡りの話を聞きながら、そう言えばその変わった人たちは全て地球の中にもいるな、と思ったよ。そう、それは地球という星にいる大人という名前の生き物の特徴を言われているようでもあったからね。
春風の香りに気付かない、なぜなら忙しかったからって。そんなことある?
でも、いるだろ周りに、そんな大人が。
4 春風の香りに気づかなかったなんて
春風の香りに気付かなかったなんて
そんなことってある?
ある?
あるんだよ
何故なら忙しいからね
大人はみんな
命令したり、嘆いたり、数字を数えたり
そして結局何も見つけられないんだよ
そんなことってあるのかな
雲の表情に気付かなかったなんて
そんなことってある?
ある?
あるんだよ
何故なら忙しいからね
大人はみんな
規則を読んだり、怒ったり、褒められようとしたり
そして結局何もわからないんだよ
そんなことってあるのかな
どうしてなんだろう
決められたルールを守る
でもなんのため?
冒険しない
じゃあ何もいらないの?
大事なことを逃してしはだめだ
たとえ時間を節約したとしても
見つけた時間で何も見つけられない
そんな大人になってはならないよ
さあ
自分の足で確かめよう
自分の手で掴みとろう
ほら、世界は色と香りでできている
ほら、愛する人は隣にいる
ほら、知らなかった謎がたくさんある
この世界の法則は自分で見つけるものなのさ
7)
王子は6つの星を巡ったとき、その星の地理学者に、ようやく7つ目の星であるこの地球のことを教えてもらったんだ。そして流れ星に乗って地球にやってきてサハラ砂漠の真ん中に落ちたんだ。
何しろ、こんなに大きな星に来たことはなかったので、王子は驚いた。しかも砂漠しかなく、誰もいないのだからね。王子は地理学者に教えてもらった「はかない」という言葉を思い出しながら、薔薇のことを考えてため息をついていたんだよ。そして、そんな王子に初めて声をかけたのは黄色いへびだったようだ。黄金色と言うのかな。
「こんにちは」
「こんにちは」
「お前は何をしていたんだい」
「僕はあの星からきたんだ。せっかく咲いてくれた花と上手くいかなくなってしまって。ここは寂しいところだね」
「人がいないからね、いたとしてもこの星は大きいから、比率にするとわずかだけどね」
「君は変わった動物だね」
「こう見えて俺は、けっこう強いんだぜ」
「でも足もないね」
「でも、例えばいろんなことを一発で解決させられる」
「どういうこと?」
「例えば、俺がお前の悩みを全部ほどいてやることだって出来る」
「そんなこと出来るの?」
「まあな、もしも、お前が本気で故郷の星に帰りたくなったらいつでも言うんだぜ。お前のように純粋でか弱そうな子どもは、こんな冷たい岩石だらけの星だと暮らしにくいだろうよ、俺はお前を故郷の星に送り届けることが出来るんだから」
「分かったよ、ありがとう、そのときにはよろしくね」
それから王子は人を探して歩き回った。でもどこにも人はおらず、ようやく一本の道だけがあった。そしてようやく見つけたその道を辿っていくと薔薇の園があったのさ。王子はたくさんの薔薇が咲いているのを見て驚いたんだ。何しろ薔薇は一本しかないと思ってたからね。「なあんだ、この世界にはこんなにたくさん薔薇があったんだ」王子はたくさんの薔薇を見ながら「自分はやはりあの薔薇に騙されていた」と思ったんだ。
8)
その次に王子に声をかけたのは一匹のキツネだった。
「こんにちは、ここだよ、りんごの木の下を見てごらん」
「誰だい?君、ねえ、他に誰もいないんだよ、僕と友達になってくれない」
「ダメだよ、君とはまだ初対面だから、君は僕をなつかせてくれないと」
「なつく」
「そうだよ、絆を結ぶっていうのかな」
「なるほどね」
「君はきれいな髪の色をしているから、僕は友だちになってもいいよ」
「じゃあどうすれば良いの」
「忍耐かな、時間かな、時間をかけて君は僕のことを好きになってくれて、僕のことをかけがえないって思ってくれるなら」
「分かった、僕も君と友だちになりたい」
王子はキツネの隣に腰を掛け、それからいろんな話をしてみたんだ。キツネはたくさんの知識を持っていて王子に教えてくれたようだよ。王子が薔薇とのことを話すとキツネは言った。
「もう一度薔薇の園を見てきたらどうだ?君はたくさんの薔薇を見るだろう。でも君が星に残してきた薔薇と同じ薔薇がいただろうか?そのことに気づいたかい」
王子は慌てて薔薇園を見に行った。見つけた一本道を通って。
確かにたくさんの薔薇が咲いている。そしてキツネの言葉を思い出しながら薔薇をじっと眺めてみた。でも眺めれば眺めるほど、星に残してきた薔薇のことが尊くも感じられるような気がしてきたのだ。はかない、という言葉も再び頭をよぎった。
「僕の薔薇は一輪もなかった」
「そうだろう、君の薔薇はなかっただろう」
「どうして僕は言葉なんかを信じてしまったのだろう
よく考えてみれば分ったことなのに
世界から身を守るのにたった四つしかとげを持たない薔薇
本当は信頼と愛情に裏打ちされていたんだ
僕は言葉なんか信じずに香りに包まれていれば良かったんだ
僕は言葉なんか信じずにその色に見とれていれば良かったんだ」
王子はそうやって自分を責めるようにうなだれた。
「誰でも、なかなか気づかないものさ」
(キツネは言った)
「でも、君はどうしていろんなことを知っているんだい?」
「いや、僕は君の気持ちに寄り添ってるから、君の呼吸の音を聞いてるだけなんだよ、大事なのは知識じゃない」
「そうか、君は僕の気持ちを汲んでくれてるってことかな」
「そうだね、だんだん君のことをかけがえない、と思い始めているらしい」
「かけがえのなさって何だろうね」
「誰とも違う君の足音を聞き分けられるってことさ」
「ああ、僕の薔薇が違うようにだね」
「僕は、麦畑を見るだけで君の髪の毛のことを思い出すだろう」
王子は、薔薇園の薔薇と星に残してきた薔薇のことを交互に思い出しながら、徐々に隣にいるキツネが自分の様々な気持ちに気づかせてくれているように感じてきたんだ。
5 りんごの木の下で
言葉なんていらないだよ
隣に座ると君のぬくもりが伝わってくる
相槌だって要らないんだよ
君は遠い光を見つめてる
君の見ているものを見るだけで
それだけで気持ちが通じるよ
理屈なんていらないんだよ
隣にいるだけで君の思いは伝わってくるから
説明なんていらないんだよ
君は風の音を聞いている
君の聞いているものを聞くだけで
それだけで気持ちが通じるよ
時間が二人の輪郭を一つにする
触れること
感じること
隣にいるだけで幸福に包まれる
当たり前の時間が特別の時間になっていく
当たり前の景色は特別の景色になっていく
絆で結ばれる
この世の中で最も尊いことさ
隣り合っているだけで
僕は君の鼓動を感じている
かけがえない人…、
目を閉じていても
僕は君の足音を聞き分けられるだろう
かけがえない人…、
耳をふさいでいても
僕は風になびく君の髪の毛を見分けられるだろう
9)
そう、そろそろ僕の話をしよう。僕は無理解な大人に囲まれた子ども時代を経て、孤独で心を通い合わす人もいないまま飛行機の操縦士になったんだ。
<飛行機は、自由への憧れと意思の翼を併せ持つ>
<飛行機は、夢と地球の重力の均衡の中で両腕を広げて浮かぶ少年だ>
<飛行機は、星のまたたきに見守られる>
僕は、誰かを乗せるのではなく、荷物や手紙を運搬する孤独な仕事についた。空は僕を自由にし、星々に近づくことで僕は新しい心を手に入れることが出来た。そして、空はそれまでに意識したことのない地球の表情を見せ、生と死の在り方のようなものを力強く僕に示してくれた。
<飛行機によって、僕は地球を知った。そして、飛行機によって僕らは人間の歴史を読み直している>
<飛行機のおかげで、僕らは直線を知った。そして僕らは発見する。地表の大部分が、岩石や、砂や、塩の集積であり、生命とは廃墟の中に生え残るわずかな苔の程度に、ぽつりぽつりと花を咲かせているにすぎないことを>
<地球は山と砂漠の荒野、海と空の吸い込まれそうな緊張、満点の星を映す鏡>
僕は考えた。道や家が人間のために作られてきたために、僕らは地球や大地の都合の良い表情しか知り得なかったのだ。空から見ると、道など見えず住みやすさとは無関係に地球の呼吸が見える。呼吸し合う空と海との緊張が見える。僕が飛行機に乗るようになって気づいたことは少なくない。飛行士は僕にとって天職なんだ。
6 飛行機は
私たちは飛ぶことで世界を発見した
空から見ると
地球には大地と海があるだけだ
大地には山と川があるだけだ
どこまでも続く輝く緑と美しい砂漠
それが私たちの星なのだ
空から見ると
ひとの作ったものなど見えず
大自然の営みだけが感じられる
どこまでも続く岩石や氷河に覆われた土地
それが人間の土地なのだ
空は繋ぐ
海と陸とを跨いで
山と川とを飛び越えて
この星が一つの球体であることと教えてくれる
空は結ぶ
国境線などどこにもなく
敵と味方はわからない
あるのは嵐と風
雲と雷
さあ空から眺めてみよう
気づかなかったことに気づけるはずさ
さあ空を越えてみよう
何かを発見出来るはずさ
ああ、飛行機は舞い上がる
荘厳なパイプオルガンの音色とともに
10)その後
僕は夜の星々と地上の灯りを見ながら定期航路を飛行していた。
<平原のそこここに燃える灯り>
<宇宙に灯った星々の灯り>
飛行機に乗ったことで、僕は気づいたんだ。点在するものたちと心を交わし合う必要のあることを。それこそ、絆を結ぶ必要があるということをね。
でも、その時僕は自ら操縦する飛行機の機械の不調で、このサハラ砂漠に不時着した。地球には人がいない土地のほうが圧倒的に多いんだから当たり前だ、と思いながらも孤独な気持ちで飛行機の修理をしようと思っていたところだった。見渡しても誰もいない砂漠で僕は、小さな星から来た小さな王子に声をかけられたんだよ。それはまるでオアシスを見つけたようでもあったんだ。
王子は最初は積極的に話をしたわけではなかった。でも、ヒツジの絵をきっかけにして、僕が問いかけると、ぽつりぽつりと語り始めた。そして徐々にいろんなことを話してくれるようになったんだ。
ふるさとの星での話、薔薇と喧嘩をした話、さまざまな星を巡りへんな人たちと出会った話、地球に来てから黄色いへびと出会った話、物知りなキツネと友情を交わした話…、そして、僕は自分の好きな飛行機について語ったんだよ。延々とね
11)
でも、出会ってから5日間ほどしたとき、僕は残りの水の少なさに焦っていた。そして、言ったんだ。
「ねえ、王子。僕らは、水を探さなければならない、実は身の上話をしているどころではなくなってきているんだ、ほら水筒の水はこれっぽっちしか残ってない」
「井戸を探そうよ」
王子はそう言ったが、僕には砂漠で井戸を探すことがどれだけ難しいことなのか、あるいはひょっとすると無意味なことかもしれないことをよく理解していた。それでも、王子を落胆させないように気遣いながら歩きだした。
「そうだね、まあ、とりあえず探してみよう」
砂漠は夜になり冷え込んだが、喉の渇きが二人の身体を火照らせた。
でも、満点の星空は冴え冴えと僕と王子の二人を見守っていた。そこには星の光を妨害するものは何もなかったので、僕らはとても美しい星空の下を歩いていた。そのうち、疲れたのか王子が座り込んだので、僕も隣に座った。
「砂漠はきれいだね」
王子は言った。でも、僕はどのように水を手に入れたらよいのか分からず、徐々に、絶望的な気持ちになっていった。王子は構わずに続けた。
「砂漠がきれいなのはね、井戸を一つ隠してるからなんだよ」
王子の語り口に僕は不思議な気持ちになった。ふと絶望的な気持ちが遠のいていくのを感じた。そして、幼い日のことを思い出したんだ。僕が子供の頃に住んでいたのは古い時代のお屋敷だったんだけど、一度、家のどこかに財宝が埋まっているという話を聞いたことがある。そして、そのとき、家そのものが魔法がかかったように輝いて見えたことがあったんだ。結局財宝を見た人は居ない。でも、何か大切な秘密が隠されていることが、家を特別なものにしている気がした。僕はそのことを思い出していたんだ。
「そうだね、本当に大切なものは見えないね」
僕がそういうと、王子は僕に顔を向け大きな笑顔で言った。
「君はキツネと同じことを言ったね。僕は君のことが大好きだよ」
それから安心したように王子は眠ってしまった。とても心地良さそうにすやすやと。
僕は眠ってしまった王子の身体を抱き上げると、そのまま歩き始めた。王子の身体はまるで、壊れやすい宝物のようで、かすかに開いた唇が歌を歌っているようだった。そんな王子の寝顔を見ながら、僕はなんだか胸がいっぱいになったんだ。
「王子の胸の奥には一輪の薔薇の花が咲いている、王子は薔薇への誠実さを隠しているんだ」
そう思った。
7 砂漠が美しいのは
瞳が美しいのは
そのどこかに美しい涙を隠しているから
砂漠が美しいのは
そのどこかに井戸を隠しているから
あなたの心には一輪の薔薇がランプの灯りのように輝いていた
木が美しいのは
そのどこかに燃える花の色を隠しているから
空が美しいのは
そのどこかに誰かの夢を隠しているから
あなたの胸の中にある薔薇のことを
私は知っている
あなたの胸の中にある後悔のことを
私は知っている
あなたの胸の中にある不安のことを
私は知っている
あなたの胸の中にある不幸のことを
私は知っている
でも
あなたの心の中には一輪の薔薇がランプの灯りのように輝いていた
だからあなたの頬の中にある優しさと気高さのことも
私は知っている
たからあなたの手の中にある強さとぬくもりのことも
私は知っている
一番大切なものは
一番大切なものは
本当は目に見えないものなのだ
あなたの中にある美しい薔薇のように
12)
驚いたことに夜明けに井戸が見つかった。しかも、滑車がついて、桶や綱もある。僕が思い描いていたのは、砂漠に穴を掘っただけの井戸だったので、なんだか夢を見ているような気分になった。
王子が綱を持ち、滑車を使って桶を引き上げると、滑車は久しぶりの音を立てながら恥ずかしそうにきしんでいるように見えた。
「ほら、歌が聞こえるよ、音楽だ」
王子が言った。
手ごたえを感じながら桶を引き上げると、そこには朝日を映した水が入っていた。
「ほら、これが僕らが捜していたものだよ」
二人は交代しながら水を飲んだた。
「ああ、心に染みる水だね、二人で探した水だよ」
「ああ、クリスマスの日のキャロルを思い出すよ、喜びだよ」
水は二人の心の奥底にまで染みわたっていくように感じた。
「地球の人って、探しているものを見つけられないんだね」
「見つけられないね」
「砂漠の中に水があるように、大事なものは何かの中にあるのかもしれないね」
夜明けは蜂蜜色に空を染めていた。
僕は王子の隣にいて、ちょうど王子とキツネが結んだ絆のようなものが生まれているのを悟った。
13)ちょうど一年前の今日
その翌日のことだ。星から来た王子と僕が出会ってから1週間が経っており、運よく飛行機の修理はもう少しで終わろうとしていた。それを、見計らったように王子が言ったんだ。
「君と出会って1週間、僕がこの星に来てから、ちょうど一年が経つ」
「記念日ってことかな」
「ちょうどこの地域のてっぺんに僕の星が来るんだよ、君の飛行機も直ったんだよね。それで君は故郷に帰れるように、僕は僕の故郷の星へ帰る方法を聞いたんだ」
僕は胸に小さな痛みを感じた。別れの予感が不安な気持ちと混ざり合った。水を飲みながら感じた絆というものが、実は小さな胸の痛みを伴うものなのだということにも気づいた。
「なんだか怖いな、ここが君が落ちてきた場所だったの?ちょうど星がてっぺんに来る日を目指して君は歩いて来たんだね」
王子は顔を赤らめてうなづいた。
「君は帰るのかい」
「僕は帰りたい」
「君の星に帰るのかい」
「僕は僕の薔薇に責任がある、そのことにようやく気付いたんだ」
8 君の薔薇
探せば探すほど
見つけたいものは見つからない
急げば急ぐほど
手に入れたいものは逃してしまう
そんなとき
思い出そう
君が大切にしていた薔薇のことを
君の人生をかけがえのないものにするのは
君が懸命に生きた時間だ
例え、何かを成し遂げられなくても
例え、何かを手に入れられなかったとしても
君の人生をかけがえのないものにするのは
君が懸命に愛した時間なのだから
あれもこれもと思うほど
何も手元に残らない
誰かと比べてしまうほど
本当の思いは消えていく
そんなとき
思い出そう
君が大切にしていた歌のことを
君の人生をかけがえのないものにするのは
君が懸命に生きた時間だ
例え、思い通りにならなかったとしても
例え、夢が潰(つい)えてしまったとしても
君の人生をかけがえのないものにするのは
君が懸命に歌った時間なのだから
***(語りでも良い)
ある日きつねは言ったのさ
急いでも見つけたいものは見つからない
薔薇園にはたくさんの薔薇があるのに大切な薔薇はない
君の薔薇をかけがえのないものにしたのは
君が薔薇にかけた時間だ
君の歌をかけがえのないものにしたのは
君が歌に込めた思いの深さだ
***
14)
「君のは良い毒なんだよね、僕を長く苦しませたりしないよね」
壁の上に腰を掛けた王子が話していた。
僕はようやく飛行機の修理を終え、王子のほうに歩いていくと王子は自分が落ちてきた場所を丹念に探していた。そしてその付近にあった崩れた岩壁の上に腰掛けると、下を向いて話を始めていた。僕は王子に駆け寄った。
「何のこと、何を言っているの?」
「いいから黙って」
壁の下を見ると、黄色いへびが鎌首を擡げている。そう、それは猛毒を持っていて、一瞬のうちに人を死に至らしめるへびだった。きっと王子が地球で最初にあった黄色いへびだ。
「君はいったい」
僕が駆け寄るとへびはすっと砂の下にかくれた。
「どうしたんだ、どうしようっていうんだ」
僕は王子を抱きしめた。すると僕の胸には掌のなかで絶命する手前の小鳥のような心臓の音が感じられた。
「思い出してごらん、夜明けの水を、あの水は僕らの心の底にしみ込んだよね。思い出してごらん、ふたりで並んで話したことを、君は笑顔で星めぐりのことを話してくれたよね」
僕は震える声で言った。
「大丈夫だよ、全部覚えているよ、何しろ僕は君の描いたヒツジの絵を持ってる。出来たら口輪を描いてもらえないだろうか、なぜなら、僕が星に帰ったあと、間違ってヒツジが薔薇の花を食べたりしないようにしないと」
僕は頷いた。
「僕は君を失ってしまうのかい」
「そんなことはないんだよ、良いことを教えよう。プレゼントだよ。君は夜空の星を見上げて、そこから僕の住んでる星を探すことが出来る。きらきら輝いているのが僕の星、僕が笑っているからね。そこには一輪の薔薇の花が咲いてるんだ。君の心にはきっとその薔薇の花も見えるに違いないよ。そう考えると寂しくないだろ」
星空を見あげると、星は二人を見守るように瞬いていた。僕が少し震えているのを見ると王子は僕に寄り添い抱きしめた。
「ここでお別れにしよう、僕はへびに会いに行くんだ。ヘビは気まぐれだから君が噛まれてしまわないようにしなくてはならない。そして僕の体はきっと死んだようになるかもしれないのだけど、君はそのことを信じなくて良いんだよ。それは表面的なものであって、本当じゃないからね。何しろこの身体を小さな星に持っていくのは重過ぎるだろう。だから置いていくだけだからね。」
それから、ゆっくりと夜が更けていき、僕はどうすることも出来ず王子の手を取りながらその身体がぬくもりを保ち続けるのを感じていた。でも僕がついうとうとした隙をみて王子は故郷の星の真下に向かって歩き始めていたようだった。気が付くと王子は少し離れた場所で空を見上げていた。
僕が見守っていると、黄色い光のようなものが王子の踵で煌めいた。そして次の瞬間に王子はゆっくりと砂漠に倒れたんだ。僕はあっと声をあげただけで何も出来なかった。
王子は木のようにゆっくりと倒れ、そのまま動かなくなってしまった。でも死んだんじゃない。それは仮の姿だと王子は言っていたから。そうじゃなくって、魂が星に戻っていったんだ。
「さようなら」
王子のやさしい声が聞こえてくるようだった。
「僕は帰らなければならない、一輪の薔薇のために」
「王子、僕は君の名前を聞いてなかったよ。僕は君に名前をあげよう。君はアントワーヌ。それが僕のプレゼントだよ」
それから僕は一晩中泣いた。
15)
あれから数年間が経過した。僕の悲しみは少しは和らいだといえるのだろうか。僕はときおり夜空を見上げる。そしてきらめく星の中から王子の星を探すのだ。王子の笑顔が煌めいている星、一輪の薔薇が香っている星。僕はヒツジの口輪の絵を描くのを忘れてしまっていた。だから、ヒツジが夜中に抜け出してあの薔薇を食べたりしていないだろうか、いやいやきっと囲われて王子に面倒を見てもらっているに違いないから、大丈夫だろうな、、とかそんなことを考えながら過ごしている
「アントワーヌ、君は永遠に子供の心を保ち続けられる。それが大事だということを僕に教え続けてくれてるんだ」
9 夜空の星を見上げると
見上げると僕の星が見える
僕を見守ってくれている星がある
人は心の中に自分の星を持っている
あの星では
薔薇の花が咲いているだろう
香りを広げ
蝶を待っている
誰かの笑顔が輝いているだろう
花びらをのぞき込み
スケッチしながら水やりをしている
星と心を通い合わせることで
僕らは誰も孤独ではなくなる
星が僕らを見守ってくれているのだから
=間奏=
「これは恐らくこの世の中で一番美しく、一番悲しい絵なんだ。小さな王子が地上に現れたのも、消えていったのもこの場所、サハラ砂漠だったのだから。でも、もし誰かがサハラ砂漠を旅したらこんな場所に出くわすかもしれない。そして、もしそのとき、金色の髪の子どもが一人しゃがみこんでいたなら、あるいは君のほうに笑顔で歩いてきたなら、君たちにはその子が誰かわかるだろう。その時には僕に教えて欲しいんだ。悲しみに沈んでいる僕に、手紙でね。小さな王子、アントワーヌが帰ってきたよ…、とね」
人は誰でも
ひたむきに生きている
ひたむきだから涙があふれてくる
人は誰でも
懸命に歩いている
懸命だから時々倒れてしまう
でも
見守ってくれている星がいる
星が信じる力を与えてくれる
どこかに何かがあると信じる力を
さあ、涙を拭おう
それは、心の井戸から汲まれた水だから
さあ、歩こう
この大地に最初から道はないのだから
そして、思い出そう夢を
なぜなら
夢が僕らの人生を作るのだから
夢だけが
…作家でありパイロットでもあったサン・テグジュペリは、第二次世界大戦中の1942年、亡命先のアメリカでこの<ル・プティ・プラン=星の王子様>を書きあげた後、パリ陥落の知らせを受けました。そして1944年7月31日、自ら志願して従軍した北アフリカ戦線において飛行機に乗ったまま行方不明となったのです。
彼の死が公式に確認されたのはそれから46年も後のことです。海から見つかった彼のブレスレッドから大規模な捜索と検証がなされた結果、ドイツ軍機に撃墜されたことが確認されています。
強く信念を貫き、行動の人でもあった彼の生涯は、空に憧れ、たくさんの謎かけをしたまま空に散ったのでした。
おわり
作曲:名田綾子 2024