徳島から東京、そして西宮へ
2009.5.25
いつもそうだと言えばそうなのですが、今年のゴールデンウィークは 合唱漬けの日々を送ることになりました。
5月2日には昔から親交のあったS君が徳島で立ち上げた合唱団 「Diligo Musica」の第一回目の演奏会を記念して、 信長貴富作曲の「思い出すために」はじめ二つのステージを指揮す るために駆けつけました。それまでに何度か徳島練習に出向いてい たのですが、いつも朝の時間帯に瀬戸大橋を渡るバスに乗り(朝な ので乗客も少なく)、長閑な風景と時間が流れる中、瀬戸内海の海 面が穏やかにキラキラと輝いていているのを眺めることが出来ました。 それはそれは本当に美しいくゆったりと気持ちのほぐれるひととき でした。(私の頭の中には常に「瀬戸の花嫁」の旋律が・・・)
演奏会そのものは、いろいろ冷や冷やしましたが、徳島の白神さん、 香川の山本さん、愛媛の森岡さん、の四国のそうそうたる指揮者陣 にも来ていただいており、有難いことでした。一般合唱団が極端に 少ない徳島という土地にこだわっての新しい合唱活動にはエールを 送ってやりたいと思いました。
tokyo cantatそのまま飛行機に乗って、翌日の5月3日には「合唱団:葡萄の樹」 で東京カンタートに出演させてもらいました。今年のこの日のテーマ は雄大なもので、放送局の委嘱によって誕生し、昭和の合唱界を彩った 様々な名曲が各団体によって歌われるというものでした。「葡萄の樹」 は田中利光作曲の「津軽の音素材による四季」から「春夏」を歌わ せてもらいましたが、何より、昭和を回顧するためにほとんどがピアノ 伴奏のプログラムビルディングの中で、アカペラ作品を私の合唱団に 回してもらえたのはありがたかったです。(ピアノが入ると、まずピ アノに力負けしてしまうので・・・。)土着的というよりは爽やかで垢抜 けした演奏というふうに言われましたが、私が指揮すると、どうして も品の良い?「いかにも京都の合唱団」という感じの音楽になるのだ と思います。音楽を彫塑するにはもう少し土の匂いが充満するアプロ ーチが要求されたのかもしれませんが、逆に「葡萄の個性」や「私の 感性」のようなものが出せて、私はそれはそれで良かったのかもと思 っています。私も久しぶりに「祭」の法被を着たかったので、気分良 く指揮させてもらいました。
4日の大学合同練習、5日の合宿的前日練習を経て6日には「なにわ コラリアーズ」の第15回演奏会でゴールデンウィークを締めくくる ことになりました。我々の力ではありませんが、様々な協力を得て1 700人にも及ぶ人数の集客を得ることが出来たことがまずはありが たいことでした。また、武庫川女子中高、清水谷高校、関西学院高等 部、すみよし少年少女・・・、等々団をあげて足を運んでくれた若い世代 の観客から年配の男声合唱ファンまで幅広い層に来ていただいていた ので、そのような偏りのない幅の中で男声合唱の面白さや魅力を伝え ることが出来たらとも思いました。
マーラーの「さすらう若人の歌」は約20年ぶりに指揮をしたのです が(→演奏会パンフレット)、と ても新鮮に感じましたし、何より実は密かに結構気に入っており各地 で練習の機会がたくさんあったのに自分が指揮する機会のなかった 「手紙(アンジェラ・アキ)」(素晴らしいアレンジのバージョンで) を演奏することが出来ました。練習中から要求したことは、マーラー のさすらう若人の歌と同じだけ全編熱唱することでした。
合唱に燃えつきたゴールデンウィークでした。
ほっとしてインフルエンザにかからぬよう、緊張感と気迫をキープし ながら健康管理に務めております。