京都府庁前の「進々堂」のカウンターに座り、物思いにふけりながら一人でパンを食べていたときに、突然パンを題材にした歌詞を作ってみたくなりました。と、同時に一気に合唱物語の緩やかな輪郭が自分の頭の中で出来上がり、この興奮と盛り上がりを誰に伝えようかと考えたときに、きっと面倒な顔一つせず返信いただけるに違いない山下祐加さんに10曲分(本編からは3作削りました)のタイトルをメールして送ったのでした。(それがこの合唱物語の始まり。予想通りの返信をいただいたことを関係者に自慢したところ、「忙しい作曲家の時間を取ってはならない」と、たしなめられたものです。)
パンには私たちの感性をくすぐる独特の表情があるように思えます。
パンはある種の夢を持った食べ物でもあるとも言えるのかもしれません。私がよく思い出すのは、まずはあんぱんのことです。小学生の低学年の頃、怪我の治療のために毎週母に連れられて川端の京大病院に通っていたのですが(その時間は私にとってはオフィシャルに授業を休めるという秘かな楽しみの時間でもありました)、治療には痛みが伴い辛抱を要するのに私が健気に振舞っていたために、母親は治療が終わるたびにご褒美のように病院の購買部であんぱんとミニカーを買ってくれていたのでした。あんぱんを食べながらミニカーを選び、眺めることは私にはとても楽しみな時間だったことを思い出します。(ちなみにミニカーは数を重ね、やがて一つの町が出来るほどになっていました)
近所に手作りパンの店が出来ると、日曜日の朝ごとに兄と買いに行くのが楽しみでした。(クロワッサンに感動したものの、今も昔もよくこぼしてしまいます)
ほとんどパンを食べなかった父親が、1か月に渡るヨーロッパでの出張を終えて帰ってくると、急に毎朝パンを食べ出したことも微笑ましい思い出です。
20歳の頃、ゼミの先輩によくアラビアパンの店に連れて行かれました。アラビアの肉パンを食べながらよくジャズとバタイユと小津安二郎の話を聞かされていたものでした。
パンと言えば昔は食パンと菓子パンが中心でしたが、今では、いろんな種類の美味しいパンがたくさん食べられますね。私は変わらずシナモンロールが好きです。
さて、私たちは、誰とどんなパンを食べてきたのでしょうか?
どんな話をしながら?
どんなことを考えながら?
どんなお皿で?
どこで?
家のテーブルで?
日の当たるレストランで?
…
一人暮らしの最初の朝にパンを食べた人はありますか?
誰かの食パンにジャムを塗ってあげたことがありますか?
誰かと一緒にサンドウィッチを作ったことがあるでしょうか?
パンを巡って、パンを介して、私たちはたくさんの場面を生き、たくさんの思いを募らせ、溜息もつき、たくさんの夢も見てきたのではないでしょうか?
レイモンド・カーヴァ―の短編小説「A Small, Good thing」のラストシーンを紹介しましょう。不慮の事故で子どもを失った父母に、子どものいないパン屋の主人はそれまでの誤解を詫び、自分自身の寂しい境遇を話した後にパンを差し出します。
「それでもちゃんと作られたものを食べて、頑張って生きていかねばならないのですよ。こんなときは、物を食べることです。それはささやかなことですが、少しばかりは助けになるのですよ」
数日間、何も食べることが出来なかった夫婦はパンの匂いをかぎ、一口食べてみます。
「糖蜜とあら挽き麦の匂いがする」
深夜でしたが、三人はコーヒーで温まり、パンを食べながら朝まで語り合うのでした。
パンによって悲しみが癒えるなどということはないでしょう。それでも、しっかり作られたものが、生きていかねばならない人の生命や気持ちを支える助けにはなるのかもしれないですね
食べ物は誰かの役に立つために心を込めて作られるもの。
私たちの音楽も、私たちの演奏もそうでありたいものです。
2018.7