2008年12月~信州大学混声合唱団第40回記念定期演奏会
歌うことは生きること、共に歌うことは
信州大学混声合唱団に初めて出会ったのは、ちょうど関屋先生の亡くなられた年のこと でしたでしょうか…その後、講習会での講師や客演指揮、軽井沢合唱フェスティバルで の競演など…、一つの出会いから幸せな再会を繰り返し、関係が持続して今日の演奏会 を迎えられていることをとても嬉しく思います。私自身の大学時代も合唱一色でしたが、 自分たちの力を試しながら「ひたむきに打ち込むことの出来る」大学の合唱活動は、決 して勝ち負けによる一喜一憂や、反復練習でテクニックを身に着けるばかりの場ではな いと思います。大学生活そのものが「知らなかった世界を広げていく場」であるなら、 合唱を通して心が広がっていくこと、人間としての豊かさを得ること、信頼しあえる仲間 を得ること・・・に最も大きな意義があると言えるのではないでしょうか。
信州大学の皆さんを見ていると、自然体での探究心とチャレンジ精神とを感じるとともに、 その伝統の中に合唱そのものを心底愛した関屋先生の撒かれた種がしっかりと育っている のを感じます。そしてそんな大学生と一緒に格闘しながら音楽を作っていくことは私の何 よりの楽しみでもあり、大好きな信州の土地で今日のステージを共に出来ることを大変嬉 しく思っています。
さて、我々はいつも二つの課題を抱えているように思います。
一つは「どのように自分らしく生きるか」そして、もう一つは「どのように他者と関わるか」 ということです。特に20歳前後のメンバーにとっては初めて自覚し得る重大な課題なのか もしれません。『くちびるに歌をもて~心に太陽を持て~人のためにも言葉を持て~そして こう語りかけよう』というメッセージは、自分で自分を鼓舞しているうちに次第に自分が一 人ではないことに気付くプロセスで滲み出る涙のように、根源的な問い掛けと温かい励まし に満ちています。私にとっても思い入れのあるこの曲を人生の中で最も多感な時期を過ごし ている学生合唱の後輩たちと一緒に演奏出来ることは、とても大きな刺激です。
「音楽」とは、生命を与えられていることのありがたみを実感させられる力、喜び、励まし、 ・・・「仲間」とは、かけがえのない宝、生きている目的を支えるもの、伝えたいという意志を 生み出す力、・・・私たちの「未熟さ、稚拙さ、無謀さ」は、いつかはこうなりたい、という夢 を育む力、想像力を支える気持ち・・・。
いつもそう思っています。私たちの歌は生きることと直接結びついていると私は思うのです。
学生たちの心の底からのメッセージを引き出すことが出来ればと思います。
2009年12月~信州大学混声合唱団第41回定期演奏会
演奏会に寄せて~ふるさとのように感じ始めている信州
様々な経緯から始まった出会いが連続して、信州大学との関係が継続し、今年も今日の 演奏会のステージに立てることをとても嬉しく思います。名古屋から乗る信濃号はまる でふるさとに帰る電車のようにも感じますし、時に関西の私の合唱活動の現場にまで遊 びに来てくれるメンバーたちには「大学生らしいバイタリティを見る」とともに、一つ の出会いから双方向で新しい世界の扉が開かれていく様子が楽しく、いつも顔を見ると わくわくしてしまいます。信州大学との音楽のシーンはいつも楽しく、やりがいやチャ レンジングな気持ちに溢れてきます。
さて、今年の選曲は尊敬する千原英喜さんの渾身の傑作「雨ニモ負ケズ」です。
「作曲家は命を賭けて、人生の全てをぶつけて曲を書いているから、演奏者もそれくら いのつもりで曲にぶつかって、作曲家の想像力以上のものを発揮して力の限り歌って…、 」これは作曲家の千原先生が(酔うと(笑))といつも口にされる言葉です。
練習に行くたびに、本物の音楽のみが持つ「人の人生に根底から問いかけ、変革してい く力」に出会ったメンバーたちが、この曲と真剣に向き合い、触発され、自分の中の世 界が広がっていていること、深まり成長していっているのを感じます。
大学生に求められていることは、少しでも上手く歌うことではないでしょう。人生にお ける最も多感な時期、「今しかない」というこの時期に、安易な答えの見つけようのな 「問いかけ」や本物の「芸術の魂」に触れ、知性と感性と体力とを総動員してひたむき に自分自身の中から表現出来るものを探し出し、挑む…ということではないかと思うの です。(同じように合唱に打ち込んでいた私自身の大学時代がまさにそうだったからです。)
かけがえのない「今日の演奏」に賭けるメンバーの気持ちを想像するだけで、自分自身 の気持ちが掻き立てられるようで、気持ちが高ぶってしまいます。
今日の日がまた新たな出会いの扉を開いていくことになりますように…。私自身も学生 と一体となって格闘し、一生懸命の演奏を披露出来ればと思います。
2011年1月~信州大学グリークラブ第49回定期演奏会
演奏会に寄せる
ちょうど5年くらい前になるのでしょうか?京都において、信州大学グリークラブ ・同志社グリークラブを含む三大学のジョイントコンサートが行われました。その 時の信大グリーの歌声と、打ち上げの席での縁?から出会いが進展し、「同志社グ リークラブ」は中村先生に客演指揮をしてもらい、私はその後信大グリーのお隣の ?信州大学混声合唱団の演奏会で指揮をさせていただくことにもなりました。ジョ イントコンサートは時としてその演奏会だけでは完結しない副産物を生み出します。 そこで育まれた友情や出会いがきっかけになって、今日の日の演奏会も導いてくれ たように思います。
定期演奏会に向けて信大グリーのメンバーと一緒に練習することは私にとって、 とっても楽しいことです。信州大学の皆さんからは、大学合唱団が最も大切にして ほしい「自分たちらしさ」や、「一生懸命学び、創意工夫しようという」意識が高 く感じられるので、私自身も存分に力を発揮し、皆さんと一緒にコラボレートして いる気分になるものです。どうやら毎年信州の空気を吸わないと落ち着かないくら いに自分の音楽活動の中に信州大学の皆さんとの活動が大きなウェイトを占めてい るように感じます。
さて、今年は信長先生の「Voice」を演奏させてもらうことになりました。 保守的でオーソドックスな作品が主であった男声合唱のジャンルに革新的な要素 を持って衝撃を与えた作品です。サウンドやリズム等には実験的な要素をふんだ んに取り込みながらも、全体的な叙情を損なわないように配慮されており、これ を演奏することはスキルだけではなく、強い志と高いセンスが必要だと思ってい ます。今日は、熱く熱く、そしてすっと爽やかな演奏ができればと思っています。
2011年7月~京都大学音楽研究会ハイマート合唱団 サマーコンサート
演奏会ごあいさつ
「京大ハイマート」との付き合いこれまでから何度かありましたが、 中でも数年前の「同志社こまくさ」さんとの熱いジョイントコンサ ートは、私の中でもかけがえのない思い出として残っております。
私自身の大学時代も合唱一色でしたが、自分たちの力を試しながら 「ひたむきに打ち込むことの出来る」大学の合唱活動は、決して勝 ち負けによる一喜一憂や、反復練習でテクニックを身に付けるばか りの場ではありません。大学生活そのものが「知らなかった世界を 広げていく場」であるなら、合唱を通して心が広がっていくこと、 人間としての豊かさを得ること、信頼しあえる仲間を得ること・・・ に最も大きな意義があると言えるのではないでしょうか。皆さんを 見ていると、自然体で仲間と合唱の喜びを味わっていると感じると ともに、ともすれば保守的になりがちな「大学合唱の構造」そのも のに対して、常に学生らしいチャレンジ精神を伴った意欲を感じ、 頼もしく思っております。大学時代を貫く「かけがえのないもの」 とは、教室から得られるものだけではなく、仲間と共に懸命にチャ レンジしたという経験、その自信そのものでもあるでしょう。 ぜひ合唱を通して様々なものと出会われることを期待しています。
2012年11月~ 信州大学混声合唱団第44回定期演奏会
歌うことは、力強く生きること
信州大学混声合唱団に初めて出会ったのは、ちょうど関屋先生の亡 くなられた年のことでしたでしょうか…その後、講習会での講師を 皮切りに客演指揮を何度も繰り返し、毎年のようにいろんな形で皆 さんと顔を合わさせてもらっているように思います。一つの出会い から幸せな再会を繰り返し、関係が持続して今日の演奏会を迎えら れていることをとても嬉しく思いますし、おそらく私の中では「( グリーを含め)信州大学の合唱団」の持つ雰囲気がとても自然にフ ィットしているのだと思います。皆さんを見ていると、自然体での 探究心とチャレンジ精神とを感じます。合唱を通して心が広がって いくこと、人間としての豊かさを得ること、信頼しあえる仲間を得 ること・・・をしっかりと体現されているようにも感じます。最近は OBやOGの皆さんにも顔見知りが増え、いろんなところで声をか けてもらい、合唱団の歴史の一部を共有していることに感慨を覚えます。
さて、私たちはいつも二つの課題を抱えているように思います。
一つは「どのように自分らしく生きるか」そして、もう一つは「どの ように他者と関わるか」ということです。特に20歳前後のメンバー にとっては初めて自覚し得る重大な課題なのかもしれません。今回の 選曲は、そんな人生の過渡期を懸命に生きている皆さんと一緒に音楽 を作っていく時にとても相応しいと思える曲を選びました。
私がこの曲集でもっとも好きな箇所があります。曲集のタイトルにも 使われている4曲目ですが、「私がうたうとあなたは微笑み、あなた の瞳に私が映る…、」という場面です。
自分自身が何者なのかと考え悩み、人との関わりに戸惑う私たちですが、 自分自身がたくさんの人に愛されてきた存在なのだと気付く瞬間、 私たちは前に向かって力強く人生を歩んでいくことが出来るのでは ないかと思います。また、「励ましているつもりがいつしか励まさ れている…」ということがあるでしょう。「手を差しのべる勇気だ けでなく、差しのべられた手を強く握り返すことも大切だ…」と感 じることがあるでしょう。私たちの人生はそのような「人との関わり 中で成長していくこと」の繰り返しとも言えます。信州大学のメンバ ーとともに思い入れあるこの曲を力一杯演奏したいと思います。
…「音楽」とは、生命を与えられていることのありがたみを実感さ せられる力、喜び、励まし、…「仲間」とは、かけがえのない宝、 生きている目的を支えるもの、伝えたいという意志を生み出す力、 …いつもそう思っています。
2014年11月~佛教大学合唱団45周年記念演奏会
演奏会に寄せる
佛教大学合唱団の記念演奏会の開催おめでとうございます。もう10数 年も前のことになりますが、「定期演奏会で思い切ってキリスト教の 音楽を取り上げたので出来れば見に来てください」と言われて(OB福 島君)、見に行ったことが私と 佛教大学合唱団との繋がりの始まりだ ったように思います。それから10年ほどの間、ジョイントコンサート やサマーコンサートでたくさんのチャレンジングな選曲をさせてもら いました。トルミスもフィンランド民謡もラトビア民謡も、アジアや 世界の国々の曲も、・・・私の指揮者としての興味のままに実験的に 取り上げましたが、当時のメンバーがことごとく興味を持って積極的 に取り組んでくれたことで、いつも楽しい練習が出来ていたと思いま す。そういう意味でも私の合唱指揮者のキャリアの中で も佛教大学合 唱団の存在は大きな位置を占めているのです。
春休みの一日、10人くらいしかいないメン バーを無限に並び替えさせ ながらコダーイやバルドーシュの短い曲を歌わせ、耳を作ることの練 習に費やしたこともありました。夜の図工室? で学生指揮者にひたす ら回転指揮法(秘伝7回転半?)を伝授したことも、楽しい思い出です。
そんなOBOGの皆さんと再会して、委嘱曲 に取り組めるということは何 と幸せなことでしょうか?
現役のメンバーはまた人数不足で、大きな困難と直面していると聞い ております。しかし、長い歴史にはいろんな困難が付き物ですし、多 くの試練があってこそ、受け継いでいくことの大切や仲間と気持ちを 共有し連帯することの大切さにも気づ けるのです。いまこそ、かつて の現役生たちが佛教大学合唱団の総力を結集して、現役生を盛り上げ、 背中を押してあげてください。
この演奏会が新たな扉を開くきっかけになってくれることを祈ります。
2014年12月~明治大学グリークラブ第63回定期演奏会
演奏会に寄せる
演奏会のご盛会おめでとうございます。この伝統ある「明治大学グリークラブ」の定期演奏会で指揮をさせてもらえることを大変光栄に思います。私も大学時代に出会った男声合唱の活動によって人生が大きく変わった一人でもありますが、大学生の合唱団というのは、決して目先の結果による一喜一憂ではありません。自分達の知性と感性と体力とを総動員して大きな物事に当たっていくこと、そのプロセスで時に仲間とぶつかったりもしながら、世界観や価値観を広げていくこと、想像力を養っていくこと、…が最大の魅力でしょう。大学時代に憧れていた東京6連の雄でもある明治大学グリークラブには、時代を超えても変わらない「学生らしさ」が充満しており、素晴らしい先輩方に応援されながら、他の大学合唱団が羨むような思い切ったチャレンジが繰り返されていると思います。私にとってもメンバーにとっても、今日の出会いがまた新しい世界の扉を開くことになりますように。
曲は私自身が大好きなトルミスの作品を選ばせてもらいました。思い切って演奏してみたいと思います。
2017年12月~京都府立大学合唱団60周年記念のメッセージ~
京都府立大学合唱団60周年に寄す
振り返ってみると「京都コンサートホール」で40周年の記念コンサートを聞いたのが、もう20 年も前のことになってしまいました。私もまだ20代と30代の境目におり、まさかその10年後 に自分が50周年のコンサートを指揮しているなどと思いもしなかった頃です。そしてその10年 後の50周年で、私の立ち上げたばかりの児童合唱団(みやこキッズハーモニー)とともに演奏さ せてもらった「日本の四季(三善晃)」は今でも私の胸に焼き付いております。
「みやこキッズハーモニー」はおかげ様で昨年10周年のコンサートを行い、私がテキストを書き下 ろした合唱物語「さびしがりやのサンタクロース」を演奏しました。
つまり、それからさらに10年が経過しあの頃4、5年生だった主力メンバーは二十歳を超えた大学 生になっているのですね。
歳月が経つのは早く、その間にいったいどんなことがあったのだろうと思い返すとなかなか具体的な ことは浮かばずに、ただひたすら「時の流れに眩暈する」思いです。
さて、再びこの記念コンサートで合同演奏を指揮させてもらうことを嬉しく思っています。
ある世界的に高名なスペインの指揮者に聞いたことがあります。
「合唱において一番大切なことは何でしょうか?」
愚問と分かっていながら、私の英会話レベルでは複雑な質問が出来ず、つい口にしてしまった質問です。
すると、指揮者は少し考えたあとに笑顔で言いました。
「合唱はいろんなジェネレーションでやれる、年配者も若者も男声も女声も子どもも一緒になってやれる。 それが合唱の一番大切なところだと思う」
もちろん、こちらの質問の場面やシチュエーションによって答えは異なったのだと思いますが、予想外 の答えであったにも関わらず、非常に納得がいって大きく頷いたことがありました。
今回の演奏が、そのようなある種の合唱の本質を体現出来る演奏になりますように。多くの世代が合唱を 通して連帯感を持ちながら気持ちのこもった歌が歌えますように。微力ながら力を尽くしたいと思います。
2021年 信州大学グリークラブ~60周年記念演奏会
ステージに寄せる
信州大学グリークラブの60周年記念演奏会のステージで指揮をさせていただけることを大変嬉しく思っています。50周年記念演奏会のステージで「じゅびれえしょん」を指揮をさせていただきましたし、混声のほうも含めると、記念の年を含めて幾たびもご一緒させていただく幸せに浴しております。
「信州」との関わりを考えると、実は山登りをしていた高校時代に遡り(京都の高校時代の7名のワンダーフォーゲル部員同期のうち3名が信州大学に行った)、「信州大学」は何となく吸い寄せられてしまう憧れの名称であったようにも思います。水が合うというのでしょうか(…そういえば、私は毎週行きつけの京都の居酒屋で「信濃錦」か「真澄」を2択で飲んでおりますので身体に信州の水が染み込んでいる…)、私は信州大学で音楽と取り組むことが大好きです。澄んだハートをもった大学生たちと真面目に音楽と向き合うことはもちろん、行き帰りの車窓の風景や、駅に降り立ったときの空気の感じが、清々しく懐かしい心境を与えてくれます。
さて、今年は尊敬する松本望さんの意欲的な新作に取り組むことになりました。コロナによる閉塞感を打つ砕くべく、好奇心旺盛の若い力とともに興味深いこの新曲に挑んでみたいと思います。
ふたたび、手を繋ぎ、抱きしめ合い、コロナによってもたらされた「分断」から「連帯」を取り戻す時を夢見ております。その連帯の象徴が「合唱」であることを信じながら。
2022年5月 混声六連
帆を上げよ、高く
私たちは過去から未来へ流れる時間の中を生きています。しかし、同時に時を越えて生きています。私たちの過ごした時間や気持ちは自身の胸や、誰かの記憶の中に刻印されています。私たちは思いを託し、託されながら生きているのです。
本作品は、同志社グリークラブの110周年記念に男声合唱曲(2014年)として誕生(初演指揮は私)しました。その演奏会に偶然足を運ばれたのが指揮者の小久保大輔氏でしたが、実はその25年前、中学生の小久保氏の前で同志社グリークラブを指揮していたのは学生指揮者の私と、師匠である(故)福永陽一郎先生でした。小久保氏は福永先生のお孫さんにあたる方であり、私たちは、思いを託し託された偉大な音楽家を通して繋がっていたのです。この曲はその4年後に小久保氏の指揮で、法政アカデミー合唱団(そのOBOG合同)により混声合唱曲として演奏されました。この邂逅に至るドラマを語るには紙面が足りませんが、時間というものが多層的に流れ、命や魂は互いに浸食し溶解しながら見えぬ宇宙を「織りなしている」のだということに気付きます。
青春とは挫折を乗り越えながら生きるかけがえのない時間。そして歌とはそれに対する永遠の励ましでしょう。3年越しの演奏機会となりました。幾多の艱難を経験した大学生たちが、先輩たちに思いを託されながら、「二十歳の海を越えよ」と高らかに歌っている姿を想像しただけで胸が震えます。この演奏が多くの人の記憶に刻まれ続けることを願っています。
■「翼よ、お前の空を翔けろ」
空を翔けるもの動感や速力を感じさせる無窮的な律動を持って、サウンドスケープ的な音楽が描き出される。自由の世界への飛翔の促し。
■「春愁のサーカス」
目まぐるしい場面転換がサーカスの緊張感や芸術と関わった人生そのものの哀歓を髣髴とさせる。大学合唱を愛した偉大なる音楽家、福永陽一郎氏へのオマージュも潜む。
■「帆を上げよ、高く」
志をもって船出しようとする若者への高らかなる応援歌。