2023年5月 第1回
ご挨拶
本演奏会は、コロナ禍において打撃を受けた関西の音楽界の再活性化を目指し「いずみホール」と有志委員会との共催行事として企画されました。「合唱」と言えば、クラス合唱の取り組みやコンクール活動等のイメージに伴って「団結」や「達成感」のような言葉で括られがちです。しかしながら、「ともに歌うこと」は音楽の一ジャンルにとどまらず、「言葉を持ち、複数以上の人によって成立する」という意味において、我々の文化・社
会基盤そのものに根差した活動であるとも言えます。
西洋音楽の紹介と融合から100余年。技術向上に邁進した昭和時代を経て、平成以後はグローバル化と国際交流が進み、地球上の様々な地域の合唱作品が紹介されています。そして、成熟した一般団体による委嘱活動も活性化し、近年では多様な広がりを持った豊かな活動が展開されていると言えるでしょう。そうやって開かれた歌と合唱の「地平」を紹介したいと思っています。
当面の予定として、3年計画で3名の邦人作曲家の作品に焦点を当てた作曲家シリーズ(作曲家を招聘し、レクチャーコンサート風に)を展開します。ジョイント・コンサートという枠を超え、音楽的視座を持ったホール共催企画とすることで、アカデミックな観点から我が国における合唱音楽の現在地を俯瞰してみたいと考えます。出演は関西(西日本)を代表する合唱団。そしてトップバッターにふさわしい作曲家として、世界中の合唱シーンで中心的な役割を担い、活躍されている松下耕先生にお越しいただいております。
どうぞ、連休の疲れを癒す合唱音楽のひとときをお楽しみください。
解説 松下耕合唱作品について
日本の合唱史において、松下耕氏が果たした功績はある種の「パラダイム転換」をもたらすものでもあったと言える。世界がグローバル化を見せていくに従って、その先駆的にも見えた取り組みが世界的潮流としての王道だったことも明らかとなり、そこには松下氏が「作曲家だけではなく指揮者として、プロデューサーとして、もしくはその人格や人柄を通して果たしてきた役割の大きさ」に気づかされる。本企画「邦人作曲家シリーズ」の立ち上げ当初から、現合唱界を象徴する存在として、松下氏にスポットライトを当てることを考えていたが、本演奏会では、松下氏の作曲家としての業績を4つの観点から捉えてみたいと思う。
1.「耳を作る合唱、耳を使う合唱」
このような呼称がよりふさわしいと考える。ハンガリーからの帰国後、松下氏は長い時間をかけてバルトーク・ベーラの業績を彷彿とさせる全100曲にわたる作品群「合唱のためのエチュード」の作曲に取り組んでいる。これは、すべての曲目をソルミゼーション(=移動ド唱法)で学び、純粋なア・カペラの響きを身に付けることを目指す作品群であるとともに、指揮者や指導者に対しても、楽曲分析と理解、解釈を経て合唱音楽が要求するスキルを習得していくことが出来る(まさしく「エチュード」となる)素晴らしい内容を持った作品群だと言える。もちろん合唱の醍醐味である純粋な響きを得るための練習に向いているが、日本の合唱団にとって重要なのはそれが「母語となる日本語」で作られていること、そして多分に啓蒙的な内容であると言えるにも関わらず「楽しい」要素が散りばめてあるということであろう。
また合唱のイントロダクションとして重要な「児童合唱作品」もたくさん手掛けられているが、無用なアクロバットは使わず、また大声で教条的なメッセージを連呼するのでもない、「互いの声を聴き合う仕組み」「想像力を膨らませながら歌と取り組める要素」「仲間と歌う楽しさが実感できる雰囲気」に満ちた楽曲が生み出されていると言える。まさに「発想を変える」ことにもつながる松下氏の重要な業績であると言えよう。
【曲目】
合唱のためのエチュード1 <初級編・上>より 「いろはにつねこさん」/阪田 寛夫
合唱のためのエチュード2 <初級編・下>より 「ほしのこもりうた」/工藤 直子
(児童合唱用に書かれた「エチュード」作品から、「楽しい言葉遊び歌」と「静かな子守歌」を取り上げる。ともに初めて合唱をする子どもたちがその魅力を体得しやすい「カノン」を基調とした作品になっている)
児童合唱と2人のリコーダー奏者またはキーボード奏者のための 「はるがきた」/工藤 直子
(宝塚少年少女合唱団による委嘱作品。阪神・淡路大震災の爪痕が多く残るなか、震災に直接関係ある内容でなく、春にまつわる詩から選ばれ、美しく、希望に満ちた内容に仕上げられている)
【演奏団体】
宝塚少年少女合唱団
2.「フォークロアの現代的風景の中での再構築」
合唱音楽は「共同体での歌」として、民族の歴史に寄り添いながら発展して来たものだとも言える。その意味では西欧を中心とした芸術であるクラシック音楽の歴史とフィールドとは比較にならない広がりと根源性を持つものだとも言えるだろう。どの民族にも、子守唄、仕事歌、恋歌、祝歌(歓迎、結婚、祭事)、悲歌(死別、失恋)…等、生活に密着した歌があり、言語のイントネーションや生活習慣等とともに独自の唱法が発達してきたと考えられる。もちろんヨーロッパやアメリカだけでなく、アフリカにも南米にもアジアにもオセアニアにもたくさんの民族の歌、合唱作品が存在している。世界中の「合唱コンペティション」ではフォークロアの部門が儲けられているが、そこでは民族の歌(踊り)を披露する場面が多く見られ、オーケストラとはまた違った形で文化や歴史を担いながら国際交流出来るという側面がある。日本における合唱史の中での金字塔としては、間宮芳生氏の民族音楽の研究の精華とも言える「合唱のためのコンポジション」が挙げられるが、それ以外には、概ね(特に混声合唱領域においては)ピアノという楽器に依拠しながら合唱として歌われることが多かったと言える。松下作品におけるフォークロア作品群は、「日本固有の音素材の合唱音楽への投影」というテーマで、ア・カペラを基本として作曲されている。さらに特筆すべきこととしては、それらの民謡のすべてが学究的ではなく、現代の演奏シーンの中で生きた曲目として生まれ変わっており「現代的なエンターテインメント性に溢れた」作品群であるということであろう。これは松下氏が、合唱指揮者として世界各地の合唱祭、コンペティション、講演、講義を含めた「合唱シーン」に精通された「国際人」であることと無縁ではないだろう。つまり、「楽しい演奏」「遊び心やユーモアのある演奏」「鑑賞者との垣根を取った演奏」というものが、むしろ合唱演奏場面でのグローバルスタンダードとも言えるからだ。シリアス一辺倒(特に若年世代では克己心と達成感に収れんされる部活文化と連動していると思われる)になりがちな「日本の合唱コンクールのシーン」からは生まれ得なかった作品群であるとも言える。
女声
【曲目】
あんたがたどこさ/わらべうた
(ご存知まりつき歌。わらべ歌らしいチャーミングな編曲が施されている)
合唱のためのコンポジション「日本の民謡 第2集」より 「五木の子守唄」/熊本県民謡
(奉公に出された子守りの少女が自分の薄幸を嘆く「守り子唄」。三拍子を特徴とし、朝鮮民謡の影響を受けているともされる)
【演奏団体】 PLOVER Pure Blueberry
男声
【曲目】
合唱のためのコンポジション「日本の民謡 第4集」より 「稗搗節」/宮崎県民謡
(しなやかな旋律を持つ作品に超絶技巧的な転調と多種の和音施されているが、男声合唱ならではの倍音を想定したシーンもあり、豊かな音場が演出される)
合唱のためのコンポジション「日本の民謡 第1集」より 「八木節」/関東地方民謡
(規則的な拍節リズム「八木節様式」を持つ代表的な民謡。酒樽や太鼓、鉦、笛でのにぎやかしがが擬音的に合唱で表現されている)
【演奏団体】 なにわコラリアーズ
混声
【曲目】
混声合唱のための「八重山・宮古の三つの島唄」より 「安里屋ユンタ」/八重山群島民謡
(うたと舞踊の宝庫である八重山群島の一つ、竹富島の民謡。安里屋(屋号)の娘と彼女に求婚する島役人のいざこざを叙述した美しい旋律に、空間の広がりを感じさせる編曲が施されている)
混声合唱のためのコンポジション「日本の民謡 第7集」より 「湯かむり唄」/鳥取県民謡
(鳥取の豊かな風土を端的に表す「漁業、農業、温泉」の3つの民謡組曲のラストを飾る。手足拍子の音響効果も高く、本作品の女声版はアメリカの合唱団から編曲委嘱を受けている)
【演奏団体】 合唱団ういろう
3.「キリスト教音楽」
我が国の合唱シーンにはしばしば「何のために歌うのか」という問題が横たわる。キリスト教世界の中では、歌うことの本質や本来の姿は「祈ること」だとも言い切れるのだろうが、教育の現場への取り入れられ方によっては「団結のため」「協調性」という名目のもとに、やや本質を見失ったシーンを目にすることもあり得る。松下氏の音楽人としての大きな岐路には自信のキリスト教への帰依、キリスト者としての生まれ変わりがあったように思える。もともと萌芽として持っていた人格、そしてそこに至ったプロセス…、特に歌と関わることによって見出したキリスト者への道の全てが、松下作品の中に息づいているとも言えるが、キリスト者としての作風は、より真っすぐ一途なもの、揺るぎのない信念に裏打ちされたもに変わってきているとも思える。キリスト者としての音楽は日本語の楽曲の中にも明確に読み取れるが、ここでは、ラテン語のテキストに作曲された曲を取り上げた。世界中の作曲家が千年にもわたって付曲している典礼文に作曲するということには、キリスト教の本質である愛と平和に対する絶対的な祈りと確信が対峙せねばならないのだと思うが、その作品が世界中で愛されているという事実が、松下氏のキリスト教音楽の価値を実証しているとも言えるだろう。
また、私たちの多くは、キリスト教の典礼や習慣とは離れて生活を送っていると言えるが、他方でもとから排他的ではなく寛容で大らかな宗教心を持っているとも言える。つまり私たちは、争いではなく、互いを尊重し、謙虚な態度を生活様式や日常の中に落とし込んできた民族であるとも言え、松下氏のキリスト教音楽作品がその宗教の本質に根差すからこそ、世界の共通言語として私たちの胸にも響いているのだろう。
【曲目】
『MISSA TERTIA pour choeur mixte a cappella』(ミサ第3番〜無伴奏混声合唱のための〜)
(松下耕氏がキリスト者となって、堰を切ったように書いたミサ曲の3作品目である。松下氏の言葉を借りてみる。「…言葉が、言葉でなくなる瞬間。音楽と祈り…死生に対する思念といったものがまったくシンクロナイズする瞬間がミサ曲でこそつくられる。だから、作曲家はミサを作るのである。」)
【演奏】Chœur Chêne
4.現代詩人との対話による合唱作品群
最後に現代詩人との対話による作品群である。もちろんこのカテゴリーに関しては、現代の作曲家たちが合唱作品を創作するときに、必然的に持ち得るフィールドとなる。ただ、松下作品を分析する中で、特に谷川俊太郎氏と工藤直子氏とのコラボレーションには、ともに同時代を生きる芸術家としての対話を感じさせるものでもあり、その他の作品についても、言葉の向こう側に見える詩人の生来の目線を通した世界観、人生観のようなものに向けて作曲がなされていると思える。また、これらの作品群もキリスト者としての松下氏の言葉の切り取り方、音像への投影の仕方に特有の視座を感じさせるものである。
【曲目】
2群の混声合唱のための「光・三首」 より 「水」/宗 左近
(詩人が「水と空」に仮託して謳う「始原」に対して、純正三和音がぶつかり合う構図は、深い自己洞察の果ての悔恨と憤怒とも思える。その葛藤と悶絶を超絶な技巧を要する2群の合唱曲として描き切っている)
無伴奏混声合唱のための「ゆめおり」より 「母」「抱きしめる」/みなづきみのり
(大げさな主張でなくとも、美しいささやかな歌の中に日々の平和を祈る作曲家の色調を感じる。「抱きしめる」は、分かち合いと容認、赦し、そして愛に結ばれた信頼を謳うものであり、キリスト者となった松下氏の作曲のために提供された詩でもある)
【演奏】淀川混声合唱団・京都大学音楽研究会ハイマート合唱団
【曲目】
混声合唱とピアノのための「信じる」より 「くり返す」「泣けばいい」「信じる」/谷川 俊太郎
(終曲「信じる」はNHK学校音楽コンクールの課題曲として書かれ代表作の一つ。再び、松下氏の言葉を借りてみる。「…ある駅で電車を乗り換える時、このテーマのメロディーが降って沸いてきたように降りてきた。私は、そのメロディーを楽譜に書きとめておいた。家に帰り書きとめたメロディーを見てみると、そのテーマが<信じる>の言葉にぴったり当てはまった。その時、私は『こんなことは、普通はない。これは神様が与えてくれたのだ』と思った。」)
このみち/金子 みすゞ
(松下氏の畏友でもある合唱指揮者高嶋昌ニ氏の還暦記念コンサートに、多くのメンバーとともにサプライズ提供された記念すべき楽曲)
【演奏】合唱団ことのは
追記
私は、松下氏とともに合唱団を連れてヨーロッパ遠征を行ったことがある。夜の演奏会を紹介してくれたブルガリア放送局のアナウンサーがなんと松下作品のファン(CDを持っていた)であったこと、ポーランドで演奏会のチラシを見ていた音楽大学生がKo Matsushitaの曲をやるのならと入場したところ、当人が指揮をしているので仰天したこと…等は松下氏の人気がワールドワイドなものであることを物語るエピソードであろう。また、コーランも聞こえ内戦の傷跡の残るコソボの教会の中で、松下氏作曲のスターバト・マーテルを演奏したときの「奇跡的な静謐」を目の当たりにしたことがあるが、それこそ宗教や国境や人種を越えて多様な人々が一つの祈りに身を委ねた瞬間であったと思う。
また他方で、松下氏がプロデュースする「東京国際合唱コンクール」において、日本語の課題曲を練習して東京を目指すアジアやヨーロッパの合唱団の姿を見るにつけ、「これはかつて我々が東欧や北欧の言語を学んで一方的にヨーロッパの合唱祭やコンクールにトライしていた時代からのパラダイム転換だ」と感じて陶然となった記憶がある。もちろん決して松下氏個人に依拠するものでないにせよ、松下氏の取り組みや導きが「より良い合唱」ではなく、「合唱によってより良い社会(双方向的な交流、分かち合いと称え合い)の実現」を目指すものであったことを裏付けている。
そのような業績と松下氏の夢の広がりにも思いを馳せながら、本日のプログラムを堪能していただければ幸いである。
2024年 第2回
ご挨拶
「合唱」と言えば、どのようなイメージを持たれるのでしょうか。場合によってはクラスの取り組みやコンクール活動等のイメージに伴って「団結」や「達成感」のような言葉だけで括られてしまうかもしれません。しかしながら、むしろ私たちは「誰でも歌うことが出来ます」し、世界中のどの民族にも「歌は」存在し、ともに歌う「合唱」こそは我々の文化・社会基盤そのものに根差した活動であるとも言えます。
我が国への西洋音楽の紹介と融合から100余年。新たに芽吹いた合唱文化は技術向上に邁進した昭和時代を経て、平成以後はグローバル化と国際交流が進み、地球上の様々な地域の合唱作品が紹介されました。そして令和の今、我が国の合唱状況は他国に例を見ないような多様な取り組みと成熟も見せているとも言えます。本演奏会は、「いずみホール」と有志委員会との共催行事として企画されていますが、そうやって開かれた歌と合唱の「地平」を紹介したいと思っています。
昨年は第一回として世界で活躍する松下耕氏をゲストに、その膨大な作品群を4つの観点から捉え直す演奏会を開催しました。第2弾は本年生誕100周年を迎える二人の巨人「團伊玖磨」と「大中恩」を取り上げます。
かつて、私の母親世代が戦後の復興に夢を託し、「花の街」を口ずさんでいました。私たちは「犬のおまわりさん」で育ち、「さっちゃん」には子供心にも楽しいばかりではないセンチメンタリズムも感じていたものです。クラス合唱で「筑後川~河口」を歌った人たちも多いことでしょうし、本格的に合唱団に入って「島よ」を熱唱した人もいるでしょう。巨人たちの歌や合唱は昭和(特に戦後)における日本社会の発展とともにあったとも言え、いかに「歌や合唱」が世の中全体と関わってきたかということを実感出来ます。そしてあらゆる音楽のジャンルに先駆けて歌や合唱が存在しているということにも気づきます。
「歌のホリゾント」は合唱界に光を当てる企画として、邦人作曲家の作品に焦点を当てた作曲家シリーズ(邦人作曲家シリーズ)を展開しています。ジョイント・コンサートという枠を超え、音楽的視座を持ったホール共催企画とすることで、アカデミックな観点から我が国における合唱音楽の歴史や現在地を俯瞰してみたいと考えます。素敵なゲストの登場もありますので、どうぞ、夏の暑さを癒す合唱音楽のひとときをお楽しみください。
解説 「團」と「おおなか」もしくは「伊玖磨」と「めぐみ」について
【二枚のレコード】
まず、個人的なことから、…高校時代、合唱部がなかったので仕方なく山登りをしながら読書しクラシック音楽ばかり聴いていた私ですが、大学で念願の合唱団に入り、福永陽一郎(師匠です)の影響を受けて最初に買った2枚の「合唱のレコード」のうち一つには團伊玖磨の「岬の墓」が、もう一つには大中恩の「ヴェニュス生誕」が収録されていました。
「音楽ジャンルの中での合唱や歌の位置づけの明確化」を目指し、歌や合唱作品に多様な視座を与えることを意図して計画したこの『歌のホリゾント』ですが、第2回のテーマを協議していた最中に、本年が團伊玖磨と大中恩の生誕100周年であることを知り、瞬間的に二人を並べたコンサートを実現したいと考えました。ともに音楽界、合唱界の巨人ですが、特に戦後日本の合唱環境の形成において、必然性を持ちながら大きな影響を与えてきたようにも感じます。つまり、単に天才二人ということではなく、同時に取り上げるに相応しい、戦後の日本の音楽や合唱界のあり様を象徴するような二人であったとも言えるのです。
【学校教育の中の音楽、アマチュアフィールドの中の合唱】
日本の合唱活動は戦後の学校教育の充実と高度経済成長の中で大きな発展を遂げます。そしてそのプロセスの中には2名の作曲家が大きく寄与していると思います。
日本では戦前から学校教育の中で「音楽が教科として」扱われてきましたし、戦後の学校教育、音楽教育の中では、団結やチームワーク、思いやり、と言ったスローガンのもとに「クラス合唱」のようなものが展開されてきたと思います。團伊玖磨の「夕鶴」が、日本固有のテーマ(民話)と西洋音楽(オペラ)融合作品として教科書に載り、戦後復興への希望の歌であったとして「花の街」が授業で紹介され、「筑後川~河口」がクラス合唱や音楽の授業の中で高らかに歌われるということがあったようにも思います。特に、キリスト教音楽を基盤として持たない日本の合唱界において、「日本的テキストと西洋音楽の結実」や、「クラス全員で熱唱することによる達成感」が合唱文化の下支えを担っていたとも言え、團伊玖磨の名前は確実にその中に刻印されていると思います。
もう一つは、戦後の日本における「アマチュア合唱」の興隆です。大学カルチャーとしての男声合唱団による「目覚めの時期」を経て、戦後には「職場の合唱団」と、その後の「ママさんコーラス」が社会全体の勢いを反映させながら日本独自の合唱文化として発展していきます。大中恩氏は自ら合唱団を指導され、実活動をされていたことでも知られていますが、そもそも大中作品は「アマチュアが歌いやすい」旋律性や情緒性を備えていたり、歌謡曲やポピュラーソングのような形で言葉に寄り添った親しみやすさを持っていたことで、合唱団の重要なレパートリーになっていったのだと思います。
【作風の違いと共通項】
また、名が体を表すと言いたいわけではないのですが、影響を与えてきた「フィールドの違い」と同様に二人の作風は(名前のように)対照的であるとすら言えます。
團伊玖磨の代表的な合唱作品「岬の墓」は、太い一本の線で出来た荘厳な建造物のような合唱曲であり、しばしばブラームスの「Nanie」と比較されることもあります。そもそも、團には6つの交響曲と名作オペラがあり、團自身が深い教養や幅広い視座、もしくはグローバル(西洋音楽)とグローカル(日本の独自性)の融合というアカデミックで根源的なミッションを背負っていたとも言えます。また、理知的に生み出された動機やモチーフが、機能性を持って常に「大陸、道、大河、海」のような壮大なスケールを表出するという雄々しい作風を持っています。
それに対してメロディーメーカーとも言える大中恩は、ふと降り注ぐ天からのまなざしや、やさしく温かな微笑みが絶えないような作風を持ち、曲の中に、はにかみや気恥ずかしさすら感じさせることがあります。言わば、市井の人情の機微のようなものを歌わせてくれていたようにも思います。もちろん、格式の高い男爵の家系に生まれ育った團伊玖磨と、讃美歌やオルガンの音を聞いて育ってきたであろう大中恩との「根元の違い」のようなものなのかもしれませんが、この違いこそが日本の音楽や合唱界を2つの地点から支えてきているようにも思うのです。
しかしながら、視座を変えて、團を同時代のクラシカルなフィールドから考えてみると、「3人の会」を形成した黛敏郎、芥川也寸志と比較しても、前衛的な方向や電子音楽、点描主義等には向かい過ぎず、充実感を持って締めくくられる大時代的なスタイルが多く見られ、むしろそのことこそが褪せない魅力として時代を越えているようにも思います。そう考えると、違ったフィールドと対照的な作風を持つ二人ですが、ともに芸術の向こうに人が存在し、歌い手、聞き手を意識した作家であったとも言えます。そして、そのことは、ともに「万人に知られ愛された童謡を多数作っている」という共通項で括れるのかもしれないと思っているのです。
実は、この演奏会そのものが「そのような観点で構成されている」ことにも注目してお楽しみください。
【未来への懸け橋として】
さて、再び個人的な話に戻ります。…私の高校時代は教科書に載っていた作曲家である團伊玖磨のマーチのように勇ましい校歌の歌唱によって始まりました。そして、私の大学時代は讃美歌に迎えられ大中寅二を誇らしい先輩として持つ合唱団で育まれました。それから、私は團伊玖磨や大中恩らの合唱作品に囲まれながら今日まで合唱活動をしてきた訳です。ですので、生誕100周年の2名と取り上げて企画したことは単なるこじつけではなく、昭和の音楽界を「象徴的に支えた」とも言える2人の作曲家の恩恵に浴してきた世代として、次世代へ引き継ぐための責務だとも考えています。
両者の業績を振り返り、そこに源流を持つ現在の合唱界を「未来に向けてどのような形で展開させていくのか」…そのようなことにも思いを馳せる場になればと願っています。