美しい夏キリシマ ~2006黒木和雄監督追悼上映~

黒木和雄(2002年/日本)

黒木和雄監督の傑作「美しい夏キリシマ」から私が感じたのは、映画的手法云々ではなく、 「人間は本当に言いたい<ただ一つだけのこと>をずっと大切に胸に持っている」ということであった。その思いとも信念とも言える「痛切な気持ちの滲み方」一点において、こ の映画は私にとっても特別な存在になったと言えるのだ。

2004年に勤務するホールのオープニングに合わせて黒木監督の講演会と当時の新作「父と暮せば」の先行上映を企画させてもらったことがある。その際に何度か電話でのやりとりを繰り返し、当日にも随分お話をさせていただいた。・・・1日しか授業には出なかった大学生活のこと、京都の思い出のこと、昔の映画作りと今の映画作りの違いについて、あたため中の次回の映画作品のこと(山中貞雄についての映画)・・・、上映に際しても、微妙な音質画質、客が観るときのフィルムや映画館のコンディションを随分気にされ、指導を受けたり昔の職人気質についても穏やかに語られたりした。しかしながら、話題が当時ひととおりの上映が終わったばかりの「美しい夏キリシマ」のことになると、監督の表情と語り口が一気に饒舌さを帯びてきたことを覚えている。・・・空からの銃撃で友人が死に、自分だけが生き残ってしまったことについて、黒木監督は繰り返し、その運命とその無念について語られた。恐怖のあまり、死に絶えようとする友人から逃れるようにして走り去ってし まった自己の悔恨や無力感について、戦争を知らない世代である私を相手に繰り返し話しをされたのが非常に印象深く残っている。

それから2年が経って、ちょうどまた黒木監督の新作映画のホール上映を話題にしていた最中、監督の訃報を聞いた。同ホールにおいては実行委員会の主催により黒木監督の追悼会と「美しい夏キリシマ」の追悼上映が行なわれたが、「キリシマ」については遅ればせながら私はその場で初めて見ることになったのである。脚本の完璧さ、脇役の締まり具合 といい、総合的にみても申し分のない素晴らしい映画だった。空気やリアリティを感じさ せるロケは素晴らしく、役者たちの直感的な演技は映画に漲っているエネルギーの方向性の中にしっかりと束ねられていた。

しかしながら、私にとってこれをさらに特別なものにしたのは、黒木監督と同世代であった私自身の父の死の直後だったことである。慌しさの中で10日あまりが過ぎた頃であったが、 何かの匂いを感じるようにして暗闇に身を委ねた。映画の中の少年の姿が<ただ一つのこと>を源泉にしてこの映画を作り、その思いを饒舌に私に語られていた黒木監督の姿と完全に一致した。そして戦前に父母を亡くし、寂しさの中に戦中戦後の少年期を過ごした私の父の姿ともダブって感じられた。父の人生のメッセージも恐らくその多感な時期に得た<ただ一つの思い>を源泉にしていたのだと感じたのである。

よく思う・・・。映画が偉大なのではなく、人が映画にかける思いが偉大なのであろう。いや、 人が人生にかける思いが尊いのであろう・・・と。「美しい夏キリシマ」は反戦の映画であるにとどまらず、私たち後輩世代へ「苦味を含んだまま人生と向き合い、時間をかけて肯定していくことの勇気を喚起させる」メッセージでもあるのだ。

(2006.6)