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谷のうぐいす…
  〜つれづれなるままに、はるまち〜

よどこんライナーノーツ(2002.3)より

彩りの良い季節となってきました。
しかしながら?またまたプラザの締切がやってきてしまい、ちなみに昨年の今ごろは何を書 いていたんだろうと思って、ホームページを開くとだいたい今の状況と同じようなことが書 いてありました。

(本来は閑散期のはずなのに数えてみると毎週5回の合唱祭関係会議に追われる日々…昨年)
…京田辺にいることを幸いにして?京都・大阪の合唱祭とも実行委員ではありますが、あまり 参画出来ていません。でもどうやら両合唱祭でも講習会を引受けねばならないようです。ひと つがんばってみます。

(先日、保育園の生活発表会(学芸会のようなもの)がありました。…昨年)
…うーむ、今年もありました。昨年は全く口も開かず、「何故なの?どうして?」という問い かけに対し「最初は心で歌い、次は足の先で歌った」と言っていたうちの子でしたが、今年は 芝居の台詞をふた言しゃべりました。まったく抑揚のない棒読みで、しかも伏し目がちだった ので、どこから誰がしゃべったのかも分からないようなものではありましたが、昨年より確実 に進歩を遂げていたので本当に感動してしまいました。歌は相変わらず歌いませんでしたが、 それでも時々はフレーズの終わりだけは口を動かしているようには見えました。どうも、極度 に恥ずかしいようです。
他の子をみていても、ああいう場面では、一般的に必ず女の子の方がしっかりしていて積極的 ですね。男の子は基本的にナイーブで傷つきやすく恥かしがり屋なのですよね(私みたいですね)。

(2月末には同志社グリークラブの「フェアウェルコンサート」がありました。…昨年)
…今年ももちろんありました。顧問代行として祝辞を述べたのですが、今年の卒業生は9人。 苦労を共にしたという点で、5人の卒業生を送り出した昨年が、伊東恵司の1期生(勝手ながら) とするならば、この学年は2期生。この2期生の4年間がグリークラブにとっては苦しみながらも 這い上がってきた4年間であったことを思うと、「よく頑張ってくれた」という気持ちでいっぱい でした。彼らが一回生の時の定演では、著しい人数の減少や、指導者の不在、OBとの確執、方向 性の行き詰まり…といった問題を同時に抱え、日夜上級生と相談を繰り返していました。新生同志 社グリーの創造を願って、今までに決して取り上げなかったようなアカペラ現代曲を取り上げたの ですが(グスタフソン)、当時の1年生が今年の卒業生です。一年生にとっては大変だったでしょう が、結果的にはこの方向性が今のところ奏効し、同志社グリーも「力技の合唱」から「耳を使った合 唱」に転換してきています。また、東西4連という世界での井の中の蛙になっている状況を打破すべ く、「アンサンブルVine」という混声合唱団を(当初)同志社内に作って、合唱の楽しみを広げ ることなんかも試みましたが、卒業生のうち2人がここの主力メンバー。もう一人は「なにコラ」に 入れ、もう一人は京都の合唱連盟に送り込むなどして、同志社グリーの中だけで小さく完結しないよ うに工夫をしました。(もちろん学生と相談しながらのことです)
その9人が、本当によくハモるし、楽しそうに歌ってくれるので、感激しました。ともすれば体育会 系で「燃えつき症候群」の罠に落ち込むグリーメンたちが、かくも楽しそうに「音楽」をしてくれて いることに、落涙の思いでした。

話は変わりますが、フェアウェルというともう一つ思い出すのが、私の師匠の福永陽一郎先生のこと です(PLAZA45号(2000年1月)を参照。Webでも見れます)。
私の卒業のフェアウェルコンサートの1週前に亡くなりましたので、2月というと寒梅、同志社、フェ アウェル、、、福永先生、、という具合に連想して、自分の故郷を振り返るようで涙が出そうになります。

その福永先生が創設した合唱団でもあります「法政アカデミー合唱団」とのジョイントが迫ってきま した。福永陽一郎はアマチュアと学生合唱にのめり込み、多くの人に愛されながらも権力や型にはま ったことが嫌いで、いつも生命をかけて意欲的でした。晩年は透析の日々でしたが、それでも音楽と 合唱に人生の全てを捧げておられましたから、私などは、福永陽一郎の指導(というか生きざまを目 の当たりにした)を受けたものの責務として音楽を続けているようにも感じることがあります。
こんなにも大切で豊かなものをたくさんいただいた以上、これを多くの人とシェアしていくことが自 分の使命なのではないか、、、と考えることがあります。

法政アカデミー合唱団は、福永陽一郎の指導のもと、全日本合唱コンクールでは大学の部で最初に 金賞をとった混声合唱団です。(以後3年連続金賞受賞。その後は日本全国を演奏旅行で回り、地元 の優秀な合唱団とジョイントをして刺激を受けることを活動の中心に据えている。)
当時は大学の混声合唱団など、「男女交際の場」という雰囲気もあり、福永先生としては、混声合唱 こそ多様な音楽を実現し得ることを示したかったし、大学の混声合唱団活性化のきっかけのために、、 という気概をもって合唱団作りとコンクールに取り組まれたという話を良く聞きました。

亡くなるまで大切にされていた学生合唱団が「同志社グリークラブ」と「西南学院グリークラブ」 と「法政アカデミー合唱団」でしたが、そのひとつの合唱団と、先生が亡くなってから12年後に巡 り合うことになることについて、何となく嬉しく暖かい気持ちさせられてしまいます。メールで流し たことがありますが、福永先生を介して少し付き合いのあった法政OGの鎌田さんからのメール掲載 しておきます。

『3月には、現役の演奏旅行で賛助出演してくださるそうで、ありがとうございます。
現役との連絡係りのようになっている方から、そのようになりそう、と伺っていましたので、 もしか すると、伊東さんのところかな、と思っておりました。鷲崎さんからもお便りをいただき、とても嬉 しく思っています。
それにしても、福永先生が亡くなられて、もうすぐ12年。現役の皆さんは、もちろん、福永先生の ことは全く知らないわけで、 先生を今でも慕っているOBとの間に少々ギャップがあるのも現実です。 それでも、先日、連絡係りを通して、現役の大阪担当マネジャーに伊東さんと鷲崎さんからのお便りの 話しをしました。 こんなふうに、待っていてくださるのよ、ということを伝えたかったからです。 演奏旅行の間は、京都エコーの浅井先生が、現役を振ってくださるそうです。 いい演奏会になりますよう祈っております。 どうぞ、よろしくお願いいたします。』

…福永先生を最初に同志社グリーに招聘したのがエコーの浅井先生(同志社グリークラブ第31代 学生指揮者)。伊東は最後の弟子(第58代学生指揮者)がんばって、良い演奏会にしましょう。

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