オデュッセウスの帰還

皆さんはトロイ戦争をご存じでしょうか?
ギリシャ神話の中核の一つをなす長い長い戦いの話ですね。増えすぎた人類の数を減らすために神々が計画したものだとも言われ、神と、神の血を引く英雄と、人間たちが入り混じります。
ストーリーはその前段の神話や、家系図を持ち込んでの因縁話があり、驚くような広がりを持つのですが、直接的には「争いの女神エリス」が、神々がこぞって出席した婚礼の祝宴に招かれなかったことを恨み「最も美しい女神へ」と記された黄金のりんごを宴席に投込んだことが発端とされます。りんごを巡っては<ヘラ>と<アテナ>と<アフロディテ>という三人の女神の間に争いが起り、判定する役にはトロイの王子パリスが当たりました。パリスは三人の女神の中からアフロディテを選びます。しかし、アフロディテはパリスに「自分を選べば世界一の美女を与える」と言う密約を結んでいたので、その約束を果たすためにギリシャのメネラオス王の妻になっていた美女ヘレネをパリスに奪わせたのでした。そして、パリスによって奪われ、トロイに連れて行かれた美女ヘレネの奪還作戦がこのトロイ戦争というわけです。
ギリシャとトロイにはそれぞれ神々が付き、神々の代理戦争の様相を呈したのですが、総大将のアガメムノンを中心に組織されたギリシャ側にはアキレウスやオデュッセウスなど、各地域の王であった英雄たちのすべてが加わりました。一方トロイもパリスの兄ヘクトールをはじめとする勇士たちを擁しましたので、ギリシャ側は容易にはトロイの城壁を陥落させられず、結局戦争は10年間続いたのです。
その間多くの英雄が戦死しました。ギリシャのアキレウスは、戦争に嫌気がさして一時戦場を離れるのですが、親友を殺されたことにより戦地に戻り、仇であるヘクトールを討ちます。ヘクトールの弟であったパリスは、兄の仇であるアキレウス(唯一の弱点であるアキレス腱を射貫く)を討ちますがが、自身もまた倒れます。そして、名だたる英雄が壮絶な戦死を遂げた挙句、最後の最後には知将オデュッセウスの木馬計画により辛うじてギリシャ側の勝利に終わるわけです。
有名なホメロスの叙事詩「イーリアス」はその長い10年戦争の一部を描いたものですが、ホメロスにはもう一つ有名な叙事詩「オデュセイア」があります。そちらは戦争を終わらせたオデュッセウスが故郷に帰るまでの10年の旅を描いています。何しろ、戦勝国に対してもトロイ国支持の神々から呪いがかけられましたから、オデュッセウスも帰国するために10年の年月を要し、怪物と戦ったり部下をすべて失ってしまうなどの苦難を強いられたのでした。そのオデュッセウスの物語も古今の文化芸術の至るところに散りばめられておりますね。20世紀文学の最高峰ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」もこの物語を下敷きにしたものです。また、スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」の原題は「スペース・オデュッセイ」ですが、オデュッセイという言葉そのものが「長い長い旅」を表す言葉になっているのですね。

さて、今から始まるこの物語はそのオデュッセウス苦難の旅の終盤の小さな一つのエピソードを切り取ったものなのです。オデュッセウスは嵐に見舞われ、記憶も失いながら命からがらある島で倒れております。
…波の音が聞こえますね。風の音も聞こえますね。物語はそこから始まります。