2006年12月~ウィステリアアンサンブル演奏会へのメッセージ~
リース コンサートに寄せて
Merry X’mas!・・・このような素敵な日、皆さんの温かいコンサートが開催されて いることを嬉しく思い、遠方よりエールを送らせていただきます。
皆様の今年はどんな一年だったでしょうか?街に点滅するツリーを見つめながら私自身の一年を振り 返ってみると、様々な思い出がその時の胸の温もりや鼓動とともに蘇ってきます。今年は軽井沢で再 会することが出来ましたね。ウィスティリアの歌には魂があり、一人一人の芯の強さと気持ちの強さ が滲んでおり、私をはじめ一緒に聴いていた男声合唱の仲間全員が心の底から感動をしていました。 その後、直前に父親を失って気持ちを沈めていた「私のために歌ってくれた」皆さんの歌を私は一生 忘れないでしょう。
今日は高嶋先生とも一緒の舞台で羨ましいです。「祈りの歌、慰めの歌、希望の歌、励ましの 歌」・・・歌には様々な役割があることを皆さんの演奏からたくさん教えていただきました。今日も 様々な気持ちのこもった歌が、皆さんの歌声の中から生み出されていくことを期待しています。私も 今日は関西で音楽をしていますよ。音楽がいつも「胸に当てた手のように」人の心に気持ちを伝えら れるものでありますように。そして、会場の皆さんと一体となった「あたたかさ」が立ち上りますよ うに。またの再会をツリーに願い・・・。
2007年4月~熊本第一高等学校演奏会へのメッセージ~
演奏会に寄せて
演奏会のご盛会おめでとうございます。
縁があってこの2年ほど熊本に合唱講習会に来させてもらっておりました。また、昨年の秋には大分 でのコンクール(九州大会)で、第一高校の皆さんの爽やかで情感に満ちた演奏を聞かせてもらうこ とが出来ました。心に染みる美しい歌声と表情が詩の内容とともに今でも胸に焼き付いています。思 い出に残る素晴らしい演奏でした。
高校時代という人生で一番みずみずしく多感な時期に合唱と出会われた皆さんにはこれからもずっと 「歌と仲間」を大切にして欲しいなあと思います。
歌は一生皆さんの気持ちに寄り添い、悲しいことや苦しいことをやわらげ、これからの人生を励まし 続けてくれるでしょう。そして、一人ではなく「誰かと共に歌う合唱」は人と人との絆の大切さや、 仲間の大切さ、「自分に出来ることの多さ」と「他人に助けてもらうことの多さ」に気づかせてくれ るものです。
今日も意欲的なプログラムでびっくりしています。卒業される皆さんは、合唱部の素晴らしい活動か ら学ばれたことと一緒に歌った歌の数々を一生の宝物にしてくださいね。後輩の皆さんは、先輩たち の一生懸命の気持ちを引き継ぎ、明るく元気に部活に取り組んでください。京都の町から本日の皆さ んの演奏会の成功をお祈りしております。歌を続けることで、またどこかで出会うことが出来そうな 気持ちがいたします。そのときまで。
2009年7月~東海メールクワイアー第52回演奏会
東海メールへ寄せる
男声合唱を始めた大学時代、興味を持って自ら買った最初のレコードには 「東海メールクワィアー」の名前がクレジットされていた。大学合唱団で は出せないようなうっとりするような甘いサウンドと洗練された表現に驚 かされ、以後私が男声合唱の奥深い道を歩み出すきっかけにもなったのだ と思う。都築さんから「東海メールで指揮を」というお話をいただいた時 にすぐに思い出したのはあのレコードのことで、20年以上の歳月を越え て自分がその憧れの団体の指揮をしていることがまるで夢のようでもある。
それにしても、男声合唱の痺れるような熱さというものは、どこから来 るのだろうか?
同じ合唱でも、女声合唱、混声合唱などには例えようがない。東海メール の練習や昨年のJamcaのステージを通していつも感じるのは、「ロマンと美 意識」である。人生の何か(=自分の生き様のようなもの)を投入して、 「何故歌い続けなければならないのだろうか」という疑問に歌声そのもの で対峙する姿勢・・・。生きることの意味と同じところに根差した「歌そのも のの存在感」を思い知らされるのだ。男声合唱とは、黙して多くを語らず、 ひたすらに人生を燃焼させながら「仲間」と歌い続ける合唱のことなので ある。
さて、私のステージは私に合唱魂を注入してもらった師匠(故)福永陽一 郎のアレンジを当てていただいた。当時、男声合唱団のレパートリー開拓 と啓発のために片っ端から歌曲や混声合唱の名曲を男声合唱にアレンジさ れていた福永先生であるが、「光る砂漠」は、特に注力された作品だと聞 く。当時としては珍しいフランス音楽ふうの煌くサウンドを、力強さと繊 細さを兼ね備えた男声合唱の世界で紹介したかったのであろう。もう一つ は、私からお願いした「日本の笛」である。もともと私は白秋の浪漫主義 やエキゾチシズムに強く惹かれていたのだが、この曲は粋で洒脱で、艶っ ぽくて可憐で、一度取り上げたかった大好きな作品であり、(これはきっと 合唱では男声でしか歌えない!)念願のステージともなる。
チラシを見ると「山桜(光る砂漠)」に「びいでびいで(日本の笛)」・・・、 そうそう男声合唱とは「仲間」だけでなく「花」のためにも歌うことが出来 るかっこいい合唱のことなのだった。「東海メール」はそのように教えてく れている。
2011年3月~佐賀女子高等学校合唱部&女声合唱団ソレイユ合同演奏会
演奏会に寄せて
「佐賀女子高校合唱部」&「女声合唱団ソレイユ」の初めての ジョイントコンサートでご一緒することが出来、大変嬉しく思 っています。
数年前に「佐賀女子」の透明でひたむきなサウンドと「ソレイユ」 の太陽のような歌声に出会った衝撃は大きかったです。その後、 いろんな折を通して、樋口先生の本当に素敵なお人柄と愛情に溢 れた指導に触れ、メンバーの皆さんの向日葵のような笑顔に触れ、 両団とも私の大好きな合唱団となりました。皆さん、素直で、前 向きで、合唱に対する熱い姿勢を持っておられ、笑顔いっぱいの 活動をされており、私自身も構えず自然体で付き合わせてもらう ことが出来ました。
「音楽」とは、生命を与えられていることのありがたみを実感さ せられる力、喜び、励まし、・・・「仲間」とは、かけがえのない宝、 生きている目的を支えるもの、伝えたいという意志を生み出す力、 ・・・私たちの「未熟さ、稚拙さ、無謀さ」は、いつかはこうなりた い、という夢を育む力、想像力を支える気持ち・・・。
いつもそう思っています。
そして「合唱」は一人では出来ません。合唱は様々な意味で「出 会い」の場であり、仲間や先輩後輩、指揮者や伴奏者とともに、 詩や音楽やそこにある世界観や価値観、人生観などと関わってい くことがその醍醐味ではないかと思うのです。
両団との出会いが私の人生においても、新しい世界の扉を大きく 開いてくれたようにも思いました。新しい仲間と音楽を分かち合 うことの出来る喜びや感謝の気持ちと、三月の季節に相応しい爽 やかで晴れやかな気持ちを持ってステージにのぞみたいと思います。
本日もさすがに世界中のたくさんの曲がレパートリーにありますね。 邦人曲としては新進気鋭の作曲家「松本望(フランスへ留学中)」 さんの新曲を取り上げてみました。いずれもフレッシュで熱い演奏 が出来ればと思っています。
2011年10月~男声合唱団Archer第5回演奏会
雪明りの路 ~吉村先生、京都産業大学グリークラブ、アルシェ~
私が高校2年生の時、京都会館で初めて聞いた「第九」で男声パート を歌っていたのが京都産業大学グリークラブでした。緑のブレザーが 目に眩しく、男声合唱を格好良く思ったものです。その印象が強烈で、 大学に入ってから迷わず「男声合唱団」に入った私ですが、当時の京 都産業大学グリークラブの演奏は惚れ惚れするように柔らかで爽やか で美しいものでした。それから25年以上経つのでしょうか、まさか 私がそのOB団体「アルシェ」の演奏会で客演指揮をしようとは夢に も思いませんでした。卒業後、私が合唱界で活動するようになってか ら声を掛けて貰い、様々なチャンスを与えていただいた吉村先生の引 き合わせによるものだと思っています。あの頃のメンバー始め、先輩 方、それから若い世代を含めて男声合唱の名曲を指揮させていただく ことを大変嬉しく思います。「雪明りの路」終曲は、猛吹雪が去った 後、一面の雪に反射して青白く光る北海道の幻想的な情景を描いてい ます。吉村先生の愛された曲、皆さんと一緒に心を込めて演奏したい と思います。
2019年10月~東海メールクワィアー第62回演奏会
多田武彦作品に寄せて
(私が指揮をしております)「なにわコラリアーズ」が、「ただたけだけコンサート」(現在vol5まで進行中)を始めたのは、ノスタルジーや蘊蓄にウェイトが行きがちだった多田作品全体に、声楽技術とオーソドックスな音楽観を持ち込みながら新鮮な音楽作りをしたかったからですが、多田先生は、「なにわコラリアーズ」の演奏をよく映画に例え、「細部に至るまでアングルやカット、カメラワークが感じられる…」とおっしゃってくださいました。多田先生は若い頃映画監督を志しておられたことがあったようです。実は私も大学時代には年に365本の映画を見ながらポストモダン芸術論を学んでいた経緯があり、共通のボキャボラリーの中で小津安二郎や溝口健二、成瀬巳喜男、山中貞雄の映画技法を音楽に結びつけながら演奏談義をさせてもらったものでした。
私が多田先生とお話できたのは多田先生にとっての晩年ということになります。随分気に入ってくださり、頻繁に長いお電話(平均2時間)をいただきました。朝の7時ぴったりに自宅に電話が鳴ると、大抵それは多田先生でしたが(恐らく7時までは待っておられたのか…)、堰を切ったように山田耕作先生や清水修先生の話、カールベームとウィーンフィルの話、紅白歌合戦の歌手の話…(ここまでは定番)、音楽のみならず、何故かウェッジウッドからエルメスの歴史の話まで、様々なことについて教えていただきました(もちろんいくつかの話は重複するのですが…)。そして最晩年には、私が「みなづきみのり」という筆名で作詞活動をしていることを嗅ぎつけられ、「他にも書いてるでしょう、ぜひ見せなさい」と言われたので慌てて詩を書きためたノートを提出いたしました。すると「頂いた詩は、ほとんど曲にできる。中でも12の月の詩が気に入ったので、ぜひ曲を付けたい」と言ってくださり、それが多田先生史上例を見ない全12曲の組曲『京洛の四季』となったのでした…。
…さて、このたび「かつてない規模での演奏会」を企画された「東海メールクワイアー」の皆さんとともに多田作品に取り組めることは私にとってこの上ない喜びです。「もし多田武彦がいなければ、日本の男声合唱はここまで盛り上がらなかったのではないだろうか……」とよく考えます。「多田作品」の神髄は詩の選択眼でしょう。音楽と取り組むことが「人生を反映させた抒情詩」と格闘することと同義になることから、多田作品は青年たちの崇高なジャンルに成り得てきたのではないでしょうか。様々なやり取りから、多田先生が詩の選択において最も大切にされていたのは「春夏秋冬」「花鳥風月」…そして、型としての「起承転結」であったものと思われます。つまり、品性を保った情緒性と、様式感を伴った美意識が多田作品の中心ということだと思うのです。
多田ファンならば誰もが考えたくなる多田作品の「アラカルトステージ」ですが、テキストであるその抒情詩を観点にして「春夏秋冬~移ろいゆく季節感」と「花鳥風月~詩が描いた日本各所の風景」をキーワードに選曲してみました。著名な曲から珍しい曲までを織り交ぜておりますので、一緒に多田ワールドをお楽しみいただければ幸いです。
2021年女声合唱団しなの
演奏会に寄せる
…時々考えます。私たちは歴史の中に生きているのでしょうか、それとも私たちの中に歴史があるのでしょうか。私たちは時代を生きるとともに、体験してきたことの想い出や記憶とともに生きているとも言えます。ですから「時間」は私たちの中にも外にも存在し、それぞれ別の流れ方をしていると言えるのではないでしょうか。
また、私たちにとって生と死とは互いに反対の世界に位置するものなのでしょうか、死とは生の後に訪れるものなのでしょうか。私はこうも思います。私たちの生はそもそも「死を抱えながら存立しているのだ」と…。
確かにテキストの内容は現代のジェンダー観からすると典型的であり過ぎ、いかにも古風な世の男性の秘めた願望(先に死ぬ夫を悼んでほしい)すら読み取れてしまいますが、私がこの間ずっと感じていたことは、そのような表面的なストーリーではなく、むしろ、もっと普遍的な「私たちの生と死を取り巻く時間の物語」でした。
私たちは、歴史に翻弄され、時代に翻弄され、社会に翻弄されながらも、与えられた環境の中をひたすら生きます。そうしているうちに外の時間はどんどん過ぎ去り、私たちはいずれ年老いていくのですが、時間は私たちの中にたくさんの思い出や記憶を生み出し、様々な人との関りを織りなしていってくれます。つまり、私の中には「あの日の私」がいるのですが、誰かの記憶の中にも「あの日の私」がいるかもしれないのですね。そして、それぞれの時間を丁寧に見出す「まなざし」こそが「愛」なのではないかと思います。
「思い出すこと/思い出されること」…私たちはこの繰り返しの中を生きているのです。まるで瞳を開くことと閉じることの繰り返しのように「愛し/愛されている」ことが人生であるように思います…。いや、そのようにあるべきなのだろうな、と思います。
「女声コーラスしなの」さんとの再会、そして久しぶりの練習はそのようなことを感じさせる時間の連続でした。私たちは、上手な歌を歌うことを目指すだけではなく、歌うことを通して人生の諸相を再確認してきたと言えます。本日はそのことを客席とともに味わえるような演奏になればと思います。「歌うこと」「歌い続けること」の大切さを噛みしめながら。
2024年3月~佐賀女子高校・女声合唱団ソレイユ・なにわコラリアーズジョイントコンサート
團伊玖磨生誕100周年に「筑後川」を
樋口久子先生のもと、いつも大変すばらしい合唱活動をされている「女声合唱団ソレイユ」「佐賀女子高校合唱部」とともに音楽が出来ることを大変嬉しく思います。特に今回は「なにわコラリアーズ」のメンバーを伴って舞台に立てるということで、この上ない喜びを感じています。さて、新しい年度を明日に控えるこのタイミングです。記念すべき合同曲には今年生誕100周年を迎える團伊玖磨の「筑後川」を選んでみました。私が本格的に合唱活動を始めたのは大学以後のことなのですが、それでも中学、高校時代には音楽の授業で筑後川の「河口」を力いっぱい教室で歌った記憶があります。そして、それはあくまでも終曲に過ぎないことを知り、全曲を味わうためにわざわざ「レコード」を買ったことを思い出します。(「岬の墓」とのカップリングでした)
最近の合唱界は、どちらかというとサウンド効果を狙ったエフェクティブな合唱が盛んです(もちろんそれはそれで面白いです)。しかし、コロナ禍を経験した私たちにとって必要なことは、「密になり」大らかに、高らかに歌うこと、立派に力いっぱい歌い切ること、であるようにも感じてきており、今こそこの昭和の名曲を取り上げたいと考えました。
かつて久留米の駅に降り立った際に、駅のからくり時計から時間に合わせて「筑後川」の「河口」が流れてきたことに感動したことがありますが、熊本、大分、福岡、佐賀を旅し「有明の海!」に注ぐことになる「筑後川」をこの地で歌うことの意義も感じます。
地域の誇りであり、昭和の合唱界を代表するこの名曲にしっかり挑み、高らかに歌い上げてみたいと思います。