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2001年12月
第3回目の演奏会によせて
合唱団「葡萄の樹」3回目のクリスマスコンサートを開催することが出来ました。
99年の4月に仲間に声をかけあって発足した合唱団ですが、結婚や出産・転勤などで多くのメンバーが離れてしまったのに、新しいメンバーも加わり当初より少し人数の増えた状態でささやかな演奏会が開催出来ることを嬉しく思っています。
今年の3月には作曲家の松下耕先生をお招きして合唱講習会を開催いたしました。「痛みが分かる人間にしか本当に良い音楽は出来ない…。誰でも抱えている傷や弱さが音楽を血の通ったものにする…」という先生のメッセージは私たちにとっても心に染みる言葉となりました。そしてまた合唱をしようとする人、仲間全員への励ましのメッセージでもあったと思います。
いろんな人がいろんなものを抱えながら生きていて、その生き方の手探りと同じように音楽自体もいつも手探りです。目先の結果に拘泥するのではなくつねに手を伸ばしながら心の世界を広げていきたいと思っています(葡萄の樹の枝がしなやかに伸びていくように…)。そして、時間をかけて上質の「葡萄酒」が生まれるように、 「情感に溢れた素敵な音楽」を作っていきたいなあ、、と思っています。
まだまだ3年目、いろんな人と関わるなかで、励ましあったりわくわくしたりしながら、「少しでも良い音楽をしたい」と思っていきたいです。
2002年12月
4回目のクリスマスに
合唱団「葡萄の樹」4回目のコンサートを開催することが出来ました。 99年の4月に仲間に声をかけあって発足した合唱団ですが、今年もまた新しいメンバ ーが加わりささやかな演奏会が開催出来ることを嬉しく思っています。
今年の11月には2年前に引き続き、世界的な作曲家のオルバーン・ ジェルジ先生をお招きして合唱講習会を開催いたしました。「出版された楽譜を信じな いで、自分たちの感性を信じなさい」というメッセージはテクニックやレベルとは関係 なく音楽に対する愛情に満ち溢れた言葉として胸に響きます。
我々も目先の結果や、体裁を整えることに拘泥しないで「音楽そのもの」と「一緒に音 楽に取り組める仲間」とを愛しみながら活動を展開していきたいと思います。「少しで も良い音楽をしたい」という気持ちを大切に、時間をかけて「情感に溢れた素敵な音楽」 を作っていきたいなあ・・・、と思っています。まだまだ、未熟な私たちですか、いつか上 質のワインのような芳香を醸し出せればなあ・・・という夢をもって、今日も大好きなうた たっぷり歌ってみたいと思います。
2003年
2005年
2006年12月
第8回目の演奏会によせて・・
皆様の今年はどんな年だったでしょうか?私にとってもいろいろな出来事があった一年でしたが、年末が訪れ、今夜この場所で合唱団「葡萄の樹」の8回目のコンサートを開催することが出来たことを嬉しく思います。
「情感に溢れたあたたかい音楽をしたい」「生活空間のすぐそばにある音楽を大切にし たい」と思って作ったこの合唱団でしたが、私の力不足で、恥ずかしながら8年経つのになかなか成長せず、もどかしい思いばかりが積もっていきます。最近の私の口癖はともかく、一人一人がしっかり歌うこと!と、自立して正面から歌に取り組むように・・・! ということばかりです。合唱はともすると人について歌うことを許容しがちですが、今年の年初には演劇と合唱とのコラボレーションを経験し、演劇人の自立ぶりに、もっと我々も「自分のうた」「自分の表現」「自分の足でしっかりと立ち、音楽に向き合うこと」・・・を大切にしなければ・・・、と思いました。もちろんそのことは「人の声を聞き」「助け合い」「互いを生かし合いながら、合唱団としての総合力を発揮すること」・・・ と矛盾することではありません。我々の社会同様、合唱の現場もまずしっかりとした個性や個人の思いが存在し、それを分かちあい、受け入れあい、尊重しあったり補いあい、 共感しあうことでなくてはならないと思うからです。・・・もちろん、それがなかなか上手くいかずにため息をつく訳ですが・・・、それでもよく考えてみると、そのような高邁な理念以前にメンバーの入れ替わりにも関わらず相変わらず温かい雰囲気の中で合唱が出来ていること自体が最も幸福なことなのかもしれません。クリスマスの灯りにいつまでも将来を夢見ながら、「こんな曲をしたい、こんな演奏をしてみたい・・・」と憧れを持ち、少しずつでも成長を続けられる合唱団でありたいと思います。
さて、昨年はハンガリーのコダーイを中心にしたプログラムを組みましたが、今年は合唱王国エストニアの合唱曲にチャレンジしたいと思っています。加えて2人の新しい作曲家の紹介を兼ねた曲の披露も予定しています。幕間には、最近めっきり歌を歌わなくなっている子どもたちに「いろんな歌を歌うきっかけを作ろう」と思って始めた「みやこ・キッズ ・ハーモニー」の発表の場を与えていただきました。
練習量の割には相変わらずよくばりでわがままなステージの並びですが、慌しい時間の中でほっとしたぬくもりの感じられる演奏会になればと思っています。我々の音楽がいつも 「胸に当てた手のように」人のこころに気持ちを伝えられるものでありますように♪
2007年12月
9回目のクリスマス
イルミネーションも美しく、今年も温かなクリスマスが到来します。
「生活の隣にある音楽」を目指して結成した「合唱団:葡萄の樹」ですが、早いもので9回目の演奏会を数えることになりました。創設から数年間は教会での発表会を中心と しており、敷居の低い演奏会を目指しておりましたが、今年は初めて京都コンサートホ ールでの演奏会となりました。場所は変われど、生活の中に潤いを・・・、年末の慌しさの中にほっとひと息つける時間を提供し、音楽の喜びを客席とともに分かち合うことが出来ればと思っています。
皆様にとって今年はどんな一年だったでしょうか?
纏めて振り返ってみると様々な出会いや経験がそれぞれに意味深く刻まれているように感じます。今年もこの場で仲間と共に演奏会を開催出来たことに感謝したいと思います。
また、音楽の恵みによってステージと客席がともに心の平安を分かち合い、祈りの気持ちや想像力によってこの場と世界とを結び付けられればと願います。
いつまでたっても拙い演奏ですが、共にクリスマスのひと時をお過ごしいただければ幸 いです。
2008年12月
10年目の葡萄の樹
メリークリスマス。皆様の今年はどんな年だったでしょうか?
私たちが毎年この時期に演奏会を開くのはクリスマスのシーズンが本来的に 「想像力」に満ちたシーズンであると思うからです。1年の終わりに、自分たちの過去や未来についてだけではなく、他者や世界中の人々について、そこで起こっている事態や現象について、そこに満ちている願いや思いについて、・・・あらゆる不幸や幸福に対して思いを抱き、思いを馳せること、共振し分かち合うこと、・・・クリスマスとはまさに、落ち着いて想像力を働かせるシーズ ンではないかと思うのです。もちろん、大きな事態については、ついつい 「何も出来ない」と思ってしまう無力な私たちですが、思いやること、想像すること、音楽を通して祈ったり感謝したりすることこそが、音楽を愛する私たちの音楽に対する大切な向き合い方であるように思います。
ちょうど10年前、「情感に溢れたあたたかい音楽をしたい」「生活空間のすぐそばにある音楽を大切にしたい」と思って作ったこの合唱団ですが、 10年経った今、同じようにこのシーズンに演奏会が持てることを嬉しく 思います。私の力不足で、10年経ってもレベルアップはしておりませんが、 メンバーが随分変わってしまったにも関わらず、「音楽そのものに根差す」 ことによって、今日を迎えることが出来たことはありがたいことです。拙いながらも、見据える先に灯りが見える音楽をすること、「いつか、こんな曲をしたい、こんな演奏をしてみたい・・・」と憧れを持ちつつ、息の長い取り組みが出来る合唱団でありたいと思います。
さて、今年ですが、毎年チャレンジをしているヨーロッパの曲(イギリス→ フランス→ハンガリー→エストニア→ラトビア)は、いよいよドイツに突入。 音楽の奥深さと我々の未熟さを思い知るプロセスにもなりました。
また、10周年の特別の記念として、敬愛する信長貴富先生にお祝いの曲をいただきました。多くの人々のやさしさ、励まし、愛情を受けて育ってきた ことに感謝し、さらなる10年目に収穫される葡萄のお酒を楽しみにしなが ら、これからも頑張っていきたいと思います。
2009年12月
11年目の葡萄の樹
メリークリスマス。 皆様の今年はどんな年だったでしょうか?
私たちが毎年この時期に演奏会を開くのはクリスマスのシーズンが本来的 に「想像力」に満ちたシーズンであると思うからです。1年の終わりに、自 分たちの過去や未来についてだけではなく、他者や世界中の人々について、 そこで起こっている事態や現象について、そこに満ちている願いや思いに ついて、・・・あらゆる不幸や幸福に対して思いを抱き、思いを馳せること、 共振し分かち合うこと、・・・クリスマスとはまさに、落ち着いて想像力を 働かせるシーズンではないかと思うのです。そして、そこに音楽が寄り添 うということは何と素敵な、意義深いことでしょうか。
さて、昨年10周年を迎えた「葡萄の樹」ですが、今年は片山みゆき先生 や雨森文也先生を招いた「講習会」の主催に始まり、「東京カンタート」 への参加や、合唱指揮者協会主催の「ワークショップ(シアターピース)」 へのモデル合唱団出演等…、積極的に外に出て行くことを試みてみました。 来年の3月には佐賀の合唱仲間たちが主催する「コーラスガーデンin SAGA」 へ駆けつけるつもりでおります。もちろん技術的にはまだまだ未熟な合唱 団ではありますが、高みを目指して自己完結するばかりではなく、音楽で 何が出来るのか?、合唱で何が出来るのか?ということを「仲間とともに」 考えたり感じたりしていく合唱団でありたいと思います。憧れを持ちつつ、 息の長い取り組みが出来る合唱団でありたいと思います。
今年もたくさんの曲をいろんなふうに練習してみました。
皆さんに少しずつご披露しながら、慌しい中にも落ち着いたひとときを共 有出来ればと思います。
2010年12月
12年目の葡萄の樹
メリークリスマス。皆さんにとって今年はどんな一年でしたか?
今年の夏、全日本合唱連盟の「こどもコーラスフェスティバル(広島)」に講師として参加させていただきました。戦後65周年ということで今年は広島で開催されたことに意義深いものを感じましたが、コンクールではないこの大きなフェスティバルで特に感じたのは我々アマチュアの合唱活動において「ビジョンを持つ、個性を磨く、方向性を見極める」ということの大切さでした。我々が大切にしていかねばならないのは、例えば「音楽や合唱には何が出来るのか」「そのためにはどういう目標を掲げ、どういう方向に活動を向けていくのか」「何に着目して練習し、選曲をし、どういう演奏会を開いていくのか」ということ等でしょう。
「合唱団:葡萄の樹」もそういった根本的な命題に悩みながら、試行錯誤を繰り返し、いよいよ12回目の演奏会を迎えることになりました。まだまだ未熟で、何かの決定的な色合いが出ている訳ではないかもしれません。 単純にスキルも不足しています。しかし、12年の歴史を纏めて振り返ってみると、合唱や合唱団を通した様々な出会いや経験がそれぞれ意味深く刻まれているようにも感じます。毎年この時期に演奏会を開くことによって…、子供たちの歌声と共演することによって…、様々な来場者から温かい拍手をもらってきたことによって…、我々が良い音楽をしたということではなく、活動を通して音楽の持つ偉大な力を分かちあうこと、音楽を通 して想像すること、感謝することをたくさん教えてもらったように思います。今年もこの場で仲間と共に演奏会を開催出来たことを嬉しく思います。また、音楽の恵みによってステージと客席がともに心の平安を分かち合い、 祈りの気持ちや想像力によってこの場と世界とを結び付けられればと願います。
さて、今年は私もメンバーも大好きな「信長貴富先生」に10回目の演奏会でいただいた2曲をもとに組曲を作ってもらえました。新しい曲を世の中に生み出すということは、作曲家の素晴らしい才能だけでなく、演奏者と観客の皆さんとの共同作業でもあるようにも思います。どうぞ一緒に曲の誕生シーンに立ち会ってください。
クリスマスの前、今年も心地良いひとときを共有出来ますように。
2011年12月
13回目のクリスマス
振り返るまでもなく、今年は大きな震災をはじめたくさんの悲しい出来事 のあった一年でした。私たちは、当初被害の大きさを見るにつけ、「歌には出来ないことがたくさんある」ことを思い知らされました。自分たちの存在の小ささや、無力を思い知らされることにもなりました。しかしながら、少し時が経つと、逆に、歌声が人々の心を癒し、励まし、勇気付ける力を持っていることもたくさん確認することが出来ました。演奏することによって、私たちは生命の恩恵に感謝し、願い祈る気持ちを強く持つことが出来ます。仲間と歌い、仲間の歌を聴き、仲間のために歌うことによって私たちは連帯と想像力とを取り戻すことが出来ます。「歌そのものの存在意義」の確認に繋がること、「歌に出来ること」もあるのだということにも気付きました。
今年もクリスマスのシーズンとなり、イルミネーションが灯ります。
「生活の隣にある音楽」を目指して結成した「合唱団:葡萄の樹」ですが、 早いもので13回目の演奏会を数えます。今年もこの場で仲間と共に演奏会を開催出来たことに感謝したいと思います。また、音楽の恵みによって ステージと客席がともに心の平安を分かち合い、祈りの気持ちや想像力によってこの場と遠く離れた世界とが結び付けられればと願います。歌に祈りのメッセージと朗らかな未来を託しながら演奏したいと思います。
2012年12月
木の音、昨日の音、ノートブック~木の記憶
いつも木はそばにありました。カブトムシをとったクヌギの木、見上げた先に夏空が見えた背の高い杉の木、部屋の窓をノックした花梨の木、…私が初めてメタファーとしての木を意識したのはアンドレイ・タルコフスキーの遺作をスクリーンで目にしたときかもしれません。少年と言葉と祈りという構図は、20 歳の私に鮮烈な印象を残しました。そしてペルト、武満。そういえば「葡萄の樹」というネーミングをたいそう褒めてくれたのはあの大江健三郎氏でした。京都駅でお迎えし、ある講演会場までお送りするタクシーの間に、街路の樹木を眺めながら合唱の話をさせていただいたことがあります。「合唱はいいねえ、 耳を使って人の声を聴くでしょう」と言っておられたことを思い出します。…アゲハが飛び立った棘だらけの山椒の木、たわわな実を実らせた枇杷の木、いつも飛び上がりながら手を伸ば していたイチジクの木、うっすらと目を開けた寝室で光っていたクリスマスツリー、…私たちはたくさんの木の記憶とともに生きています。木と思うだけで、めくるめく記憶の迷路の中に 迷い込んでしまうようですね。
さて、松本望さんの新曲とともにお祝いできるクリスマスの演奏会をうれしく思います。今回は得意にされているピアノという楽器から離れ、アカペラの組曲ですが、そこにはざわめく木の音、木から喚起されるファンタジックな音、虚ろな音、温かい肌触りをもった音が鳴り、宇宙のような音楽を感じさせてく れます。松本望さんの曲の紹介とともに葡萄の樹にとって14回目の演奏会を迎えられることを大変うれしく思うものです。
音楽は夢と思い出を運びます。音楽は他者に対する祈りと想像力を運んでくれます。このひとときが、音楽の祝福に満ちた落ち着いたひとときになりますように。
2013年12月
「葡萄の樹」15回目のクリスマスコンサートに寄せる
「合唱団葡萄の樹」は1999年の4月に私が地元の京都で立ち上げた合唱団です。コンクール等を目標とせず、生活の身近にある合唱活動として歌うことが生活を潤していくこと、歌うことで少し幸せな週末を迎えられるように金曜の夜に練習をしてきました。葡萄の樹の名の通り、創立当初は宗教曲を中心にしながら教会で練習をし、 教会でクリスマスコンサートを行なっておりましたが、現在は人数の関係で、コンサートホールで演奏会をし、宗教曲以外にもさまざまなジャンルの曲を演奏するようになりました。(アットホームでフレンドリーな雰囲気は変わっていません)
私たちが毎年この時期に演奏会を開くのはクリスマスのシーズンが本来的に「想像力」 に満ちたシーズンであると思うからです。1年の終わりに、自分たちの過去や未来についてだけではなく、他者や世界中の人々について、そこで起こっている事態や現象について、そこに満ちている願いや思いについて、・・・思いを馳せること、分かち合うこと、音楽を通して祈ったり感謝したりすることこそが、音楽を愛する私たちの音楽に対する大切な向き合い方であるように思います。また、演奏会では私が主宰しております「みやこキッズハーモニー」も一緒に出演いたします。子どもたちにはたくさんのお客さんの前で歌う経験をさせてもらい、いつもラストには合同演奏していますが、子どもを加えることで、世代を超えて歌で一つになれることはもちろん、聴衆と一緒になって 子どもたちを応援する雰囲気が作られ、合唱の素晴らしさを実感しています。
さて、昨年は「みなづきみのり」の歌詞に新進気鋭の松本望が付曲した「木々のスケッチ」 を初演させてもらいました。今年は、「みなづきみのり」シリーズ第2弾として、信長貴富先生の新曲を演奏させていただきます。終曲の「葡萄の樹」の歌詞を掲載させていただきます。言うまでもなく、私(みなづきみのり)が私(いとうけいし)の作った合唱団 のイメージで作詞をしていたものです。信長先生の時間が空くのを見計らってお願いし、 今回ようやく作曲いただきました。感謝しています。
「葡萄の樹」→「肩寄せ合う仲間たち(渋さも甘さも)」→「ともに歌う」→子どもたち も聞き手も含めて「気持ちのこもった音楽によって音楽に新しい命をはぐくむ」・・・とイメ ージしています。そのようになれば良いなあ、という憧れや夢を込めて。
「葡萄の樹」(詩:みなづきみのり)
枝を張り
つながり
実を実らせる
葡萄の樹よ
大地から水を吸い上げ
日差しを浴び
葉を広げて雨を受ける
葡萄の樹よ
肩寄せ合う房よ
眠り誘う甘い果実よ
種に凝縮された苦さよ
薄皮に残された渋さよ
風に揺れ、言葉を語れ
光に煌き、喜びとなれ
影を作り、憩いとなれ
その皮も実も種も
幾千もの時間をかけて、やわらかな微笑みとなれ
葡萄の樹よ
耳を澄まし
音楽を奏でよ
(心揺るがす音楽を)
葡萄の樹よ
時を越えて
新しい生命(いのち)となれ
2014年12月
「葡萄の樹」16回目の演奏会について
私たちが毎年この時期に演奏会を開くのはクリスマスの シーズンが本来的に 「想像力」に満ちたシーズンであると思うからです。1年の終わりに、自分たちの過去や未来についてだけではなく、他者や世界中の人々について、そこで起こっている事態や現象について、そこに満ちている願いや思いについて、 ・・・あらゆる不幸や幸福に対して思いを抱き、思いを馳せること、共振し分かち合うこと、・・・クリスマスとはまさに、落ち着いて想像力を働かせるシーズンではないかと思うのです。そして、そこに音楽が寄り添うということは何と素敵な、意義深いことでしょうか。
さて、今年は少しだけチャレンジングな挑戦を行います。
これまでも千原先生の曲目にはたくさん取り組んできましたが、今年は私の大好きな「アポロンの竪琴」を小さな演出を加えながら演奏してみます。
遥かな時の物語、遥かな海の物語…。
さて、私たちは時の中にいるのでしょうか?私たちの中に時があるのでしょうか?
さて、私たちは海の中にいるのでしょうか?私たちの中に海があるのでしょうか?
瞳開けて見上げた満月が瞳閉じても心の中にくっきりと存在するように、私たちと世界とはお互い呼吸し合い、包み包まれながら存在しているに違いないですね。
そんなことを感じさせてくれる素敵な合唱物語。
未熟な合唱団ですが、思い思われるクリスマスのシーズンに、ささやかな演奏会の開催が出来ましたこと自体に幸せを感じながら、一生懸命の歌を歌ってみたい と思います。
素晴らしい音楽に触発されて勝手に挿入詩などアレンジしてみました。言葉から歌へ、歌がまた別の言葉へ…。そんな感じでしょうか。
2015年12月
17回目の演奏会に
「生活のそばに音楽の潤いがある」ということが私の合唱活動の目的の一つでもありました。かつて大阪の四条畷で児童合唱の修行をしていた時代がありましたが、どうしても子供たちと同じ空気を吸っていない(昨日お祭りがあったね、とか運動会の音がしていたね、という会話が出来ない)ことにもどかしさを感じ、 私の生活空間である京都に児童合唱団を作りました。同じように土日の大阪(淀 川混声合唱団、なにわこらリアーズ)で合唱指揮としてのキャリアを開始した私も、やはり平日の京都で合唱活動をすることが出来たら、ということを思い立ち上げたのが合唱団「葡萄の樹」です。
地域の教会をお借りし、地域の教会(遮音された特別の音楽空間でなく)で演奏会をすることから始めた合唱団でしたが、幸いにして立派に成長し、今では多くの作曲家の方に曲を書いてもらえるような合唱団として活動の幅を広げてくるこ とが出来ています。
さて、本日の会場は久しぶりになりますが、ショッピングモールの中にある北文化会館です。「葡萄の樹」を原点とも言える「生活空間のそばにある憩いとして の音楽会」をするには非常に象徴的な場所とも言えます。クリスマス前の慌ただしい季節、夕暮れから夜に向かう手前のひと時、歌い手と聞き手の間に湯気の立ち上るような温かな音楽会になりましたら幸いです。
2016年12月
思い出すのはクリスマスの夜…
幼い頃、就寝時に真っ暗になることを極端に恐れていた私は、いつも蛍光灯の小さな灯りを残した上に、父の部屋に通じる襖をほんの少しだけ開けて細く光が入るようにもしておりました。でも、この夜だけは枕元に小さなクリスマスツリーを置いてもらい、きれいな光の中で安心して兄と楽しい話をしながら夢の世界に紛れ込んでいたのでした。
…合唱団「葡萄の樹」の演奏会の最大の特徴は、まず「クリスマスの時期」に演奏会をすることです。世界の誰かに思いを馳せたり、祈りや想像力に満ちた季節に合唱をすることは、時空を越えて私たちを結び付けてくれる音楽の素晴らしさに感謝することでもあるように思います。そして、もうひとつの特徴は、世代を越えた合同演奏があることです。「みやこキッズハーモニー」は歌の好きな子供たちをたくさん育てたいという思いに支えられて10年間の活動をしてきました。毎年のこの舞台は子供たちにとって大きな経験になるだけでなく、私たちが子供たちに未来を信じ、歌声に希望を見つけるという意味もあるように思います。今年は10周年のお祝いもかねて松波千映子先生に合唱物語「さびしがりやのサンタクロース」を作曲していただきました。かつて子どもだった大人たちと、いずれ大人になっていく子どもたちがひとつの舞台を作ります。私の尊敬する二人の演劇人(広田さん、二口さん)にも力を借り、楽しく歌いあげてみたいと思います。
内容は、私が一人でクリスマスツリーを眺めながら想像していたファンタジーです。 他愛のないものですが、みんなきっと「さびしがりや」でみんなきっと「サンタクロース」が大好きですからね。皆さんの心にも小さな灯かりがともりますように。
2017年12月
例えば、明日が雨であっても
高校時代に、クラシック音楽が好き(山登りをしていて合唱とはまだ出会ってない)で全てのFM放送で流れるクラシック番組をエアチェック(完全に死語)して聞いていた私は、ゲストが一番好きな曲を紹介するというコーナーで、武満徹の「小さな空」が流れ、武満が合唱曲を書いていることを初めて知りました(のちに、それが関屋晋であったことに気付く)。その後、大学に進学し映画を見始めた私は、フランス映画社の作品について蓮実重彦と対話している武満徹をパンフレットの中で見付け、この「映画と文学と音楽に跨った芸術家が、私の感性の領域に大きく浸食していること」を直観したものです。
私たちは「好きな人が好きなもの」について、とても興味があるもので、私も映画監督が選ぶ好きな映画とか、作曲家が影響を受けた作品とかを知りたいとよく思うのですが、武満徹のギター曲(ギターのための12の「うた」)の中にも秘密があるように感じます。全て武満徹が口ずさんでいた歌をアレンジしたものです。「イエスタデイ」「サマータイム」「星の世界(賛美歌)」「オーバーザレインボー」「ロンドンデリーエア」・・・そのようなラインナップを見るにつけ、武満徹は合唱作品を書いたというよりは、まさに混声合唱のために「うた=ソング」を書いていたのだなと気付くのです。
ある展覧会で、映画「乱」のシナリオの片隅に書かれた「明日ハ晴レカナ、曇リカナ」の文字を見たことがあります。それは、まるで武満の心の中で歌われた歌のように「はにかみ」「ほほえんで」いました。明日がもしも雨であっても、心の奥に歌があることで私たちは曇り空くらいの安堵を感じることが出来るのでしょう。『葡萄の樹』の19回目の演奏会がそのような「うた」に満ちたものになりますよう。
2018年12月
ポエジア~パンと葡萄
陽射しが小麦を育て、母がパンを焼く
雨が葡萄を実らせ、父が樽に酒を仕込む
大地は、樹は、幾度の風雨に耐え、歳月を潜り抜けてきたことか
そして結ばれた強い実が、私たちの血肉となる
そうやって世界は私たちにその在り方を伝えるのだ
人は歌を歌う
世界の音を聞き取り、言葉の意味を問いながら
瞳を研ぎ、夢を声でなぞりながら
人は歌う
やがて風になる歌を
空を駆け大地見下ろす歌を
時を越えて、誰かの胸に残る歌を
1999年の4月4日にこの合唱団を立ち上げました。それからかれこれ20年。たくさんの経験をし、たくさんの果実を実らせてきましたが、音楽はまだまだ熟成せず。でも、活動を通して、世界の鼓動に耳をすましていけますように。歌声が祈りに変わり誰かの胸に残りますように。
2019年12月
葡萄の樹 樹齢21年
昨年20周年を迎えた合唱団「葡萄の樹」は、チャレンジしてきた一つの方向性の集大成として合唱物語「パン屋さんの匂いでしょ」を演奏させていただきました。それは、日常の隣にある音楽…、過剰で芝居がかったものではなく癒しと微笑みのある音楽…、日常の喜怒哀楽の中で培われた内面から滲みだす表情を大切にした音楽…を目指すことでもありました。
さて、21年目です。11年目がそうであったように、また私たちの原点に戻ったつもりで新しいページをめくりたいと思います。
演奏会は合唱音楽に必要なすべての要素を兼ね備えてもいる古い時代の音楽からスタートし、今同じ時代の空気を吸っている作曲家の作品と、多様性に溢れたバラエティ豊かなアラカルトを集めてみました。
子どもたちと一緒に、そして会場にお運びいただいた方々と一緒に、クリスマスのひと時、気持ちを分かち合えることに感謝しながら、丁寧に音楽を作っていきたいと思います。
〇合唱物語という形式について
名古屋大学コール・グランツェとともに開発中の「合唱物語」というジャンルは、合唱劇やミュージカルとは少し異なります。ナレーションで物語を進行させ、合唱は簡易な演出を伴った独立した曲として演奏されます。つまり、歌い手は演技や高度なダンスまでは要求されず、物語を進行するためのレスタチーボ風の複雑な音程を練習する必要もないのです。言い換えれば、合唱部分だけを取り出してもそれぞれに魅力的な合唱組曲として存立することになるので、この方式は、合唱団には負荷をかけ過ぎず、演奏会曲目の楽しいバリエーションとして多く活用されるのではないかなと思っています。
〇合唱とピアノのためのメルヒェン「青をめぐるクジラ」について
2015年「夢見る翼の歌」で、初めてその形式を試していただいた山下祐加先生には、翌年、本作品に取り組んでもらいました。内容は、父を失った少年が、父に会うために願いの叶う「星のかけら」を探して、クジラの背中に乗って冒険する…、というファンタジーです。今回はナレーションを付けず、合唱組曲として演奏してみるのですが、山下先生は、少年が冒険していくのと同じように、各曲に世界のリズムや音楽の要素を仕込んでくださっていますので、物語はなくとも、音楽が雄弁に語ってくれると思います。ぜひストーリーを自由に想像しながらクジラの背中に乗ったつもりでの世界旅行をお楽しみください。
とは言え、少年の探していた「星のかけら」は見つかったのでしょうか?
…答えの代わりに今年は、アーウィン・ショーの掌編小説のラストシーンを紹介しましょう。
これは、ピアノばかり弾いている気弱な弟と、そのことを多少苦々しく思っていた兄との、大人になる手前の忘れられない1日を描いた作品です。
人生で初めて自分の思い描いたような「勇気」を振り絞ってくれた弟のことを心の底から誇らしく思った兄は、帰り道、本当は女の子とのデートのために残しておいたお金を握りしめ弟の腕を取ります。
「こっちの道に行くぞ」
「でも、家はこっちのほうだよ、兄ちゃん」
「わかってるよ、町へ行くんだ。アイスクリーム・ソーダだよ、二人でストロベリー・アイスクリーム・ソーダを飲むんだ」
物語はそのシーンで終わるのですが、私は想像します。笑顔で見上げる弟と鼻歌を歌いだす兄を。そして、その瞬間は永遠に忘れられない瞬間になったであろうことを。クジラの物語は、このシーンに憧れて書いたようにも思います。
P.s
来年のアルティ声楽アンサンブルフェスティバル(2020年7月12日)では、ナレーションと演出付の合唱物語形式で演奏(演奏者公募)することにしています。ぜひ参加してみませんか?
2020年12月
うたの明かりを灯し続ける
「生活の中に音楽を」という気持ちから「合唱団:葡萄の樹」を立ち上げました。それは、繋いだ手のように、小さくとも安心のぬくもりを与えるもの…、気持ちを共有することで人生の中での潤いを願ったものでもありました。
…当たり前のような日常の価値を今ほど実感出来る時期はありません。音楽も演劇も、そして生活そのものも、生身と生身との対面でしか伝わらないものがたくさんありますね。
9月から慎重に少しずつ練習を再開させ、本日は、考えられる感染対策を万全に施し、各種のガイドラインを遵守した形での演奏会をいたします。小さくとも手作りの明かりを保ち続けることの価値や意味を考えていきたいと思っています。
ふたたび、手を繋ぎ、抱きしめ合い、コロナによってもたらされた「分断」から「連帯」を取り戻す時を夢見ております。その連帯の象徴が「合唱」であることを信じて。
2021年
2023年
25回目のクリスマスコンサート演奏会に寄せる
「生活の隣に音楽と歌を!」という考えから「葡萄の樹」を立ち上げたのは25年前でした。自ら作ったチラシを手配りし、近くの学生や近所の合唱愛好家に声掛けをして始めた最初の練習の日のことをよく覚えています。そもそも私には大学時代からチャペルの礼拝で毎週のように歌を歌う経験があったのですが、当時、先輩から頼まれて参加した小さな教会コンサートで舞台と客席とがひと時の音楽会をともに楽しむ雰囲気に心打たれたことが、この合唱団を立ち上げたきっかけであったように思います。つまり、コンクールでの上位進出を目指したり、大きな音楽ホールでシリアスな作品を熱唱するばかりが合唱活動ではないというわけです。以後、「葡萄の樹」では教会音楽を中心に、音楽の喜びを分かち合うことを基本として活動してきています。金曜日の夜に練習を設定したのは、仕事帰りに歌を歌うことで疲れを癒したい(それこそが歌や音楽の価値だ)と思ったからに他ありません。それから25年、世界にアンテナを張ったり、様々なチャレンジも重ね、いつの間にかコンサートホールで新曲を委嘱することが出来るような団体に育っています。しかし、これからも変わらぬ精神で「音楽への感謝」を忘れず、「生活の隣にある合唱の楽しみ」を味わっていきたいと考えています。