府民ホールアルティを出て、虎屋菓寮を横目に一条通りを西へと向かうと「一条戻り橋」に差しかかります。堀川に架かる橋です。もちろん今の橋は平成になってから架け直された新しいものですが、古くは遥か平安京が作られたときに架橋されたと言われ、以後千年以上の歴史の中で、位置を変え何度も作り直されながら様々な伝説の舞台となってきています。京都の人ならばこの「戻り橋」を巡るさまざまなエピソードについてご存知の方も多いでしょう。
本作品のテキストは、それらの具体的な伝承に関わらず「橋」そのものの持つ象徴性を軸に架空のエピソードを設定し、言葉を紡いでいます。「橋」は、川によって隔てられている異世界を取り結ぶものでもありますが、例えばそこから派生して、「現世と彼岸を結ぶ」という役割やイメージを担うことがあるように思います。加えて、近松門左衛門の「心中天網島」や三島由紀夫の名作短編「橋づくし」を思い出しても、「橋を渡る」ということそのものが、「念願、願掛け」という文学的なメタファーを持つようにも思うのです。
3段に分けたこの作品では、橋のたもとで番人をする「鬼」を弐の段に配置し、壱の段では「母を亡くした少年が、母に会いたいと願うエピソード」、三の段では「息子を戦地に送り出した母が、亡くなった息子に会いたいと願うエピソード」を据える鏡構造としています。少年は母の亡霊に励まされ子どもたちの輪の中に戻り、年老いた母は命と引き換えにひと度だけ息子の亡霊に出会います。生と死とは、時おり扉を開き、呼びかけ合い、触れ合いながら、限りない命の循環を形成しているのではないかと思います。
…夕立の後の雨の匂いの中に懐かしい人を思い出すことがあるように…、桜を散らす風の向こうに会いたかった人の幻を見ることがあるように…、時間とは多層的に流れ、夢は現実と紛れながら存在しているのではないでしょうか。
さて、私のテキストは最初から作曲の増田真結さんと十七弦と唄を担われる中川佳代子さんを想定したものでしたが、増田さんがテキストに芸術音楽としての新たなパースペクトを与えられ、中川さんが驚くべき技量で曲に魂を注入してくださっています。これまで部分発表されてきたものですが、本日は、二人のソリスト、アンサンブルのメンバー、子どもたち、演出家、によるチームで初めて完全版の演奏をすることになります。ホールの空間で生み出される「ゆめうつつ」のひと時を共有出来ることを嬉しく思っています。
2018.7