エレニの旅

テオ・アンゲロプロス(2004年/ギリシャ=仏=伊=独)

昨夜、夢で君と二人で河の始まりを探した・・・。ここが河の始まりと老人は言 った。君が手を伸ばして葉に触れ、水滴が滴った。地に降る涙のように・・・。

一片の抒情詩のようなアレクシスの手紙で締めくくられるこの映画は、水没の村に象徴されるように、あふれ出す川や雨、女たちのとめどのない涙とアコーディオンの音色によって全編悲しみと憂いに彩られている。20世紀は、<悲しい>戦争の世紀である。水没の村、国境を越えて彷徨う人々・・・、アンゲロプロスが描く のは1919年から1949年という世界中が戦争に明け暮れた20世紀前半であり、そこに生きたひとりの女性の悲劇である。それとともに、戦争によって親と離れ、国を追われ、夫を失い、子供を失い、数多くの運命を背負った女性の心に想起した幻像である。歴史と個人の関係、個人と国境の関係というものはアンゲロプロスの膨大な作品の中で常に題材となってきたが、この作品では歴史や時間という曖昧で掴み所のない概念は個人の情感の中で想起されうる幻想であるということに気付かされる。エレニの個人史がギリシャ現代史に寄り添うとか、歴史に翻弄された人生、という単純な構成ではなく、<歴史>と呼称される悠久の河の流れが、 実は人々の涙という水滴から成り立っているのかもしれないとも思わせられる。

それにしても、悲しくも美しい「雨」と「樹」だった。
20世紀の芸術家たち、例えばタルコフスキーの映像、アルヴォペルトと武満徹の 音楽、大江健三郎の物語がそうであったように、「雨」と「樹」に描かれた「憂いや悲しみ」「痛み」は、まさに映画にしか表現し得ない20世紀の肌ざわりでは ないか。やや甘美とも取れるこの眩暈のようなリアリティこそ新しいトリロジーの幕開けを予感させるアンゲロプロスの新境地と思わせた。

(2005.5)