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視線について(三重のアンサンブルフェスティバル)

よどこんライナーノーツ(2003.03)より

…(前段略)さてさて、合唱のことを考えると急に現実に返ったよ うな気になるのですが、2月にはその小津安二郎にもゆかりの三重県に行って来たの でした。

三重県のアンサンブルコンテストに審査員として行ったのですが、 遠方ということで初めて講評までさせられました。朝から夕方まで72団体の演奏を 聴くのは簡単なことではないですが、滅多にある機会でもなく、課題曲が無かったこ ともあって、大きな充実感となって印象に残りました。

大合唱でも同じことですが、「耳を使って声を合わす」ということと 「一人一人が自立して表現する」ということの一見矛盾したような要素の拮抗や共存が 合唱である…、と改めて感じられたことが収穫でした。
アンサンブルコンテストというのは通常指揮者なしで演奏をする訳ですが、そうしたと き、歌い手はいったいどこに視線を向けるべきなのでしょうか?
特に中高生のグループは「視線が定まらずに泳いでしまう」こと、あるいは「一生懸命 客席に向かって歌うのだけれど」グループとしての一体感がないことを感じてしまいました。 「何だかおかしいけれど何か分からない」…という状態で聞いていた時に登場したのが 三重県が誇るESTの団内アンサンブルでした。
ESTは恐らく日本で一番洗練された合唱団であり、テクニカル、マネジメント的なサポ ートもシステマチックな体系を整えているものと思われます。悪い言い方ではないですが (誤解なきよう)、三重という土地の多少閉鎖的な側面が、合唱団の全員をピュアに一定 の方向に向かわせているようにも思います。しかも、インターネット時代、敢えて外から 技術的に最先端のものを取り入れていることや、適宜的確なアドバイスを受ける謙虚さが ESTの音楽をさらに向上させています。
非常に価値のある良いものを聴けました。

で、そのESTのアンサンブルで印象的だったのはメンバーの視線の動きです。
もちろん、一人一人の表情も生き生きとしているのですが、演奏をスタートする時、テンポ や音楽の変わり目、フェルマータの後、メンバーは呼吸を合わせると共に視線を交わしあい、 一体感を醸成した後に客席を巻き込みます。
もちろん、これはアンサンブルの基本であり、私が京都で時々やっているアンサンブルVI NEや四条畷のユース、客演の立場で行く「佛教大学混声合唱団」等でもよくトライしてい ることでもありますが、それをESTのメンバーは理想的に非常にトレーニングされた状態 で行なえているのでした。
我々はよく客席に向かって…、とか遠くを見つめて…、というふうに言われます。一人一人 が前に向かってメッセージを発するということはとても大切なことでもある訳ですが、合唱 団としての一体感ある演奏というものもまたアンサンブルの基本だと感じています。
メロディーの受け渡し、一緒に息をすること、テンポ感や音楽を共有すること、は合唱の基 本的な態度であり、それをトレーニングしていくことも必要でしょう。

「よどこん」でも音取りの初期はどうしても楽譜から目が離れないですが、 楽譜を見てようが見てまいが、「どこで息をするか」とか「どのパートを聞くか」とか「音 楽の変わり目を感じよう」とか…そういう意識をもっと研いでいかないといけないように思 います。
「自分の音をとる」という非常にパーソナルな作業をアンサンブルの中で行なうのは、もち ろん「必要なのですが、それだけになってしまうと勿体ないこと」だと思います。
楽譜とのパーソナルな闘いを(ある程度)諦めて、ふと肩の力を抜くと、歌うべき音を他パ ートが歌っていてくれたり、音取りの上手な人がカバーしてくれたりもします。もっと「人を 頼ること」あるいは、「人を生かすこと」を意識して、合唱のもっている「共同作業的な側面」 の良さを味わって欲しいと思うのです。(もっとも、個人やパートを鍛える練習は別途必要 ですがね…。)
そういったことから、物理的な視線という意味ではない、「自然な視線(気持ち)の共有化」 と、それが「音楽的なリズムや一体感」を醸成することを味わうことが出来るのではないかと 思います。

小アンサンブルの持ち味である、「一人一人が積極的で意欲的で生き生きと 歌うこと」と、「一体感もった音楽作り」が、(拮抗しながらも)合唱の基本的な姿でしょう。 我々のような大きな合唱団にとっても非常に大切な課題だと思います。

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