【全日本合唱コンクール】について

2014.1.5

全日本合唱連盟のコンクールカテゴリーが変更になりました。しかしながら例えば、 今回のカテゴリー改定は誰にとって有利になったり不利になったりしたかという問 題は意味が薄く、問い詰めるつもりはありません。一時的なレベル低下という声に ついても、改革に馴染まないだけで、まあ時間の問題なのかもしれません。しかし ながら、その先にどんなビジョンを持って改革をしたのか、ということを問いたい とは思うのです。大学カルチャーではなくユースの合唱団を育てたいという意思が あってのことなのか、女声、男声という合唱団のカテゴリーを日本音楽シーンの中 にどう位置付け、どのように育てたいのか、…そういうことが語られなければなり ません。例えば、教会ごとのカルチャーや地域ごとの芸術文化的取り組みがあるわ けではなく、学校教育や大学カルチャーに依拠してきた合唱活動に対して、ユース というカテゴリーを開発していくためには、ジュニアを含めてJリーグ初期のような 抜本的改革を伴わなければならないのではないでしょうか。また、課題曲が同一で あるのに人数だけで区分わけすることで、区分に分けた意味合いを確認するために 審査ポイントをどのように据えるという態度が表明されないといけないのではない でしょうか。…等々、批判や一方的な文句ではなく、参加者も合唱連盟組織の一員 なので、ともに考えていくポイントが多数あると思います。しかし、そのためにも 何より連盟組織として、コンクールをすることの意義やその先のビジョンを示す必 要があるように思います。
私は、ゲームとしてのルール改正には特段の興味はありません。それよりも、各地 で見られる中高校のコンクールにおける連盟とNHKコンクールとの逆転現象につい て、小学校での合唱の取り組みついて、指導者の不足について、教育行政と合唱連 盟の関係性について、等が気になります。
全国大会のレベルばかり見ていると何の遜色も問題点も考えられないことですが、 出場枠数や結果に一喜一憂して気を取られているうちに最も大切な音楽の方向性を 見失ったり、裾野の広がり等に目配りすることを忘れないようにしたいものです。
ちなみに、私の考えは10年前から表明しております。私は、たくさん議論し合唱 の場をよりよいものにしていきたいと思っているのですがね。
→21世紀におけるコンクールの開催方式と合唱連盟の取り組みについて

また、この場を借りて、一つ宣伝をさせていただきます。年末に毎年300人もの大 学生を全国から集め、とっても楽しくためになる指揮者指導者合宿(大阪:12月29-30) を行っているのです(随分浸透してきてくれました)、次年度からは、その取組か らスピンアウトする形で発想し、指揮者協会の主催で合宿型の「第1回学生合唱コンベン ション」を開催します。大学カルチャーを信じ、そこを活性化させるための楽しい 取組にするつもりです。学生指揮者限定にすることで合唱連盟の「大学・ユース部門」 とは差別化が図られるでしょう。大学生たちが大学のプライドをかけて知恵と工夫の 結晶としての取り組みを見せてくれること、戦うのではなくともに学び、分かち合い、 仲良くなってくれること、そしてその先にあることとして、何といっても合唱活動が 就職活動に有利になるようなアピール場面にならないだろうかと思うのです。合唱活動 は全員がレギュラーであり、各自がばらばらに持っているバックグラウンドや個性を 言葉によるコミュニケーションを通して一つの方向に合わせ、他者に対して表現して いく芸術活動です。社会人としての基礎素養につながるのは言うまでもないことなの です。一生懸命の取り組みを社会にアピールし、大学で合唱活動をしっかりやってい たのなら大丈夫というイメージ作りにつなげていきたいと思っているのです。合唱 カッコいいと思われなくてはなりませんよね。
→大学合唱コンベンション2014

審査員は松下耕、清水敬一、千原英喜、伊東恵司、某大手リース会社役員(合唱経験者)、 某大手食品関係者役員(合唱経験者)「大学で合唱を頑張ってやっていることで、 就職活動が有利に働くこと」に繋がればとも思います。発表はバーベキュー大会席上 の予定でしたが、某食品会社の好意からカレー400食分をご寄付いただきますので、 「カレーパーティをしながら」ということになります。楽しいコンクールにするつも りです!!

私は「一般の部」については、カテゴリー別開催を提案しつづけて10数年です。毎年 カテゴリーを変えて、今年は「ロマン派のコンクール」今年は「フォークロアのコンク ール」今年は「〇世紀のキリスト教音楽をテーマにしたコンクール」、今年は「昭和の 邦人作品を歌うコンクール」…、そんな開催はどうでしょうか?年によって出たり出な かったりすれば良いし、勝ち抜きや一番を決めるコンクールではなく、ともにワークシ ョップと連動させながら、少しずつポイントやバックグラウンドを学び、様々なアプロ ーチ方法を試すフェスティバル式のコンクールで良いのではないでしょうか?
つまり、高度経済成長期ではあるまいし、あるいはベストテン番組が流行った時代では あるまいし、合唱団が成熟していく中で、高みを目指す一辺倒ではなく、音楽の諸相、 バックグラウンド、表現の多様性を学び、試行錯誤する場としてのコンクール…という 位置づけはどうか、という提案です。
最近コンクールのプログラム終了後、合唱団を越えて全出演者が楽しんでいる雰囲気は 良いことだと思います。しかし、勝ち抜き構造を盲信し、演奏ではなく打電される結果 に一喜一憂し過ぎているうちに、合唱音楽の豊かさを自ら削いでしまっている気がして なりません。一部のレベルは向上しているものの合唱のパイそのものが少なくなってい る状況、若手の歌い手が減り合唱が先細っている現実について、それが合唱の魅力を十 分に伝えきれていないのではないかということが気になるのです。そういったこと を組織は自省し、分析し、ビジョンを示して対応していくべきだと思うのです。決して コンク―ル批判ではありません。物事や取組に功罪はつきものですから、謙虚に分析し て柔軟に思考してしっかりと考えて提案すること、提案されたものを構成員や参加者は 議論し、より良いものにして試行錯誤していくことが必要なのではないかと思うのです。