二つの記憶が判明

2016.7.27

インターネットの普及によって謎が解けたことが2点
一つは、昔見たアニメのエンディングソングが好きで、ときどきうろ覚えながら鼻歌を歌 ってしまうのですが、それが何だったか全く分からずにいたところ、歌詞の一部から検索 出来たのでした。
40年来の謎?が解き明かされた瞬間でした。

もう一つは、もの凄く古い記憶ではなく大人になってからなのですが、マンションに引か れた有線放送を面白がってつけっぱなしにしていた時期があって、ずっと童話チャンネル を聞いていました。(あるときはヘンリー・パーセルばかり一週間、またある時は70年代Jポ ップス、あるときは落語ばかり…)その時に聞いたある美しく哀しい物語が何の童話だったの か、それを明け方に眠りながら聞いていた(いや目覚まし代わりにしていたが寝ていた)の で、それが事実なのか夢なのか判然としないまま20年くらいを過ごしてきたのですが、 これもかすかに覚えているキーワードを検索したところ、判明したのでした。
喜ばしい時代になりましたねえ。
昔なら図書館に1日篭もって…とか、資料を山のように積み上げて判明するとかしないとか、 そういうことだったのでしょう。ただし、最近の学生等の情報量を考えたとき、それとは逆 の現象が起こっているようには思うのです。「最近の若い人は」というつもりはないのです が、便利に情報が入ってくる一方で、例えば派生的に得られる周辺知識や下支えをする基礎 知識が不足するとか、通り一変の情報になるとか、・・・安直に答えが分かるということが必ず しも情報の充実を意味しているのではないと思うことがあります。
もちろん、わざわざ情報入手に苦労を要する必要はないですし、効率的に得られることがより 豊富な知識の吸収に繋がることも間違いないでしょう。しかしながら、積極的に探求していく 姿勢にこそ派生する知識の獲得や、本質に至る問いかけの意思が芽生え、結果としては胸の奥 に残る生きた知識が得られるようにも思うのです。効率的なことと、不自由をものともせずに 探求していく姿勢が上手くブレンドされなくてはならないですねえ。

P.s
一つめは「さすらいの太陽」というアニメのエンディング(これはオープニングが有名でした)。 しかしながら10代の堀江美都子の歌唱が素晴らしいです。少なくとも私より音楽的才能が豊 富だった兄が適当にエレクトーンを弾きながらよく歌っていたのでした。
二つめは「ある母親の物語」というアンデルセン童話でした。子どもの頃から確かにアンデル センは怖くて好きではなく、出来るだけアンデルセンと名の付くものを回避していたのですが、 ちょっとびっくりするような美しさとやさしさと残酷に満ちた展開で、大人の私にも忘れがた い印象として突き刺さっていたのです。