美しい夏キリシマ 〜2006黒木和雄監督追悼上映〜黒木和雄(2002年/日本)黒木和雄監督の傑作「美しい夏キリシマ」から私が感じたのは、映画的手法云々ではなく、 「人間は本当に言いたい<ただ一つだけのこと>をずっと大切に胸に持っている」という ことであった。その思いとも信念とも言える「痛切な気持ちの滲み方」一点において、こ の映画は私にとっても特別な存在になったと言えるのだ。
それから2年が経って、ちょうどまた黒木監督の新作映画のホール上映を話題にしていた 最中、監督の訃報を聞いた。同ホールにおいては実行委員会の主催により黒木監督の追悼 会と「美しい夏キリシマ」の追悼上映が行なわれたが、「キリシマ」については遅ればせ ながら私はその場で初めて見ることになったのである。脚本の完璧さ、脇役の締まり具合 といい、総合的にみても申し分のない素晴らしい映画だった。空気やリアリティを感じさ せるロケは素晴らしく、役者たちの直感的な演技は映画に漲っているエネルギーの方向性 の中にしっかりと束ねられていた。 しかしながら、私にとってこれをさらに特別なものにしたのは、黒木監督と同世代であった 私自身の父の死の直後だったことである。慌しさの中で10日あまりが過ぎた頃であったが、 何かの匂いを感じるようにして暗闇に身を委ねた。映画の中の少年の姿が<ただ一つのこと >を源泉にしてこの映画を作り、その思いを饒舌に私に語られていた黒木監督の姿と完全に 一致した。そして戦前に父母を亡くし、寂しさの中に戦中戦後の少年期を過ごした私の父の 姿ともダブって感じられた。父の人生のメッセージも恐らくその多感な時期に得た<ただ一 つの思い>を源泉にしていたのだと感じたのである。 よく思う・・・。映画が偉大なのではなく、人が映画にかける思いが偉大なのであろう。いや、 人が人生にかける思いが尊いのであろう・・・と。「美しい夏キリシマ」は反戦の映画である にとどまらず、私たち後輩世代へ「苦味を含んだまま人生と向き合い、時間をかけて肯定 していくことの勇気を喚起させる」メッセージでもあるのだ。 (2006.6)
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暗闇シアター・エレニの旅 (2005.5)・美しい夏キリシマ(2006.6) |