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2005年1月(第1回)
ごあいさつ
ご縁があってエントアールの創設手前から指導者として関与させていただいておりました。約2年の歳月を経てここに大切な第一歩目の演奏会を共に迎えられましたことをとても嬉しく思っております。
私自身は当初女声合唱の経験値も浅く、戸惑いと試行錯誤の連続でしたが、幸いにして信頼出来るヴォイストレーナーである山添元子先生のご協力を得ることが出来ました。そして何よりメンバーがそもそも蓄えておられた音楽的な感受性(総合的な人間力と言うべきか)に私のほうが刺激を受けることにもなりました。
昨年、初めて参加させていただいた全国大会では、大好きなブストと子供の頃から親しん だ「手話」を交えたチルコットの曲で素敵なメンバーとともに「ひまわり賞」をいただけ たことは私の大切な思い出にもなりました。
音楽はテクニックのみに支えられたものではなく、どういうふうに、何を感じながら生きているか(生きてきたか)に依拠するものだと信じています。「教え込む」「叩き込む」 だけではなく、メンバーが持っているものを「引き出す」こと、そして「丁寧に束ねる」 ことに徹した練習をしてきました。驚くような技術力はありませんが、本日も、音楽の本来持っている「あたたかみ」にしなやかによりそった演奏が出来れば良いなあと思っています。
2007年3月(第2回)
ごあいさつ
エントアールの創設に関わり、ともに音楽をすることになって早くも4年の歳月が 流れます。そしてここに第二歩目の演奏会を迎えられましたことを嬉しく思って おります。何でも一歩目を踏み出すということはなかなか難しく勇気がいるもの ですが、一歩目から二歩目への歩みは、意外とそれ以上に難しい道のりであるのか もしれません。歩みの方向に迷いを感じたり、大きな目標と小さな目標の組み合わ せの仕方、可能性の広げ方と自分達のテリトリーの中で個性を発揮することとの鬩 ぎ合いの中で戸惑いと試行錯誤が続いていたように思います。
幸いにして信頼できるヴォイストレーナーである山添元子先生が団のクオリティを 磨いてくださり、何よりメンバーがそもそも蓄えている歌ごころや音楽に対する 謙虚さこそが、未熟な私を超えて存在していたようにもおもいます。
今年はハンガリーの曲を集めたステージを作りささやかな勉強をしてきました。 そして、珍しいアジアの世界の歌たち、・・・それから初めての試みとしまして、 オリジナルアレンジのシャンソンの曲にも挑戦したいと思います。
本日も、音楽の本来持っている「ぬくもり」や「楽しさ」に寄り添い、春の到来を 喜び合えるようなささやかな時間が持てれば良いなぁと思っています。
2009年5月(第3回)
ごあいさつ
ご縁があって「エントアール」と関わりを持ってから、もう6年ほどが過ぎたの でしょうか?あっと言う間の歳月でしたが、その間に着実に歴史が積み重ねられ ていることに感慨深いものを感じます。1月には「なにわコラリアーズ」と共に 京都で「ただたけだけコンサート」の1ステージを務めることもできました。 最近になって、私の環境が変化し、なかなか上手く練習日程が組めない状況が ありましたが、信頼出来るボイストレーナーである山添先生がしっかりとした 指導をしてくださり、早くも3回目の演奏会を迎えられましたことを大変嬉しく 思っています。音楽とはピークを目指す登山のようなものではなく、人生のそれぞれの 道程の中で、その時々の感性で向き合っていくべきものだと考えます。 千原英喜先生の「みやこわすれ」なども、それぞれの世代での様々な思いと 気持ちを抱く曲だと思いますが、それらをそのまま豊かに織り成す音楽が出来れば と思っております。他にも、夢あり、チャレンジありのステージですが、 エントアールの3歩目の歩みをともに楽しんでいただければ幸いです。
2011年5月(第4回)
ごあいさつ
ご縁があって「エントアール」 と関わりを持ってから、気付いたらも う8年ほどが過ぎたのでしょうか? あっと言う間の歳月でしたが、いろ んなこともあり、歴史が積み重ねられていることに感慨深いものを感じ ます。その間、私の環境も変化し、なかなか上手く練習日程が組めない 状況もありましたが、信頼出来るボイストレーナーである山添先生がし っかりとした指導をしてくださり、4回目の演奏会を迎えられましたこ とを大変嬉しく思っています。しかも今回は初の委嘱曲を披露するとい うことで、合唱団の志の高さと意欲を感じるものです。関西が誇る若手 人気作曲家の北川昇さんの 「いつかの木から」はデュエットを基本に、 分かり易くシンプルな構造の曲となっています。7曲からなり、最初か らの6曲はそれぞれ (3月5月7月9月11月1月) というイメージ (私 なりのイメージ!) で季節をひと巡りし、最後の1曲で人生全体を懐か しく振り返るような構成となっています。心の髪を震わせながら、ほの かな季節感や気持ちのつながりを歌いますが、無理のない親しみやすい 曲で、豊かに様々な経験を積んできたエントアールのメンバーにはびっ たりの曲ではないかと思っています。演奏会としては、他にも千原先生 の組曲あり、歌による世界旅行あり・・・・、もりだくさんのステージ構成と なりますが、エントアールの4歩目の歩みをともに楽しんでいただけれ ば幸いです。
2013年5月(第5回)
ごあいさつ
ご縁があって「エントアール」 と関わりを持ってから、何ともう10年 の歳月が過ぎたようです。あっと言う間の歳月でしたが、その間に一つの 歴史が積み重ねられていることに感慨深いものを感じます。最近になって、 私の環境が変化し、なかなか上手く練習日程が組めない状況がありました が、作曲家であり指揮者でもある北川昇さんがサポートしてくださり、 エントアールの新しい表情を引き出してもらっているようにも思います。 音楽とは決してピークを目指す登山のようなものではなく、人生のそれぞ れの道程の中で、その時々の感性で向き合っていくべきものだと考えます。 そして歌には人生そのものが現れてきます。気持ちの奥から沸き起こって くる表現や言葉のリアリティなど、エントアールの練習では、指導してい るつもりの私のほうが学ばされることが多いです。
10周年を記念したこの演奏会では、かつて演奏した曲も取り上げてみ ました。また新しい一歩に向けての小さな新曲のプレゼントもあるようで す。エントアールの10年の歴史を噛み締めながら、歌や音楽や仲間への 感謝の気持ちを込めて演奏したいと思います。
2015年5月(第6回)
エントアールと過ごした12年の歳月
エントアールと関わりを持ってからいつの間にか10年以上の月日が流れています。 その間、自分自身の人生の中でも様々な出来事や出会い、学びがありました。指導 しているつもりが、たくさんのことをエントアールという合唱団から(もしくはそ の活動を通して)学ばせていただいているんだということにも気づくに至り、様々 な巡り合わせの妙に感謝するばかりです。
「ありがとうの歌」は、先に出来た終曲を軸にしてこの演奏会のために作られた組 曲ですが、組曲としては、「いつかの木から」に続く2つ目の大きな委嘱初演作品 ということになります。前曲同様、北川昇さんの感受性とセンスの良さが光り、温 かみのある美しい曲に仕上げていただきました。
「ごめんなさい」と「ありがとう」は、とても簡単だけど、同時にとても難しい言 葉だとも思います。なかなか素 直になれない私としてはなおさらです。
一生懸命に生きて、一生懸命に努力して、歯を食いしばって苦労に耐え、人は初め て自分の至らなさと、それでも 自分を包み込んでくれる大きな愛に気付くようにも 思います。そしてそのとき人は初めて素直に、心の底からの言葉を発することが出 来るのではないでしょうか。風雪を耐え、春先をまどろみ、やがて五月に咲く花の ように…。
私たちの演奏が多くの人の心に温もりを伝えられますように。また、この曲との出 会いが私たちにも多くの気づきやきっかけを与えてくれますように。
この新曲が、たくさんの合唱団によって歌われることを夢見ています。
2017年12月(第7回)
夢のふくらむ12月のコンサート
十二月の幸福は、穏やかで、朗らかで気づきにくい近さに潜む それはまたささやかであればあるほど美しい クリスマスの色とりどりの灯りの中に商店街の賑わいの中に 小さな首に巻きつけられたマフラーの毛糸の隙間にさえ幸福は息づき それは必ずいつか見た風景を想い起こさせる それは大人が子供のときに味わい 子供が大人になったときに噛み締めるあの気持ちだ 十二月の幸福は、降り始めの雪のような気づきにくさで私たちに近づき 環のように繋がり結ばれているその先に少しの未来を予感させながら みなづきみのり 「十二月」 より
子どもの頃から12月は大好きな行事が多く、とてもわくわくしながら過 ごしていたものです。年末を見据えいろんなことが閉じていく中で、慌 しい、忙しいと言いながらも切迫感ではない別の幸福感が満ちていく雰 囲気が気持ちを高揚させてくれます。「今年は頑張った」 「今年は出来 なかったけどまずまず元気で過ごせた」 「今年は残念だったけど、来年 こそはこうありたい」・・・、いずれも、暮れていくに従って我々は想像力 を増していくように思います。
・・・私自身も12月は日々様々な想い出に心を温められながら過ごしていま す。マフラーをしっかり巻きつけ近所のお寺まで兄に手を引かれて行っ た大根焚き、枕元に光っていたクリスマスツリー、台所から香る甘い黒 豆の匂い、火縄を回しながら歩く大晦日の帰り道・・・。誰かとともに気持 ちを分かち合いたくなるこのシーズンに、遥かな(?)世代を超えて音楽 を楽しむ演奏会を開催出来たことを嬉しく思います。
松波千映子先生にも新曲をプレゼ ントしていただきました。
懐かしい思い出や、未来への夢も 織り交ぜながら、「音楽の恵み」に よって楽しいひとときを過ごして いただければと思います。
2019年12月(第8回)
「女の愛と生涯~千原/みなづき版」
演奏に寄せて
…時々考えます。私たちは歴史の中に生きているのでしょうか、それとも私たちの中に歴史があるのでしょうか。私たちは時代を生きるとともに、体験してきたことの想い出や記憶とともに生きているとも言えます。ですから「時間」は私たちの中にも外にも存在し、それぞれ別の流れ方をしていると言えるのではないでしょうか。
また、私たちにとって生と死とは互いに反対の世界に位置するものなのでしょうか、死とは生の後に訪れるものなのでしょうか。私はこうも思います。私たちの生はそもそも「死を抱えながら存立しているのだ」と…。
さて、シューマンの名曲「女の愛と生涯」を物語ふうに翻訳し、千原英喜先生に合唱曲にしていただいたうえで指揮をするという貴重な経験をさせてもらっています。このタイトルからは、どうしても女性の幸せが「受け身」であることや、「結婚や出産」に収斂されているかのような古い思考パターンを喚起してしまいがちです。確かにテキストの内容はいかにも世の男性の秘めた願望(先に死ぬ夫を悼んでほしい)すら読み取れてしまいますが、私がこの間ずっと感じていたことは、そのような表面的なストーリーではなく、むしろ、もっと普遍的な「私たちの生と死を取り巻く時間の物語」でした。
私たちは、歴史に翻弄され、時代に翻弄され、社会に翻弄され(もしくは少しは助けられ)ながらも、与えられた環境の中をひたすら生きます。そうしているうちに外の時間はどんどん過ぎ去り、私たちはいずれ年老いていくのですが、時間はいつしか私たちの中にたくさんの思い出や記憶を生み出し、様々な人との関りを織りなしていってくれます。
つまり、私の中には「あの日の私」がいるとともに、誰かの記憶の中にも「あの日の私」がいるかもしれないのですね。そして、それぞれの時間を丁寧に見出す「まなざし」こそが「愛」なのではないかと思います。「思い出すこと/思い出されること」「私を/あなたを/誰かを」…私たちはこの繰り返しの中を生きているのです。まるで瞳を開くことと閉じることの繰り返しのようにして「愛し/愛されている」ように思います…。
2021年12月(第9回)
ごあいさつ
音楽も演劇も生身との対面でしか伝わらないものがたくさんあります。コロナ禍では逆説的にこのよ うなことを身に染みて感じさせてくれたように思います。本日は、考えられる感染対策を万全に施し、 各種のガイドラインを遵守した形での演奏会をいたします。小さくとも手作りの明かりを保ち続けること の価値や意味を考えていきたいと思っています。
楽曲は小さなオルガンを持ち込んでの美しいミサ曲とともに、親しみのある歌曲を新しい日本語で 演奏させていただきます。
いずれも先人の訳詞があったものではありますが、時代を経て変わっていく言葉とともに忘れられて いくことにならぬよう、新しい言葉を入れてみました。もちろん楽曲は原語のアクセントやイントネー ションに拠っている部分が多く、正しく味わうには原語で歌うに越したことはありません。しかしながら、 敢えて日本語で歌うことによって、曲の多面的な魅力を感じさせるとともに、入門編としての親しみ を生み出すものだとも思っています。美しいメロディーは天才たちの残してくれた財産でもあります。 今回は私たちの等身大の言葉で味わう喜びに浸りたいと思っています。
2023年12月(第10回)
気が付くとあっという間に時間が経ってしまっています。コロナ禍での様々な制限は3年以上の歳月を飛び越えてしまいました。しかしながら、その間も歌うことを忘れず、地道な努力を繰り返してきたことで、この事態は私たちに「歌うこと」「ともに歌うこと」の大切さとかけがえのなさを教えてくれたように思います。
さて、今回の演奏会では先回の演奏会で試みたチャレンジの続きをさせていただくことになりました。著名なクラシックの作曲家による歌曲の日本語によるチャレンジです。もちろんこのような楽曲の音楽はアクセントやイントネーションと不可分であり、正しく味わうには原語で歌うに越したことはありません。しかしながら、敢えて日本語で歌うことによって、これらの名曲に親しみ味わうことを選択したいと考えたのです。100年、200年と残り続けて世界で愛される名曲には「名曲たる理由」があるように思います。またこの試みは、私たちの歌が合唱枠に閉じこもるのではなく、それらの大作曲家の音楽全体の入門編としての親しみを生み出すものだとも思っています。いずれも先人の訳詞があったものではありますが、時代を経て変わっていく言葉とともに忘れられていくことにならぬよう、新しい言葉を入れてみました。美しいメロディーは天才たちの残してくれた財産でもあります。日本語による歌唱でその魅力に浸りたいと思っています。