なにわコラリアーズ

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2002年5月~第8回演奏会より~
指揮者のひとりごと

この5月に私たちの過去の演奏会のライブ録音(のうち邦人作品 の一部を纏めた)CDを発売していただいたので恐る恐る聴いてみた。
指揮者は現場で音楽を聴いており、音楽は生でないと…という思いから録音されたものはあまり聴かないのだが、過去5回分にも渡る演奏会からの抜粋を聴いてみて、がむしゃらでやってきただけだった「なにコラ」にも歴史が出来つつあるんだ…という不思議な感慨に浸ることが出来た。声や演奏スタイルの変化もさることながら、その時々の演奏会や団の状況、一緒に歌った仲間の顔が浮かんできて嬉しかったの である。

男声合唱団の運営というのは本当に難しく、残念ながら我々世代の仕事の忙しさや転勤の多さには太刀打ち出来ない。しかしながら、合唱は逆にさまざまな「人」「思い」「世界」との出会いを運んできてくれたように思う。CDを聴きながら多くの仲間と一緒に歌を歌ってこれたことを素直に嬉しく思えたし、今日もまた様々な出会いにより大好きなメンバーと共に8回目の演奏会を迎えることが出来たこと 自体が嬉しい。

毎年思うことだが、このメンバーで歌える喜びを噛み締めながら存分に歌を歌い、ステージと客席で共に心に残る時間を共有することが出来れば幸せである。
しかも今年は私の最も尊敬する音楽家、松下耕先生に作っていただいた曲と共にステージでご一緒していただくことが出来た。ひとつひとつの出会いと仲間を大切にしながらこれからも合唱団を育んでいくことが出来ればと思っている。


2003年5月~第9回演奏会より~

(A面)ステージの周辺

歌は歌われることによって命を宿し、言葉は誰かに何かを伝えることによって初めて生きた言葉となるように思います。我々が歌うのは生きているからであり、生きようと呼びかけたいからではないでしょうか。

…仲間と声をかけて創立した合唱団もいよいよ9年が経ちました。
歌に何が出来るのか?そう思いながら活動してきたプロセスで我々は数多くの「出会い」を積み重ね、様々なことを教わってきたような気がします。我々にとっての成果は、結果としての音楽だけではなく、過程で得た「出会い」による我々自身の気持ちや心の成長であったようにも思うのです。
さて、今日も出会ったたくさんの歌を披露します。例によって手当たり次第に集めた 曲はたくさん過ぎて難しかったです。(・・・分かっていながらついつい飲みすぎてしまうのと一緒ですね・・・)でも、上手いとか下手だとか、難しいとか難しくないとか、…決して開き直りではなく、そういった次元ではないことにも活動のエネルギーを燃焼させられればと思うのです。

たくさんの歌と出会い、ともかく歌うこと。歌の内在させるメッセージを想像し、格闘すること。あるいは感受性を存分に働かせ、情緒や抒情に心惑わせること。そうやって我々自身の内面を育て成長させることで「音楽」の持つ力を確認していきたいのです。また、それを「仲間」や「客席の皆様」と共に分かち合っていきたいのです。
今日も「この日のこの出会い」…この喜びにまさるものはないのだ・・・という気持ちを込めて全てのステージに向かいたいと思います。

(B面) 東京景物詩 北原白秋 思ひで 恵 ひとりごと 戯れ

頬を赤らめながらも告白すると、遅れてきた早熟の文学青年でもあった私を内面への傾倒と惑溺から救い上げてくれたのがかの「合唱」であったとも言えるのだが、そのリアリズム(社会性)と不確かさ(芸術性)との両極端の強度を合わせ持った「合唱」という行為の中で、ただひたすらに詩と音楽の<出会いと生成の>エロスを解釈ではなく戯れることによって、合唱の「可能性や楽しみや意味」の拡散を狙って活動してきたとも言える。
「なにわコラリアーズ」には素晴らしく高邁でお茶目でいい加減な理念がある。個人的なレベルに置き換えると、しかし、それがカモフラージュするものはただ単に「仲間と歌うこと自体」への隠しようのない喜びや「失われていきそうな抒情や優雅さ」へのはにかみながら目配せなのかもしれない。そう、絶対にそれが大切で、それらを失ってはならないからだ…。
さて、説明しがたく曖昧なこの気持ちは、これからも出来るだけたくさんの歌と戯れ、遊んでもらいながら、いずれ自分たちの音楽となって立ち上ることへと続くのだと確信する。


2004年5月~第10回演奏会より~

(A面)目を開き

いま、「合唱において一番大切なのは?」と問いかけられれば、即座に「仲間」と「想像力」と答えるでしょう。10年とちょっと前、仲間と声をかけあって創設した合唱団でしたが、多忙なメンバーが一人、また一人と関西を離れて行ってしまう度に、このまま誰もいなくなってしまうのじゃないか?と、身を裂かれるような辛い思いをしてきたものです。
「もう、これまでか」と感じながらも何とか踏ん張ってこれたのは、世界のどこかで同じように呼吸をし、奮闘している仲間たちのことを想像し、彼らが(聴きに、歌いに)帰って来たいと思う場所を残したい・・・、という思いに支えられてきたからかもしれません。

ありがたいことに、逆に数多くの新しい仲間との出会いを繰り返し、いろんな場所から見守ってくださった皆さんの暖かい視線や声援に励まされきました。身の丈に合わないチャレンジも繰り返しましたが、幸いなことに様々な先生方からアドバイスを受けることも出来ました。
合唱を続けることに伴う試練の全ては、仲間の大切さ、想像することの大切さを私の心の奥底に刷り込んでくれる為の仕掛けだったのかもしれません。音楽の恵みと豊かさに思いを馳せる為のプログラムであったのかもしれません。
合唱は一人では出来ません。表現することは決して自己完結せず、他者への働きかけを伴うものでしょう。そんな当たり前のことの数々に気付かせてくれる過程が「なにわコラリアーズ」の歩んできたプロセスでもあったと言えるのです。
本日もまた、多くの眼差しに感謝し、「仲間と歌える喜び」に勝るものはないのだという気持ちを込めて、明日のことも省みず!声がかれるまで力一杯たくさんの歌を歌いたいと 思います。

(B面)目を閉じると

たとえば、
『葡萄に種があるように・・・』
人は悲しみを抱えた存在である。
世界には痛みが隠されている。
肯定すべき現在の中には後悔すべき過去も含まれている。
・・・音楽をするということは、それを全身で受け入れて表現するということではないだろうか。 自分の拙さ、至らなさ、表現にいたる瞬間まで立ち込める混沌・・・、音楽は、その全てが本当であると分からせてくれているように思える。

「音楽」とは、生命を与えられていることのありがたみを実感させられる力、喜び、励まし、・・・「仲間」とは、かけがえのない宝、生きている目的を支えるもの、伝えたいという意志を生み出す力、・・・私と合唱団の「未熟さ、稚拙さ、無謀さ」は、いつかはこうなりたい、という夢を育む力、想像力を支える気持ち・・・。そう思う。

P.S
・・・そういえば、子供の頃から父親の書斎に飾ってあった高見順の「葡萄」の短い詩に対して、 言い表せぬ共感と愛着を感じてきた。なにわコラリアーズ10周年の演奏会の間際に、素敵な旋律を伴ったこの詩と再会するなどと予想もしなかった。いつの日か発酵した香りが世界に広がっていくことを永遠に想像し、未熟であり続けることの気恥ずかしさをやや噛み締めながらも甘えず、もどかしさや痛みや困難さを抱えたまま、心からの歌を歌い続けていきたい。
いつまでも成熟しない合唱団であるが、歌い続けることの重要性を全身で表現する為にも、力いっぱい歌い続けていきたいと思う。


2005年5月~第11回演奏会より~
「なにわコラリアーズ」11年目の新緑に

一見の価値ある?「なにコラ」の練習においては、実際には音など聞いて いる訳ではなく、一心に「合唱とは何か」と考えている自分に気付くことがあります。そして、何でもないのにタクトを置いて(実際は持っていない)ひと呼吸ついた後に、首を傾けて突如「合唱とは関係性の芸術である」と言ってみたりするのです。(黒板があれば「関係性」と書 いてみたりもする。)
・・・和声を構築する音同士の関係性、パートのメンバー同士が一つの音を共有する関係性、パ ートを越えた音の関係・・・、それを実現するのは「各自の正しさ」ではなく、視線や表情や呼吸に基づく「コンセンサス」だ…。そして、そう思った瞬間、また突如として「我々は喉自慢をしているのではない!『合唱を』しなくてはならないのだ!」と熱く怒鳴っていたりします(他の合唱団においては皆無の光景かと思います)。
しかしながら、恐らく一人で怒鳴っているうちは自分のイメージが実現されることは決してなく、団員からは「また始まったか」と早送りモード?で冷ややかに見られるのが「なにコラ」練習のパターンの一つです。

・・・10周年であった昨年はカナダバンクーバーの国際音楽祭に招待され、地元の合唱団との交流の機会にも恵まれた思い出深い一年でした。シンガポールで歌わせてもらった時も同じでしたが、(当たり前のことなのですが)人間が作っている国境という境界線を「歌」は軽がると越えていきます。「デュルフレのミサ」を響きの豊かな教会で現地の合唱団員と一緒に歌いましたが、祈りの歌を歌うのに理解や議論は必要なく、隣のカナダ人のメンバーと息を合わせてフレーズを歌ううちに、教会に響く音色と遠方からの来客を暖かく迎える客席の視線とが一体となったような美しい音楽が教会に充満しました。音楽を「分かち合う」ことが出来たと思 いました。そして、「これこそが合唱だ!」と思ったものです。
合唱とは「関係性を構築していく芸術」であると言うべきでしょうか?もちろん、怒鳴り声を上げながらの不合理な練習より、実感を伴った活動こそが合唱の真の豊かさに気付かせてくれるのです。

さて、今年の夏は、三年に一度の世界的な合唱シンポジウム「世界合唱の祭典京都」が開催され、ホストとして世界からの合唱仲間を迎える年でもあります。日本社会の中ではなかなか意識しにくいことですが、地球上には政情不安の国々や、宗教やイデオロギーや歴史のプロセスの中での対立もまだまだ激しく残っています。歌を歌い続けることの理由がそこにあるように思います。関係性を構築する芸術である『合唱』・・・だから、今こそ声を合わせ、歌を歌うことが大事なのではないでしょうか?

「なにコラ」は11年目に突入します。
(冒頭の練習風景のように・・・)指揮者を含めいつまでたっても試行錯誤の続く拙い合唱団です が、様々な環境に恵まれて得てきた体験を「我々は何のために歌っているのか」という命題に結び付けねばならないと思っています。技術の高低ではなく、少しでも多くの人と気持ちを分かち合うことの出来る舞台が持てればと思っています。我々は小さいが世界は大きく、我々は未熟だが音楽は豊かで偉大だと思います。
新たな志をもった10年のスタートです。頼りなさゆえ、一層の励ましとご声援をお願いいたします。


2006年5月~第12回演奏会より~

(A面)12年目の新緑の季節に

この一年間も「法被姿での世界合唱シンポジウム」への参加を始めとし、様々な貴重な経験をさせてもらいました。もちろん表には出ない合唱団の運営や日々の活動には、日本社会の構造そのものに根を持つ強烈な苦労があります。(20~30代の社会人男性の忙しいこと!)にも関わらず、(いや、だからこそと言うべき)適度な曲目でお茶を濁すのではなく、力いっぱい元気を出してチャレンジを続けることこそが、目下の我が団の存在価値と思って奮闘しております。我々にあるのは、全力で男声合唱を味わいたい…、いろんな歌を歌いたい… という気持ちのみです。歌う仲間がおり、場があり、聞いてくださる方がいる、そして、それはどこかで世界とも繋がっている…と考えることは、それだけでなんと素晴らしいことなのでしょうか。

(B面)演奏会とは無関係にもみえる指揮者のひとりごと~
「さすらう」こと、「夢見る」こと、「立ち止まること」、また「さすらう」こと

我々は「合唱」が一人では出来ないもの、「仲間がいて初めて成立するもの」 であることを知っている。合唱はともすれば一人でぽつんと立っていたであろう私を仲間のいるところに引き寄せてくれた。演奏会は、いまこの場でこの仲間といることの幸せと安心感・・・、 ここで音楽出来る喜びと期待感に満ちたものである。
しかし我々は同時に知っている。歌がパーソナルなものでもあることを。それは署名があり、宛先の書かれた手紙でもあることを…書く内容を決めるのは自分自身であるということを…。膨れ上がってきた気持ちを抑えきれずに、ときにこう言う。
「みんな、違う!そんなのは歌じゃない。楽譜も指揮者も信じるな。」
我々はいつももっと逞しくならなくてはならないと思う。そして、もっと一人一人が別の歌を歌わないといけないと思う。何故なら、それらを上回る強くて深い<ひとつの気持ちがここにあり>、それを全身で表現するのが指揮者だと信じたいからである。


2007年5月~第13回演奏会より~

13年目の新緑~なにわコラリアーズin京都

胸に残る光景が2つあります。
3年前の夏、「なにわコラリアーズ」でカナダのバンクーバー国際音楽祭に招待をされ、地元の合唱団とジョイントコンサートをした時のことです。平日夜に教会で行われるコンサート開始1時間前に団員やスタッフが教会前でビラ配りをしていたのでした。驚かされたのは、会社帰りの方々の中にこのジョイントコンサートのチラシを見て、足を止め、会場に向かう方がおられたということです。「今日はひとつ珍しい演奏会でも聞いて帰るか…」という感じでしょうか? ナチュラルな雰囲気の中に文化の熟成や音楽会を取り巻く社会と合唱団の関係を痛切に感じさせ たのでした。
もう1つは2年前にこの場所で行われた世界合唱シンポジウムでのステージの光景です。世界からやってきたほとんどの合唱団が「上手さ」とは全然別の次元の歌唱をしておりました。リズムがあり、踊りがあり、手拍子があり、笑顔がある・・・、あるいは民族の音楽や文化の延長線上にある「客席を巻き込んでいく生きたパフォーマンス、楽しいステージング」とでも言うのでしょうか?

「なにわコラリアーズ」は「爽やかにかっこよく」だけをキャッチフレーズに、ノスタルジーに終始しない活動、コンクールでの勝ち負けに拘泥しない活動、一般の人がびっくりしてくれるような活動・・・を志してきました。志と現実はあまりにもかけ離れていて、目の前にあるのは「音程の取れない」「声の纏まらない」「練習に来る人は少ない」「上手になったら東京に転勤していく」・・・無残な現実ばかりです。しかしながら、私にはこの2つの光景の残像が残っております。いつかあんな光景を目の前に作り出したいと思います。いろんな次元をはみ出して全体から沸き起こる「心の底から楽しいと思える時間」「痺れるような熱い瞬間」・・・それらに気持ちを向けた活動、 合唱ファンの裾野を広げていく活動、合唱が社会と文化と生活の中に自然に溶け込むような活動、・・・忙しすぎる日本社会に対して新しい「大人のロマンの広がり」を作れないものかと考えています。「合唱をすること」だけでなく、「合唱に出来ること」を考えたいと思うのです。
「なにわコラリアーズ」が、その方向に向けて足を踏み出せるように努力したいと思っています。 「さわやかさとかっこよさ」はその陰の努力に鍛えられているものだということを常に心に留めながら・・・。


2008年5月~第14回演奏会より~
男声合唱での冒険の続きとして~福永アレンジについて

昨年の初夏、懐かしい人のお誘いを受けて久しぶりに訪れた藤沢市民会館のエントランス壁面に大きなレリーフを見つけて、感慨深い気持ちに包まれました。そこにあったのは、私にとって唯一絶対の師匠と言える福永陽一郎先生のレリーフでした。藤沢市民オペラを始めとする福永先生の文化貢献に対する顕彰であるとともに、市民から広く愛されたことの証とも言えるでしょう。数々の指揮や編曲で全国の(一定年齢以上の)合唱ファンに愛された福永先生ですが、アマチュアだから出来ること、学生だから出来ること・・・、その情熱やエネルギーに魅了されて我々と一緒に格闘しながら音楽の高みに導いてくださっていました。(・・・私の学生時代、私が最後の弟子ということになります・・・。)福永先生の思い出はまた個人的に別記するとして、先生から吸収した音楽をもっと実践すべく、私は合唱指揮を続けてきたのです。しかしながら、福永先生率いる往年のプロ合唱団「東京コラリアーズ」の名称をもじった「なにわコラリアーズ」の創設にあたっては、どちらかと言うとのど自慢とノスタルジーに終始しがちな当時の男声合唱の傾向に対して、アンチテーゼを掲げ「より新しいもの」「より演奏された試しのないもの」「より世界的に普遍性のあるもの・・・」を求めた活動をしてまいりました。

時が過ぎ、今となっては逆に一向に演奏されなくなってしまった福永先生の「アレンジもの」の レパートリーについて、それが例え大時代的、前時代的なフォームを有しているものであったとしても、今度は「だからこそ価値がある」と考えてみることにしてみました。あくまでも回顧ではなく冒険の続きとしてです。楽譜の入手に関わる状況が今のような状態ではなかった時代、福永先生は「東京コラリアーズ」のレパートリーを増やすために1000曲を越すアレンジをされたと聞いています。その中でも代表的なシリーズがロマン派の歌曲に対するアレンジです。原曲が持つ音楽そのものの価値を損なわせないアレンジの素晴らしさだけではなく、合唱の魅力を開拓したい、合唱を通して歌い手が様々な音楽家と出会い表現と格闘して欲しい・・・、歌に対する欲求を持って力の限り歌って欲しい・・・、そんなシンプルな情熱を汲み取りたいと思っています。 そしてその混沌を固まりのまま表出してしまうことが私の人生的課題であるとも言えるのではないかと考えています。

思い入れに終始しない品格を備えた音楽となりますように。


2009年1月~ただたけだけコンサートVol.1より~
ただたけだけコンサートとは

私が男声合唱団の「なにわコラリアーズ」を創設したのは93年のことでしたが、ともすれば画一的で工夫のないように見えた男声合唱界を活性化させようと、その頃まだあまり歌われなかった北欧の曲(『オルフェイドレンガー』『ヘルシンキ大学合唱団』のレパートリーを順番に・・・)や世界各地の珍しい作品を探し出しては歌ってきたものです。インターネットの普及で外国楽譜が手に入りやすくなったことも背景にはありましたが、当時としては画期的なプログラムビルディングにチャレンジしたり、あまり開拓されていなかった海外の現代曲を中心に取り組んで来ました。その成果の一つは、この10年間(99-08年)出場させてもらった全日本合唱コンクールであったかもしれません。しかしながら、実はそれと平行しながらこの間に演奏会で4度も多田作品を取り上げており、決して、日本語や日本的な情緒を歌うこと、その奥深さを味わうことやその楽しさから離れていた訳ではありません。むしろ、多田音楽に対しては、どうしても練習の休憩中や宴会時にあふれ出すように数々の名曲が団員の口をつき、その都度話題に出ていたのですが、この度思い切って「ただたけだけコンサート~オール多田武彦作品演奏会」を実現するに至りました。大学の男声合唱事情が変化し、かつては山ほどあった大学男声合唱団のプログラムにすっかり多田作品が見られなくなっていることや、多田作品を一定年齢以上のノスタルジーの対象に押し込めてはならないと思ったことが大きな理由でもありますが、男声合唱メンバーの心臓の奥底を揺さぶるロマンが多田音楽の中には溢れているように思い、「血が騒いだ」ということになるのではないでしょうか。

別件ではありますが、私は、近年の声を出して遊ばない(歌を歌わない)子ども事情に危機感を感じ「わらべうたや遊び歌を教え、歌うための児童合唱団」を立ち上げました。考えてみると、同様にかつては、多田武彦の作品と格闘してきた多くの大学生たちが、日本の叙情詩の持つリズムや抑揚、その内奥の人生観や世界観と格闘してきたはずです。多田武彦的叙情世界を歌い継ぐ意味とは、合唱という狭い枠を超えて、「言葉が表現できる感情の機微や表情を再確認すること」、もしくは「我々の生活や人生の折々に保持してきていた気高い美意識に気付くこと」、・・・つまり「我々が我々自身の感受性を守り継ぐこと」に繋がるのだと思うのです。現代的風景とはかけ離れていても「ふるさと」「赤とんぼ」を歌い継ぎたいように、例え追羽根を追わないお正月になったとしても、新年の春風の匂いとに思いを馳せながら「言葉に内在する歌」を歌っていくこと(リリシズム、日常生活の中での細やかで愛情に満ちた美意識)が必要だと思いたいのです。この「ただたけだけコンサート」がとりわけ若い人たちへの多田武彦的世界との新鮮な出会いのきっかけになっていくようなことを願っています。


2009年5月~第15回演奏会より~
「さすらう若人のうた」~15回目の演奏会に向けて~

「音楽は心臓の鼓動から始まる・・・。」

このような文章で始まる長い自作解説を書き、精一杯の気迫(気負い+背伸び)をもって 「さすらう若人の歌」を指揮したのはちょうど20年前、大学4年生の時であった。ちょうどその時代に登場した「CD」の存在によって長大なマーラーの交響曲が世間的にも陽の目を見る雰囲気に満ちており、クラシック音楽ファンでもあった私としては、当然、この福永陽一郎の名アレンジが気にならないでもなかったが、当時の雰囲気として「学生指 揮者が取り上げるなどもってのほか・・・」との気配を察知しており、当初は自分が指揮するなどとは考えもしなかったのである。「ヨーロッパ民謡でもしよう」と自分の曲の相談をするために夏休みに訪れた福永邸では、さんざん選曲とは違う話をし、食事までごちそうになって、ようやく民謡の楽譜集を渡されたのであるが、渡し際に福永先生は「でも、君はマーラーやったら」とポツリとおっしゃったのであった。そのひと言が決定的であった。勝手ながら、そのひと言の中には、自分の指揮や感性への信頼のメッセージを読み込み、一気に自身の合唱指揮に対する前向きの気持ちが加速したものである。

マーラーの時代は、混沌としたヨーロッパのデカダンスの時代であり、その長大な交響曲には世紀末の退廃の匂いや雰囲気が漂う。マーラーの作品にキーワードとして感じられる「死」や「倒錯性」「東洋」という概念は西欧中心のモダニズムの価値観が行き詰まったその時代全体の特徴として社会や文化・芸術全体を覆っていたのであろう。マーラーの音楽も単に表面的な東洋趣味や実験性ということではなく、現代的な虚無感を表現するもの として、人生や社会への漠然とした不安や死に対する曖昧な恐怖感のようなものを源泉と している。それを表現する手段として慣習から解放された新しい様式を模索したものであろう。交響曲を聴いても、大音場を作り出したと思えば突如感傷的になったり、明晰な理由をもたないまま引き伸ばされていくような冗長さに満ちていたりするが、考えてみれば現代に生きる我々も、何か人生に対して掴み所のない悲しみと苛立ちを生きているわけで ある。不条理と矛盾をそのまま肯定したようなマーラーの音楽は、価値観のはっきりしな い混沌の時代の幕開けを告げる音楽としても存在したのだろうと思う。

さて、マーラーの創作活動の二本柱は交響曲と歌曲であったが、「さすらう若人の歌」は交響曲第1番とも密接な関係を持つ歌曲の代表作である。曲は失恋の悲しみの歌に始まり、2曲目では自然の美しさを称え、明るさを帯びるが、やがて自分への寂しい懐疑に戻る。3曲目で苦しみが一気に激情となって吹き出し、死の予感とともに消え、終曲では葬送行進曲のリズムが現れ、苦悩が拭い切れないながらも、「菩提樹の下でまどろむ・・・」という東洋的な瞑想と夢心地の中で終っていく。

・・・大学生の頃から20年が過ぎ、私自身は決して若人とは言えない世代に入っている。 しかしながら、さすらいとは「魂の彷徨」のことである。何かを必死になって模索しようとする態度は、懸命に生きている限り失わないものなのではないだろうか。私が私の師匠である福永陽一郎から教わったことは、音楽上のテクニックではなく、まさにそのことであると思う。「さすらう若人」という言葉は永遠の青年のようだった福永陽一郎にも相応しい。様々な意味で「さすらう若人」である我々は、決して余暇の楽しみとしての歌だけではなく、現世への追従を拒否するかのような使命感や気高いチャレンジ精神、滾るような友情や音楽への深い思いを源泉とし、懸命に歌を歌っているのだ。大袈裟に言えば、一人一人が「自分の中の何を燃焼させて歌うのか」ということと向き合いながらステージに立っているのである。決して過去も未来もなく、この日この場で、真剣な思いを交錯させながら、魂のぶつかり合う瞬間を見つけ出してみたいと思っている。


2009年8月~The Premiere Vol.1 ~ 真夏のオール新作初演コンサート
ごあいさつ

「The Premier~真夏のオール新作コンサート~」をこの「いずみホール」で開催出来ることを大変嬉しく思っています。音楽に限らず、文化芸術に関することの情報発信の大半が東京圏に集中しているのでは…、と思える昨今の社会構造の中で、何とか関西の文化圏から全国の人に注目してもらえるような企画を出していくことを夢見ていた私としては、カワイ出版からいただいた今回のお話(コラボレーションによるこの 企画)は非常にチャレンジングで魅力的なものとなりました。若い作曲家に出版を前提にした自由な作曲の場が用意されていること、四つの合唱団と新しい音楽との出会いがコーディネートされていること、演奏内容よりも結果だけが打電されがちなコンクールに対して、中身の新鮮さ、合唱団と作曲家の個性のぶつかり、ライブのスリリ ングさ、競い合いではない大らかさ、手作りで工夫する楽しさ…、、いろんなことがおもちゃ箱のようにこの演奏会には詰まっているように思えます。このようなチャレンジの場を与えてくださったカワイ出版を始め、快く賛同いただいた作曲家、指揮者、合唱団の諸先生方、関係者に深く感謝申し上げます。
合唱界により一層の「夢と希望とサプライズを!」、この日の出会いが新たな出会いの連鎖に繋がること、ここで紹介した曲目がたくさんの合唱団のレパートリーになること、このような取り組みが魅力的なものとして合唱界を楽しく刺激してくれることを願います。


2010年5月~第16回演奏会より~
なにわコラリアーズ16回目の演奏会に寄せる

「ポーギーとベス」のラストシーンは、どこにも見当たらなくなったベスがニュー ヨークに行ったことを知り、ポーギーが彼女を追ってニューヨークを目指し旅立っていくシーンで終わる。そこには、それが数千キロも離れた場所であるとか、足の悪いポーギーはそのためのお金は一切持っていないとか、そういったこととは無縁の「何もないことの自由」と「理想があることの素晴らしさ」のようなものが、災禍の後の青空のようにして広がっている…。

…個人的なことになるが、現在の合唱界に大きな足跡のあった福永陽一郎の最後の教え子であったという自負は私のその後の活動全編に渡って貫かれている。もちろん「なにわコラリアーズ」はノスタルジーに偏りがちだった男声合唱の世界に風穴を開け、新風を吹き入れようと新しいことにチャレンジを重ねてきたのであり、かつての方法論やレパートリーから離れ、出来るだけ新しいことに取り組んできた。この三年間取り上げた(かつて男声合唱団の貴重なレパートリーであった)福永陽一郎の編曲シリーズ(ドヴォルジャーク、マーラー)についても、思い入れとかこだわりとか過去への回帰という意味はなく、ちょっと窮屈になってきたレパートリーに対して新たなるチャレンジ精神を発揮し、合唱の枠を超えた音楽の精神のようなものに向き合ってきたつもりである。ただ、実際には、「ポーギーとベス」はこのシリーズの中では唯一私が直接的に指導を受けた曲である。合唱指揮者というよりはオペラ指揮者であり、ひとだびピアノを弾くと躍動的なジャズピアニストのようでもあった福永先生の得意レパートリーでもあった。
今ならもう少し良い準備が出来たとか、ようやく意味が分かった、とかいう思いもないではないが、私の中に残っているのは、そんな些細な練習の中身のことではなく、「自分の言ったことを守ってどうなる、そんなことに縛られるな!」と常に煽ってくれた師の、桁外れの奔放さのことである。むしろ福永先生の音楽に対する姿勢、生き様の全てが、このラストシーンの「何ものにも束縛されないことの自由さと若々しさ」にシンクロするのである。

教えてもらったことは全て忘れてしまった。
でも、「さあ、これでどうだ、君らも頑張れ」とでも言いたげな、不器用な腕の振り下ろしこそが心の底から蘇ってくる。このステージのことではなく、もっと生き生きとのびのびと自由に…という人生に向けたメッセージである。
あまたの困難に見えることや、ささいなことに振り回されている場合ではなく、「なにわコラリアーズ」もまた次の目標を目指して生き生きとした旅を始めなければならない。つべこべ言わず、単純にたくましく前に進んでいきたい。


2010年12月~なにわコラリアーズ松江演奏会~
なにわコラリアーズ松江演奏会に寄せる

音楽との出会いは人との出会いであり、その人を育んだ文化や環境との出会いでもあるように思います。数年前のことでしたか、夕暮れの出雲空港に降り立ち、松江までの道中で眺めた宍道湖は、何だか今後のつながりまで予感させてくれる印象的なものでした。この空気の湿り具合、土地に堆積している情緒や情念まで含めて、風情と品性ある文化の香りが気に入り、その後本当にこの地と繋がりを持てたことを嬉しく思っております。

また、昨年の夏、私が実行委員長になって大阪で企画開催した「The Premier~ 真夏のオール新作コンサート」に「ピュアブルーベリー」に参加してもらいました。これは新しい曲を生み出すためのカワイ出版との提携企画で、混声を「アンサンブルEST」「クールシェンヌ」、男声を「なにわコラリアーズ」が務めた演奏会ですが、「ピュアブルーベリー」は女声曲の初演を担い、憂いを帯びた美しい抒情を表現し、関西の合唱界に新鮮な驚きを与えてくれました。「なにわコラリアーズ」との小さな合同もあり、すでに友情が芽生えているのですが?今回はその友情を頼りに、こちらから松江に演奏させてもらいに参った次第でもあります。

「なにわコラリアーズ」については、ひょっとすると一昨年まで出場していたコンクールでの姿をご存知の方がおられるかも知れませんが、本当はもっと面白くて楽しいことを目指した団体です。合唱そのものがいろんな垣根(国境や地域や年齢や合唱団)を取っ払い、たくさんの笑顔に貢献出来ればと思って活動しています。合唱どころでもあります島根県で、皆さんに楽しい男声合唱を聴いてもらう機会が持てたことも大変嬉しく思っています。ブルーベリーとのコンビ再結成?も大変楽しみにしています。


2011年5月~第17回演奏会より~
男声合唱をめぐる冒険の続きとして~熱狂について

かつて、男声合唱が合唱界の中心を務めた時代があったと思っている男声合唱メンバーは少なからずいるように思います。(それが錯覚や勘違いであったとしても…。)しかし、我々は、その熱狂のリバイバルになることを丁寧に避けて活動してきたように思います。出来るだけ新しいレパートリーを探し、世界に耳と心を広げていきたい…、と私自身が思っていたためでもあります。しかしながら、活動も20年を射程距離に捉え始め、合唱界の変遷の中で、それらを振り返るのではなく、乗り越えることもまた新たなチャンレンジの一つにもなると思い始めました。例えば「縄文」は、我々人類の歴史の中に反復して訪れる争いや大自然災害の中に巻き込まれる個の無力やそれに抗う強い意志を歌いますが、「魂の男声合唱」をやっていた者達の目指す象徴的曲目でもありました。「なにコラ~福永アレンジシリーズ」にいったん区切りを付けた今、かつて良く歌われた男声作品を現在の我々の心境や新しい仲間とともに歌うシリーズ(勝手ながら)を企画してみました。他方で今年の演奏会では、10周年記念演奏会でも曲をかいていただいた千原先生に男声合唱の可能性を切り開く「びっくりするような 新曲」を書いていただくことが出来ました。ともに合唱に出来ること、我々に出来ること、の可能性を探ってのチャレンジです。
「なにコラ」の新しい冒険の旅を始めたいと思います。


2012年1月~ただたけだけコンサートV0l.3より~
「なにわコラリアーズ~ただたけだけコンサートvol3」について

2009年から「なにわコラリアーズ」では、新しいプロジェクトをスタートさせました。多数の作品を残し、男声合唱の隆盛に大きな貢献のある作曲家 「多田武彦」に焦点をあてた「ただたけだけコンサート」です。しかも、そ れを全国各地で開催するという壮大な計画なのですが、初年度には京都で、次年度には山口で開催した「ただたけだけコンサート」の第3弾を、金沢の地で開催出来ることとなり、大変嬉しく思っています。山口では、山口出身の天才詩人「中原中也」の詩につけられた曲ばかりを集めるという画期的な企画をしてみました。演奏は多田先生からも高く評価していただき、その成果はCDとなって「中原中也記念館」にも収められています。今回は北陸をテーマにした選曲を行い、また違った趣の演奏会となることを楽しみにしております。

多田作品の魅力は、まず、テキストとなる詩人や詩の選び方、「詩の選択眼」 とも言うべきものから成立しているのではないかと思います。近代抒情詩を中心に取り上げ、あたかも詩の中に内在していたとしか思えない歌や音楽を見抜き、それに忠実にメロディーとハーモニーを紡いでいるようにも思えます。

一人の詩人の曲だけを取り上げて、その諸相と多田武彦の曲作りの視座を読み解くことにもなった前回とは大きく異なり、今回は、堀口大学、田中冬二、北原白秋という全くタイプの異なる三者の詩を歌うこととなります。北陸を象徴する風物や抒情から花鳥風月に帰する美意識まで、多様な詩でありなが ら、逆に根底に通う多田作品の気品やリリシズムのようなを感じてもらう演奏会になればと思います。

最後になりましたが、この演奏会開催に向けてご協力いただいた「杏」の皆様に加え、お世話になった関係者の皆様方に感謝申し上げます。


2012年5月~第18回演奏会より~
なにわコラリアーズ~第18回目の演奏会に寄せる

今年の3月に学生たち(JCDAユース)を連れてポーランドに演奏旅行を行ないました。一生懸命の歌唱が国や時代を越えて人の心に伝わることを改めて実感し、私たちは何のために歌い歌で何を成すべきか、ということをしっかりと考えることこそが大人の責務ではないかと思いました。「なにわコラリアーズ」の活動の全てが上記のことを 意識し【男声合唱で社会を変える】という目標に向けたプロセスでありたいと思っています。さて、お陰様で、この1年間もたくさんの場所で歌うことが出来ました。夏の軽井沢「軽井沢合唱フェスティバル」、秋の京都「国民文化祭」、冬の金沢「ただ たけだけコンサートvol3」、春の名古屋「オール新作コンサート」(…まあ、私が雨男なので、全て雨か雪でしたが…)、たくさんの暖かい拍手に育てられた魂で信長貴富先生の渾身の作品に向き合いたいと思っています。全ステージ熱唱します。


2013年5月~第19回演奏会より~
なにわコラリアーズ~第19回目の演奏会に寄せる

 緑が濃くなり、今年も演奏会の季節がやってきました。
 私たちは、趣味という言葉ではなく、使命感とか、生き様とかという言葉を引き合いに出しながら「歌い手と聞き手の人生を変えるための合唱」を目指しています。意地になって。歌が熱い抱擁や固い握手に勝るメッセージを聞き手に与え得ることを信じ、そしてそのことを通して、歌い手である我々自身が「歌」の価値を再認識させられるような体験をすることで、 我々の活動は成立してきたと言えるでしょう。熱い気持ちのやりとりがステージと客席で交わされることを願って、今年も気持ちの入った演奏をさせてもらいたいと思っています。
一昨年の千原英喜先生、昨年の信長貴富先生の新作に続き、今年の夜の舞台では松本望先生の新曲を披露いたします。この冒険が我々に新たな境地と発見をもたらせてくれるよう に思っています。
*来年は、いよいよ20回演奏会となりますが、東京の紀尾井ホールでの演奏会を計画しています。


2014年5月~第20回演奏会より~
男声合唱を巡る冒険~新たなるスタートに向けて

「なにわコラリアーズ」というネーミングですが、私にとっての唯一絶対の師匠である「故福永陽一郎」の率いた幻の合唱団「東京コラリアーズ」から頂戴しています。本日のプログラムでは、これまで得意にしてきたV.Tomisのレパートリーに加え、千原英喜、信長貴富、松本望という人気の3名の作曲家による近年の委嘱曲を一気に演奏するという壮大な企画になっておりますが、団の創立一年目に行なった第1回演奏会のプログラムが、敢えての定番(「黒人霊歌」「多田武彦/草野心平の詩から」「宗教曲集」)であったことを考えますと、レパートリーの面では狙い通りの改革の歴史を過ごしてこれたという気持ちはあります。
 しかしながら、60歳を過ぎてなお青年指揮者のようであった福永陽一郎先生のことを思うと、ここで少しでも満足とか、感慨とかという言葉を使ってはならないな、と自身の気持ちを引き締める次第です。私たちは常に試行錯誤し、新しいことにチャレンジし、 むしろスタイルやレパートリーの新旧に対する拘りなどさえ捨て去ってしまって、全身全霊の音楽をしていかねばなりません。私たちは、時間にゆとりが出来た世代が昔取った杵柄で男声合唱を楽しむのではなく(それはそれで良いことだと思います…念のため)、忙しい世代の男声たちが無理をして何かを犠牲にして歯を食いしばりながらも、意地でも「爽やかにカッコよく!を貫き通して」命がけで音楽と向き合い、音楽には人の人生を変える可能性あるのだと常に思いながらひたむきな演奏をしていかねばなりません。師匠の音楽によって私の人生が変わったように、です。受け継いだものを自分なりに発揮しながらかけがえのない仲間とともに新たな冒険の旅に出ようと思っています。


2015年5月~第21回演奏会より~
21回目の演奏会に寄せる
~指揮者からのメッセージ~

A面
昨年は私たちにとってエポックメイキングな1年となりました。5月の定期演奏会は東京の紀尾井ホールにて3名の作曲家(千原英喜、信長貴富、松本望)をお招きし、かつての委嘱曲を披露する贅沢な演奏会(満員札止め)をさせてもらいました。その後も8月にはソウルでの「世界合唱シンポジウム」に日本代表の招待合唱団として出演、同月にはまた東京でカワイ出版主催の「オール新作コンサート」で、田中達也さんの「シーラカンス日和」を初演させてもらったのでした。全て注目の中で、20年間を総括するような演奏場面を持てたことに心から感謝いたします。
しかしながら、私たちには感慨に耽る気持ちの余白など一つもありません。たくさん努力をして、音楽の奥深さや歌の楽しみをたくさん知らねばならないからです。何故なら私たちのこの20年は、「音楽は偉大であり、それを取り巻く世界も歴史も雄大だけれども、私たちは未熟でちっぽけだ」ということを十分に思い知る20年であったからです。
さて、私たちは第1回目の演奏会を「宗教曲集」「多田武彦作品」「スピリチュアルズ」から始めています。今回からはリスタートの意味合いを込めて活動の根元に戻り、(名曲シリーズ)と(福永陽一郎の世界シリーズ)を始めてみました。加えて私たちの近くにいる大作曲家千原英喜先生への委嘱「ラプソディー・イン・チカマツ(男声版)」と「世界中の合唱曲を紹介するアラカルト」を揃えています…。私たちの冒険はようやく第2幕が切って落とされたところなのです。

B面
…どうでも良い話であるが、高校時代に初めて買ったレコード!が「ショスタコーヴィッチの『森の歌』」である人はなかなか見つけられない。「私は合唱などやっていなかったのに…」である。その次に買ったのが『フォーレ歌曲集』であった人も珍しいはずだ。私はロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」を読んでベートーヴェンに傾倒し ていたにも関わらず…、である。ベートーヴェンは『フルトヴェングラーの足音入りのバイロイト版シンフォニー』を買うのをやめて「フリッツ・ヴンダーリッヒの歌曲」にした。そして大学に入ると福永陽一郎の「月下の一群」である。これは福永陽一郎を初めて見た翌日に買ってみた。結局、「チャイコフスキーのピアノ協奏曲」と「水のいのち」は買いはしなかった。人は迷い、限定的な選択を回避するために大きな振幅を生きる。私が音楽の深みにはまり始めていく初期の出来事である。
そうそう、私は「ちょっとでも良い合唱をしよう」 などという陳腐なことを思ったことは少しもない。果てしなく豊かな音楽世界の中で、私は「ひょっとしてこの扉の向こうに凄い何かが待っているかもしれない」と思って「えいっ」と扉を開けるのだ。それが「なにわコラリアーズ」における私の変わらぬスタンスである。


2015年10月~ただたけだけコンサートVol.4より~
「ただたけだけコンサートvol4」に寄せる

草野心平の詩は、蛙の姿を借りながら宇宙というスケールの中での人間存在の「孤独の美意識」と、ぐつぐつ沸き立つ「野卑とも言える生命力」との拮抗の上に屹立しているように思う。思えば、「なにわコラリアーズ」が第1回演奏会で取り上げた「草野心平の詩から」や「富士山」は、その力強い 抒情を作曲家多田武彦が自らの書法の手のうちにおさめた名曲だと言えるが、この「蛙第二」で特徴的なのは、逆に多田武彦が、草野のスタイルやスケール に立ち向かっていくという姿を見せているところである。私にとっては、その音源を聴いた(約30年前)から耳に残って離れない曲集であったが、多田氏のキャリアの中でも非常に特異な書法へのチャレンジが見られ、改訂にいたるプロセスを考えてもその作品群の中で異彩を放つ名曲であると言える。

他方で、最新曲である「京洛の四季」は、言語とメロディー、リズム、ハーモニーの関係に対して間違いのない選択と情緒性の表出を見せる多田氏の作曲技法の粋を集めた曲集だと言える。移りゆく季節とそれに伴う匂いや体温までをも捉える多田氏の詩への洞察力の凄みは、天使やクリスマスという言葉さえも季語のように軽く乗りこなしながら、12月それぞれの表情を描き出して見せた。

この対極とも言える2つの曲集の古くて新しい、新しくて古い、個人的であって普遍的、普遍的であって個人的、ミクロであってマクロ、マクロであってミクロ、生死宇宙の循環と市井の季節の循環とのコントラストの妙を「ただたけだけ演奏会vol4」の核として表現してみたい。


2016年6月~第22回演奏会より~
永遠の青年を追いかけ
~指揮者からのメッセージ~

人生に必要なもの何か?と聞いたら…、福永陽一郎なら何と答えただろうか。
…その時、私は、ただ固く小さくなって先生の向かいに座っていた。寺町三条の料亭で、着物姿の若い仲居さんが「学生さんどすの?」と微笑みながら、袖を折って優雅な仕草で肉を焼いていた。20歳の私には、聞くことも学ぶことも何もなかった。 私は、ただ、うなずきながら真綿のようにその場のすべてを吸い込もうとしていただけだった。
「最近カルロスクライバーの指揮を真似してるん だ」という信じがたい話に続いて、「どこかの合唱コンクールで元気な児童合唱に1位をつけたら審査の仕事も来なくなった」と笑っていた。それは 「ちょっとましなくらいの合唱などするなよ」というメッセージに聞こえた。私も笑って聞いていた。本当に楽しかったからだ。
その一年後に福永陽一郎は亡くなる。涙のタイミングも、さよならのタイミングもわからず、適切な言葉を見つけられないまま歳月だけが過ぎていった。私は躊躇いながら「純粋な不良青年」を追いかけていく少年でしかなかった。
さて、師匠の団体の名前にあやかりながら作った男声合唱団だが、私の20年くらいにわた る「脱福永時代」を乗り越え、再び取り組みだした編曲シリーズはいよいよ最難関曲目であるリヒャルトシュトラウス歌曲集へと突入する。無理のあるアレンジである。そう、「無理しないで何が面白い」と言われている気がする。命を削いでチャレンジしないと何もわからない。「岬の墓」が私との思い出の曲だって?、そうだったっけ?、何でもこんなもんだと思ってはいけないよ、やわだとだめだよ、テクニックは大事だよ、でも分かりやすいだけでもだめだよ、…そう言われている気がする。
寺嶋陸也という当代一のピアニストを迎えることができた。その贅沢なシチュエーションの 中で、本日も「合唱では収まりきらない何か」を求めながら真剣に挑むのみである。
P.s
そう、冒頭の答え、福永先生は照れも衒いもなく 「愛」 と答えた気がする。
「愛の詩集」と名づけられたリヒャルトシュトラウスのアレンジ、きっと楽しかっただろうと思う


2017年6月~第22回演奏会より~
男声合唱についての短詩
~メッセージに代えて~

合唱の一つの形態に男声合唱があるなどと思ったことはないこの宇宙の中に、それを感じる手段として男声合唱があるというだけだハーモニーを決めることに満足を感じたことはない魂を研ぎ澄まして美しく歌おうとした気持ちの外側にハーモニーのコーティングが出来ているんだ大声で叫ぶなんてことを目指したことはない叫びを宿さない芸術に人生の深淵が抉り取れないだけだ薀蓄はある、しかしそれを語るときは、もどかしい気持ちを収めるときだけだ天才には憧れる、しかし、感受性などという柔なものは信じない練習を信じる無理はする酒は飲むそして、我々は、高らかに歌を歌う


2018年1月~ただたけだけコンサートV0l.5より~
指揮者のメッセージ 

もし多田武彦が居なければ日本の男声合唱はここまで盛り上がったのだろうか・・・、と良く考える。「多田作品」の真髄は詩の選択眼であり、音楽と取り組むことが人生を反映させた抒情詩と格闘することと同義になることから、青年たちの崇高なジャンルに成り得てきたように思う。しかしながら、その分、薀蓄過多や表情過多、もしくはノスタルジーの罠に嵌り易かったのも事実であろう。我々が「ただたけだけコンサート」を始めたのは、声楽技術とオーソドックスな音楽観を持ち込みながら新鮮な気持ちで纏まった取組みをしたかったからでもある。イージーなサウンド志向に流れがちな合唱ジャンルへの警鐘としても、迸る感情をしっかり伝えられる演奏をしたい。北の大地で歌われるに相応しい曲を火の国熊本で演奏することにも「なにコラ」らしい一つチャレンジの意図を込めてみた。


2018年5月~第24回演奏会より~
指揮者からのメッセージ

A面
極端に違った性格を見せる男声合唱の名曲2つ。福永陽一郎の編曲シリーズからオペレッタ。そして縦横無尽に男声合唱の世界を巡る冒険アラカルト。私たちはまだまだ存在する様々な音楽世界を旅しています。今年もたくさんの扉を開いてみたいと思います。
B面
1986年に大学で男声合唱と出会った私は、直後に1枚のレコードを買って学生指揮者をやると心に決め、その3年後に満員の大舞台で指揮をすることになる。当然のように本番の前日は高熱を出して周囲から心配され、気合を入れすぎてのぞんだリハーサルでは1音も浮いて師匠に驚かれるも、ボイストレーナーが涙した本番に至るまで熱すぎる時間の中で発汗し、終演時には高熱は冷めていた。私の身体の話はどうでも良い。そのレコードに収録されていたのが師匠の指揮する「月下の一群」であり、私が指揮したのがそれだったということだ。至高の体験をし、2度と指揮することはあるまいと考えていたが、音楽は偉大で私たちは未熟である。私たちは音楽を制覇するのではなく、音楽は永遠に扉であり続ける。私たちはその扉を開いて世界を冒険するに過ぎないのだ


2019年1月~オール三善コンサート~
オール三善コンサート

三善晃の宇宙を理解するという意味でも、多様な編成での合唱作品や器楽曲までも含んだ個展コンサートというものは見かけたと思うのですが、今回、真逆の試みとして男声合唱曲だけでプログラムを組むという冒険をしてみました。もちろん、この作曲家の魅力を味わいたいという、我々の楽しみとして企画したのですが、取り組むうちに、次第に「男声合唱の可能性と、不可能性のようなものを問うことになる」半年となりました。三善晃にとっては、男声合唱は単に音域的メカニズムではなく、もどかしさを含めた情感の表出そのものであり、歌い手である男声(性)の未熟とそれゆえに生じうる憧憬とを増幅させる精神的な装置でもあったのかもしれません。繊細でナイーブ、やさしくて気高い、はにかみ、憧れ、希望…、これらはすべて我々男声の性(生)としての特徴でしょう。

凜とした佇まいの男声合唱を目指したいと思います。


2019年5月~第25回演奏会より~
指揮者からのメッセージ

男声合唱」は「合唱」とは違うジャンルなのではないか、と考えることがあります。いや、そのようにありたい!という矜持と、無根拠に立ち現れて来る熱い気持ちに支えられて25年間活動をして来たように思います。


(短詩/男声合唱に寄す)

歌うべき曲は山ほどあり、
歌われるべき風景も歌われるべき心情も星の数ほどある
私たちは高らかに歌を歌う
間髪入れず、次から次へと
「声を揃えろ、」なんて誰が言ったんだい?
美声を競い合わせ、
熱い気持を戦わせ
崇高なもののために声を捧げるのだ
男声合唱は気高く美しい
それはひたすらにボールを追って草原を走るフットボールのように