夏の終わりは秋の始まり
2009.8.31
夏の終わりは秋の始まりでもあります
ある朝起きるとある時突然秋が忍び込んできていたりしますね。日中は 夏なんだけど、夕方の風とか夜とかがしんみりしてくる季節です。特に 朝に家を出て行くときの空気の肌触りが「秋の始まり」だと感じると本当にどきどきするくらい嬉しいです。この季節、私にとっては子供の頃から「お婆さんから20世紀梨が送られてくるのを待っている感じ」 …「私の誕生会が近づいていく感じ」…「運動会や文化祭が近づいていく感じ」…がして、子供の頃の記憶に包まれる瞬間でもあるのです。
さて、最近は毎年のこととなりましたが、今年の夏もコンクール関連で様々なところに行かせて貰いました。コンクールの審査というもの は決して自ら積極的にやってみたいものではありませんが、一つの価 値観を形成していく上では「勉強とか試練」とかの場になっているような気がしています。聴くポイントを考えていくことは、「合唱とは何であるか、どうあるべきか、どうあってほしいか」という自分の中 での漠然とした思いを整理していく場面であるような気もしていますし、「クラブ活動がどうあるべきか」ということを考えたり学んだりする場面でもあると思います。逆にたくさん与えられたこのような機会を 私自身がどのような時間として使うかということが問われているような気すらします。
もちろん、評価されるというのも嫌なものですが、評価するのも難しく、評価に関係のない場面に身を置き、コメンテーターではなく常にプレーヤーでありたいという気持ちが私にはあります。
「なにわコラリアーズ」は今年はコンクールに出場しません。もう 10年も続けて全国大会に出させてもらっていますし、10個の金メダルをもらい、それ以上に様々なことを経験させてもらいました。 来年以降のことは不明ですが、モチベーション高く、何かにチャレンジする気持ちを常にもって出場しないと、コンクール出場が疲弊感を生み出し、活動の不自由性を高めると思ったからです。
全員が10年間を経験しているのでない以上、経験値というものが組織に蓄積されていることはないのですが、少なくともそうやってずるずると敷かれたレールの上を歩いていくことにいったん抵抗してみな いと、新しいことは生み出せないような気がしました。少なくともコンクールという場で得てきたことを何に生かしていくかということを考えていかなければならないと思っています。