さて、この「くるみ割り人形」のお話しは、昔々とある国から始まります。
とある国というのは、お菓子の国。そのシュトーレン城の王子と、些細なことから恨みをもったネズミの女王のお話しです。

ネズミの女王は、このシュトーレン城の王子の１６回目の誕生会に出かけたのですが、お城まで行ったのに招待リストに入っておらず、呼ばれて居なかったことが分かりました。ネズミの女王は、「せっかく着飾ってきたのに」と怒り狂い、履いて行った靴を投げつけたのです。しかし、ちょうど投げつけたのが固い氷砂糖で出来た柱の部分でしたので、靴は跳ね返り、女王の顔に当たりました。女王は転んで頭をぶつけて死んでしまいますが、死ぬ間際に、呪いをかけて王子を人形の姿に変えてしまうのです。
「いまいましい、王子など一生醜いくるみ割り人形の姿で過ごすが良いわ」
そのように言い残した女王はありったけの魔術を掛け、呪いの元である固いクルミの実を城に向かって投げつけると、そのまま息を引き取りました。
王子は不格好で変な顔をしたくるみ割り人形の兵隊姿になってしまったのです。
シュトーレン城の王様と御妃様はたいそう悲しまれましたが、よほど強い呪いのようで、どのような祈祷師を呼んでも、どのような医師を呼んでも、姿はもとに戻りませんでした。最後に頼りにしたのは、時計修理をしているドロッセルマイヤーという男でした。ドロッセルマイヤーは長らく時計修理をしているうちに、時のあちら側とこちら側を自由に行き来出来るようになっていましたので、お菓子の国の世界と私たちの世界とを行き来しながら、文献を読み漁りこの呪いを破る方法を考えました。
「固いクルミの呪いを破るには、力づくではならないようです。この醜い人形を愛するやさしい心が必要なようです」
ドロッセルマイヤーは、王にそう告げると、王子が姿を変えたくるみ割人形を携え、心のやさしい人を探しながら時計修理の旅をしていたのでした。

そしてあるクリスマスイブ。

さあ、今日は子どもたちが待ちに待った日です。
どの家にも色とりどりのクリスマスツリーが飾られ、暖炉ではパンやケーキが焼かれています。子どもたちは外で橇遊びをしたり、雪合戦をして帰ってくると、今度はごちそうを食べ、お菓子を食べ、歌い踊るのでした。

クララは１１歳の女の子。家では、クリスマスのパーティがあり、お父さんもお母さんもお客様の相手に大忙し。クララは弟のフリッツとともに客間の大きなクリスマスツリーの飾りつけを手伝い、ローソクを燈して、お客様たちを迎え入れました。お母さんの作ったガチョウの料理やジャガイモと野菜のスープは舌もとろける美味しさでした。焼いたりんごのパイも木苺のジャムがたっぷり入ったケーキも子供たちの大好物でした。
クララとフリッツはお客様たちからもたくさんのプレゼントをもらいました。音楽や踊りがあって、楽しい夜が更け、そろそろ眠たくなってきたころに、遠い親戚でもあるドロッセルマイヤーおじさんがドアをノックしました。
ドロッセルマイヤーは、時計や機械の修理を得意にしていましたが、いつも突然現れては、まるで手品のように珍しいおもちゃを見せてくれたりするのです。この日も子どもたちを集めるとばね仕掛けで動く人形のおもちゃを見せてくれました。ねじを巻くと、ピエロや踊り子の人形たちがまるで生きているように踊りだすのです。そして、夢中になって見ていたフリッツには飛行機のおもちゃをプレゼントし、クララにはいくつかの人形の中から欲しいものを選ばせてくれました。クララは、素敵なドレスのお姫様や可愛い坊やの人形でもなく、兵隊さんの恰好をした風変りな人相のくるみ割り人形を選び、プレゼントしてもらいました。
「ほう、その人形が気に入ったのかい」

ところが、フリッツは、悪戯にクララのもらったくるみ割人形を取り上げると、その容姿を面白がって無理やり髭を引っ張ったり、乱暴に扱ったために、くるみ割人形は片方のあごが外れてしまったのです。
「何てことするの、とっても気に入っていたのに」
クララは泣きながら叫びました。
フリッツはふざけすぎたことを反省し頭を下げて謝りましたが、くるみ割人形はもとに戻らなくなりました。
クララはけがをしたくるみ割人形を大事そうに抱きかかえると顎を包帯で丁寧に巻き付けました
「この人形は私の人形なの、私が看病するの」
ドロッセルマイヤーは遠巻きに見ていました。

大事そうにクルミ割り人形を抱き寝室に帰ろうとするクララを見ると、ドロッセルマイヤーは、クララを呼び止め、手を差し伸べました。
「よしよし、その程度なら大丈夫、私が直しておこう」
そして、クララの抱きかかえたくるみ割人形を手に取ると、もっていた木の工具を使って顎の外れたくるみ割人形をきれいに修理しました。心配そうに見守っていたクララは、直してもらったくるみ割人形の顎や肩を何度も何度も撫でながら、お礼を言いました。
「きっと人形は、まだ痛がってるから、何度もさすってやるんだよ」
ドロッセルマイヤーそう言って帰って行きました。

クララはすっかり嬉しくなって、何度も人形の顔を眺めると、その夜は人形を抱きかかえたまま、自分の寝室のベッドに潜り込んだのでした。
窓の外には静かに粉雪が舞っていました。

夜が更け、雪が止み、柱時計が夜中の１２時を打ちました。そして、さらに時が経ち、全てのお客様が帰ったしまった夜中。静まり返った寝室でクララは何やら物音を聞きつけ目覚めました。

なんてことでしょうか、ネズミの大群が現れたのです。見たこともない数のネズミたちがクララの部屋に押し寄せ、寝室にあったお菓子を漁っているではありませんか。そしてとてもつもない大きさの薄黒いネズミの将軍が指示を出しています。
しかも、クララが目覚めたことを知ると、大声で言いました。
「お前のもらったお菓子を全部よこせ、齧りつくしてやる」
クララは震える声で言いました。
「どういうこと？、あの引き出しよ、お菓子なんてあげるから帰ってちょうだい」
ネズミの大群はクララの指さした机の引き出しから、チョコレートやキャンディを見つけると一斉に齧り始めました。齧り尽くすと今度はおもちゃやプレゼントを置いていた棚を齧りだしたり、さらにクララの足元に向かって体当たりしてきます。
「痛い、やめてちょうだい」
クララが大声で言いました。
父さんも母さんも聞こえないのだろうか、と思いながら悲鳴を出し続けていたとき、遠くから軍隊ラッパの音が聞こえてきました。
見ると、クララが抱きかかえていたはずのくるみ割り人形が動き出しています。そしてフリッツの部屋にいた兵隊の人形たちを引き連れて指揮をしているではありませんか。


「銃を担え、構えよ」
クルミ割り人形は、号令をかけました。
勇ましい声でした。そして、号令に従ったフリッツの兵隊人形たちは、ネズミの大群に向けて銃を放ちました。
しかし、ねずみの大群は怯むことなく、攻撃してきます。そして、号令をかけていたくるみ割り人形も５，６匹のネズミたちに体当たりされて、倒れてしまいました。
それを見たクララは夢中になって自分の履いていたスリッパを手に取ると、力いっぱい投げつけました。
するとどうやら、スリッパはネズミの将軍の目に当たり、将軍のよろめいたのを合図に、ネズミたちはいっせいに将軍を担ぎながら引き返したのでした。

あまりのことにクララは気絶をしてしまいました。
そして、気が付くと寝室の床に倒れており、耳元にはくるみ割人形がいたのです。
「危ないところを救っていただき、ありがとうございました、あのネズミたちは私を追ってきたのだと思います」
くるみ割り人形は凛々しい態度で言いました。
「お礼に、私の故郷をご案内しましょう、私の故郷はお菓子の国なのです」
人形はそう言いました。
「そうなの、お菓子の国？そんなことが本当にあるの？案内してもらえるの？嬉しい」
クララは思わず起き上がりました。

そして、その瞬間わっと光が溢れてきたかと思うと寝室の片隅にあった小さなクリスマスツリーはクララの５倍くらいの高さにまで大きくなり、クララが抱きかかえていたくるみ割り人形も実際の兵隊さんのような大きさになりました。そして、そこには２頭立ての馬車があったのです。
クルミ割り人形はうやうやしくクララに手を差し伸べると、クララを馬車に乗せました。とても優雅な態度でした。そして馬車はゆっくりゆっくりと動き出しました。

しばらくの間、馬車は暗闇を進み、クララの部屋のクリスマスツリーの灯りが遠ざかっていくように見えました。鈴を鳴らしながら馬車は流れるように進み、さっきまで止んでいた雪がまた降り始めました。
そして、気が付くとクララを乗せた馬車は一面に樅の木が生い茂る森の中の雪道を走っているのでした。
森には静かに粉雪が舞っていて、それは星屑を散らせたようでした。
クララはその美しい光景にすっかり心を奪われました

「この森が私の故郷の入口なのです」
くるみ割り人形はそう言うと馬車を進めました

クララはお菓子の国に向かう道中考えました
「不格好な兵隊のお人形さんで、決してハンサムじゃないけれど、どうしてもこんなにも礼儀正しくて、凛々しくて心優しいのだろう、」と。

美しい雪の森はいつまでも続き、馬車は心地よく揺れていました。
「まあ、雪がきらきらと輝いているわ、まるでお星様を砕いた粉のようね」
そう言いながらも、クララは優雅にうなずいてくれる兵隊さんを見ていました。

馬車はやがて、お菓子の国のお城に到着しました。

目の前には月灯りに白く輝く立派なお城が聳え立っていました。
「ここがあなたのお城なの？あなたはここの兵隊さん？」
クララが目を丸くして驚きながら訊ねたその時です。
二人がお城に辿り着いたのを見計らって、ネズミの大群が再び二人もろともお城を目掛けて襲ってきたのでした。クララの寝室でクララたちを襲ってきたあのネズミの大群でした。
くるみ割り人形は、落ち着いた態度で指笛を鳴らしました。するとお城からは、一斉に兵隊たちが現れ、ネズミたちの前に一列に並ぶと、号令によって氷砂糖で出来た矢を放ちました。くるみ割り人形が続いて合図をすると、次には鉄砲隊が現れました。これまた一列に居並ぶと今度はラムネの弾が込められた銃を討ちました。
ネズミたちは負傷して倒れたりしましたが、何せ数が多いのでなかなか撤退しません。
城からは女たちも現れて、力を合わせて桶を担ぎ、桶に入っていたヌガーをまき散らすと、ちょうど鳥もちのようになってネズミたちは足を取られました。
しかし、それでもネズミの大群は怯まずに攻撃しかけてきます。

くるみ割り人形が高らかに合図をすると、城からは数名の兵隊たちが大砲を担いで現れました。そして、さらに指示をすると、砲弾として仕込まれた青くて堅いアプリコットの実がネズミの軍勢に向かって放たれました。
スドーン、スドーン
そんな轟音を立てながら、それらはネズミにぶつかりました。ネズミの大群は退散を始め出したのです。

敗色濃厚なネズミの軍勢は、逃げ惑う直前でしたが、起死回生とばかりにが、ひときわ身体の大きい薄黒い色をしたネズミの将軍がクララを目掛けて走り寄り、クララに体当たりしました。そして倒れたクララに齧りつこうとしたのです。
クララは大きな叫び声を上げました。しかし、その時、くるみ割り人形が飛ぶような速さで駆け寄り、持っていたサーベルを抜くとネズミの将軍をクララから振り払いました。
そしてネズミの将軍とくるみ割り人形との一騎打ちになったのです。くるみ割人形は、左腕に齧りつかれながらも右腕でサーベルを振り回し、白熱した勝負がしばらく続きました。そしてくるみ割り人形はついにサーベルでネズミの将軍を突き刺したのです。
それを見るやネズミの大群は負けを悟って、散り散りばらばらになって逃げていきました。
くるみ割り人形は、一騎打ちに勝ったのです。ただ、あまりにも体力を使ったのか、ぐったりし、負傷した左の腕を押さえながらその場に倒れました。
一騎打ちの様子を固唾を飲んで見守っていたクララはすぐさまくるみ割り人形の元に駆け寄り、抱き起こしました。そして、自分の髪を括っていた水色のリボンを解くと、人形の負傷した左腕に巻き付け、その上からぐっと強く口づけをしました。
「私のくるみ割りさん、どうぞ、倒れないで。ご無事で、気を取り戻して。元気になって」
クララは半分泣きながら、必死に叫びました。
そしてまた強く抱きしめました。

するとどうでしょうか、何だか不思議な感覚に包まれました。堅く冷たかったくるみ割人形の身体が少しずつ温かく柔らかくなってきたのです。まるで血が通っていくように。

クララは驚きながら目を見開き、人形から離れるとわっと声をあげ、息を飲みました。
何ということでしょうか。不格好な顔の人形の兵隊さんは、みるみるうちに美しい王子の姿に変わっていったのです。

その時、お城の王室にあった堅いくるみの殻が自然と割れました。
驚いた王様とお妃様は城から駆け出てきました。
そこには美しい王子が凛々しい姿で立っていたのです。
王子は言いました。
「クララさん、ありがとう、あなたの優しさによって、私にかけられていたねずみの呪いが解けたのです。私は、その呪いによって長い間くるみ割人形にされていたのです。私はこのシュトーレン城の王子なのです」
クララは驚きのあまり開けた口を両手でふさぎました。
そして、王子はその手をほどくと、今度はゆっくりやさしくクララの手に口づけをしました。
そして、そこに王と妃が駆け込んできたのです。
王と妃は、心の底から喜びの声をあげ、代わる代わる王子を抱きしめました。そしてクララのほうに向きなおりお礼を言うと、今度はまた代わる代わるクララの手を取りキスをしてくれました。

クララは胸が張り裂けそうでした。
王子はクララの手を取ると言いました。
「あなたは私の命の恩人です。私はおかげで、この姿で父や母にも再会することが出来ました。あなたは、とても優しく美しい心の持ち主ですね」
クララはどきどきして声も出ませんでした。
何だか大変なことや素敵なことがありすぎて夢のようだと思いました。

「お礼に私たちのお城で繰り広げられる珍しいダンスをお見せしましょう」
王子はそう言うとクララの手を取り、お城の宮殿のへと案内しました。
美しい絨毯、美しいステンドグラス、何で出来ているか分からない豪華なシャンデリアや宝石のように輝く装飾品の数々にクララは目を奪われました。
「ここでは、世界中のお菓子が集められています」
王子はそう言うとクララをレモネードやシャンパンの噴水がある中庭へと案内します
「ここでは、世界中のお菓子の精たちによって様々な珍しい舞踏が繰り広げられているのですよ」
クララは胸をときめかせました
「どうぞ楽しんで行ってください」
王子はそういうとクララの笑顔でクララの顔を覗き込みました。

そして、バルコニーに上がり中庭を指さすと、お菓子の精たちの舞踏会が始まりました。

素敵な音楽とダンスの数々にクララはうっとりしました。
「まるで夢を見ているようだわ、もしくは、やはり夢なのだろうか」

「次は金平糖の舞踏です、でもクララさん、一度一緒に踊りませんか？」
王子がクララのほうを見つめて言いました。
「え…？私まだ踊ったことなんて一度もないの」
クララは答えました
「大丈夫です、金平糖の精たちがお手伝いしますよ」
王子はクララの手を取ると、宮殿のバルコニーから階段をおりて、それまで舞踏が繰り広げられていた中庭へと歩み出ていきました。
そして、優雅にクララの前でひざまずいたのです。

上手に踊ったクララを抱き寄せた王子はその手を取り、小さな冠を手渡すと頭の上にかぶせてくれました。
その光景に周囲にいた金平糖の精たちは一斉に拍手をしました。
「これは感謝の気持ち、とても綺麗ですよ」
王子はそう言うとクララの手を取り再び宮殿のバルコニーへと上がっていきました。

クララはまるでお姫様になった気分でした。そして、このまま王子の妃としてこのお城に住むことになったらどんなに良いだろうと、考えていました。そして自分が少し大人になった気分にもなっていたのです。

「さあ、花のワルツです、この宮殿の庭で咲いている全ての花の精たちが踊るのですよ、そしてお菓子の妖精たちも、兵隊や女官たちもみんなで踊るのです」
王子は言いました

「さあ、もう一度私たちも一緒に」

お菓子の精、花の精たちの全ての舞踏が終わり、沸き起こった大きな拍手が静まるとクララは王子を見上げました。王子の後ろには王様とお妃さまも笑顔を見せていました。
しかし、クララは同時に見覚えのある年配の男の人の姿を見つけました。
ドロッセルマイヤーおじさんです。
「ドロッセルマイヤーさん、どうしてこんなところに？」
クララが聞くとドロッセルマイヤーは答えました。
「私はこの堅いくるみの呪いが解けるために、あちこちの時計修理をしながら走り回っていたのです。そして、ひょっとするとクララさんの気持ちのやさしさが、この呪いを解く鍵かもしれないと思って見守っていたのですよ」
「そうだったの。時計修理の不思議なおじさんと思っていたのに」
クララは言いました。
「いやいや、私は実は時計の秘密を知っているのでね。時のあちらこちらへ自由に行き来出来るんですよ、ふふふ、ひひひ」
ドロッセルマイヤーは、魔法使いのような不思議な笑い声を交えながら、少し得意気に言いました。
そして続けました。
「ところで、クララさん、ここに長居するつもりですかな。きっと嬉しい気持ちで胸がいっぱいになっているのだと思うのですが、そろそろお別れの時間にしないといけないですよ」
「え？どうして、お別れなの？せっかく王子様とも出会えたのに」
「ものには潮時ってものがあるのでね。楽しい時間が長すぎると戻れなくなってしまいますからね」
クララは慌てて聞き返しました。
「ここに居てはだめなの？」
「クララさんには父さんも母さんもいるでしょう、やんちゃで良く喧嘩もするけれど弟のフリッツも寂しがることになりますよ。だから、そろそろ帰らないとね。ここは時間の進み方が違うお菓子の国、夢の国。クララさんは人間の世界に戻るべき人なのですから」
ドロッセルマイヤーはそう言いながら、王と妃、そして王子の顔を順番に覗き込みました。
クララは驚いた目のままで黙って大人たちの様子を見守っていましたが、やがてそのクララのもとに王子が歩み寄ってきました。
「クララさん、あなたの心のやさしさに惹かれ、あなたにはこのお城で私の妃として暮らして欲しいと思っていたところでしたが、確かに引き留めるわけには参りません」
王子は丁寧にクララの前で跪きました。
「クララさんの家まで馬車に送らせますよ、いつか必ず、私の気持ちを宿した人間の青年があなたの前に現れるでしょう。その時、改めてこの手を取らせてください」
クララは少し頬が赤らむのを感じました。
続いて王が言いました。
「クララさん。私たちの王子を取り返してくださって本当にありがとうございました。私たちもあなたにはずっとここにいて欲しいところですが、あなたのお父さんお母さんの気持ちも分かります。引き留めることはよくありません。どうぞ、馬車で元の世界へお戻りください、王子の言うように、いつか必ず再会することになるでしょうから」
「クララさん、必ず迎えに行かせてくださいね」
王子はまっすぐな目で言いました。

クララはいろんなことで気持ちがいっぱいになっており、自分がこのような時に、どう振る舞って良いか全く分からなくなっていました。

するとドロッセルマイヤーがもう一度クララのほうを向いて言いました。
「クララさんの世界と、この夢の世界とはもちろん繋がっているのです。そして、いつか王子様はクララさんのいる人間の世界に行って、あなたを迎えに来てくれるはずですからね。あなたが立派な大人になった頃に」

クララは、王子に瞳を見つめると小さく頷きました。
見ると、王様とお妃様も何度か頷いていたので、恐らく自分の行動は正しかったんだという気持ちになりました。

気が付くと卵の黄身のような色の満月が出ていました。
やがて、月に照らされたお城の前に馬車が用意されました。
白い粉雪が静かに小さく舞っています。
クララは王子と最後の抱擁をすると一人で馬車に乗りました。
馬車は雪道をゆっくりと出発しました。
クララは振り返りました。王子が力いっぱい手を振ってくれています。そして王様とお妃様も、穏やかな笑顔で優雅に手を振っています。美しい物腰にうっとりしながら、クララも手を振りました。ずっとずっといつまでも。
やがて三人の姿は、雪の向こうになっていきました。白い粉雪は明るい満月に照らされて、確かに星屑を散りばめたようにいとしく輝いていたのでした。
クララは、王子たちが見えなくなってからもずっと手を振り続けていました。この小さな別れが、自分を少し大人にしてくれているような気持ちでもありました。

クララが目を覚ましたとき、それはクリスマスの朝でした。　
窓から見る雪景色はいつもの教会へ続く家の前の小径でした。
クララは夢を見ていたのでしょうか。
クララはふと脇腹のあたりに、くるみ割人形があることに気付きました。ぎゅっと抱きしめながら眠っていたのです。
「ああ、長い夢を見たのかしら」
でも、よくよく見るとくるみ割人形の左の腕にはクララの青いリボンが結び付けられていました。クララは嬉しくなってしばらくじっとその人形を眺めたあと、リボンを解いてみました。でも、そこには自分がしたキスの跡が残っているような気持ちになり、とても恥ずかしくなってしまいました。何故なら、まるで大人のように情熱的な口づけをしたことを思い出したので。クララは少し頬が赤らむのを感じながらも、もう一度小さくキスすると、丁寧に水色のリボンを結び直しました。
「この世界と夢の世界は繋がっているんだよ、王子様はいつか人の姿で現れる」
そんなドロッセルマイヤーの言葉を思い出しながら、再びくるみ割り人形をぎゅっと抱きしめたのでした。