彷徨う言語・越境する音楽

言葉と音楽の密接度合いとその生理からすると、芸術性高いドイツ語の歌曲を日本語に的確に変換して歌うということはほとんど不可能とも言える作業かと思います。何より、長母音と短母音、アクセントを中心とした言語構造の違い(強弱でのアクセントと高低でのアクセントの違い)、シラブル数と音符数の関係を解決することや、文法上の問題も山積し、言語から紡ぎ出された旋律やリズムのこと、風景や風習が産んだ楽曲内容のことまで考えると、とても出来ることではないと思ったのでした。
例えば、ドイツ語のIch liebe Dichに要する音符は4音符ですが、2重子音や2重母音がなく子音と母音が1対1で対応する私たちの言語では、4音符にどこまで詰め込めるかという問題がありますね。(…文脈によりますが、同じ情報量を4音符に入れるなら主語省略の「好きだよ」とかでしょうか。 でも微妙な子音のリズム感が出ないのと、アクセントや長短を考えると<す「きー」だよ>という フレーズになるのでしょうね。音符分割したほうが良い場合もあるかもしれません。…)
また、音楽上1拍目にくる言語アクセントから生じるメリスマ的フレーズをどのように生かすのかということも根本的な問題です。冠詞から始まるアウフタクトに相応しい置き換えというのもなかなか難しい作業ですね。

せっかくのお話でしたが、私の力ではとても出来ないと思ったときに、私が物心ついた頃に最初に認識したクラシックの作曲家がシューベルトであったことを思い出しました。少年時代の私の大好きな曲は長らく「野ばら」(シューベルト)だったのでした。(私は「あかずながむ」って何だろうと思いながらよく歌っていました)
よく考えると、明治大正時期に輸入された西洋音楽が先人たちの見事な翻訳によって、まるで我が国の愛唱歌であるかのようにして日本人の心に留まっていることなんかもを思い出しました。気持ちを切り替えると、正確性をやや端においやって、超訳というのか作詞というのか、むしろ大胆に構えることで、「新しい歌として再創造される」可能性はあるのかもしれないと思いました。もちろん、四苦八苦しながらの私のこの作業はとても上手く行ったとは思えませんでしたが、 現代の天才作曲家、千原英喜先生の力で新しい魅力にも満ちた合唱曲に仕上げ直していただけたと考えています。
アカデミックなことや学問的なことはともかく、「うた」とか「ともに歌う」ことを活動の中心に据えている身からすると、数百年の時間を越え、地球の裏側の島国で合唱曲にアレンジされ、その国の言葉で「心を込めて歌われていること」は一つの普遍的価値でもあり、意義深いことなのかもしれません。 言葉が彷徨い変容していくうちに、音楽は越境していくということですね。 私は、シューベルトさんは戸惑いながらもやはり喜んでくれているかもしれないと想像するのです。

2015.4