読書継続中

2018.5.31

前にも書いた通り、私が一番読書していたのは中学から高校にかけてのこと。ドストエフスキーが自分の人生を覚醒させ、ロマン・ロランやヘルマン・ヘッセやモーパッサンが私の人生を支えることになり、ようやくマルセル・プルーストとジャン・コクトーで自分の求めていたものを知ったのですが、その後の読書生活は低調でした。
それでも大学時代の最初にジェイムズ・ジョイスに出会ってしばらくは読書は続いていたのですが、やがて哲学書や神話の方向にそれていってしまったのと、映画や音楽にとってかわられることになったのです。
社会に出てからは、久しぶりの読書で新訳のレイモンドチャンドラーの諸作品とスコット・フィッツジェラルドの「偉大なるギャッツビー」に出会って衝撃を受けた以外は、個別にいくつかの作品を読んだことはありますが、読書熱というものはなかなか沸き起こっては来ませんでした。
それが今年になってカズオイシグロを読んで以来、ほんの少しだけですが読書も継続しておかねばと思いが沸き起こっています。しかも、解説本や論文ではなく、「小説、文学」という一番実学的なものから遠いものを大事にしないといけないのですよね。 備忘のために最近読んだものを羅列しておきます。

〇短編集をいくつか読みました
(つまり、今まで読もうとしていて手元に本はあったけれど、機会がなかったものをさらう感じで)

・アウルクリーク橋の出来事(アンブローズ・ビアス)
・片腕(川端康成)
・バナナフィッシュにうってつけの日(ジェローム・ディビッド・サリンジャー)
・南から来た男(ロアルド・ダール)
・ささやかだけど役に立つこと(レイモンド・カーヴァ―)

カーヴァ―は、確か読んだことがあったのですが、「パン屋さんの匂いでしょ?」という合唱物語に取り組むにあたってもう一度読んでおこうと思ったもの。そのほかにも用あってメーテルリンクの戯曲等は再度流し読んでいます。またチェーホフの「子犬を連れた貴婦人」なんかを再読してみたのですが、高校時代には全く訳の分からないまま読んでいたことに気付きます。

〇フラニーとズーイ(ジェローム・ディビッド・サリンジャー)
先に「バナナフィッシュ」を読んでおいたことによって、こちらの作品に対する理解が立体的になった気はします。しかし、アメリカ文学において、私は圧倒的に「偉大なるギャッツビー」が好きだなあと思っていたら、それに及ばずとも魅力的な次の小説と出会ってしまいました。

〇ムーン・パレス(ポール・オースター)
「それは、人類が初めて月を歩いた年の夏だった…。」というどきどきする述懐から始まって壮大な旅の果てに月が昇っていくシーンで終わる素晴らしく感動的な青春小説でした。偶然の重なりは全くご都合主義には思えず、歴史の中に生きる私と、私の中にある歴史が混ざり合い響き合い、一つの夢の物語を紡ぎ出しているようです。悲しみとか喜びとかでは表しえない余韻が胸の中にずっと残っています。素晴らしい小説に出会えたことに感謝。

〇レイ・ブラッドベリの短編とたんぽぽのお酒
子どもの頃、テレビでちょっと見るだけのつもりだった「火星年代記(映画)」が面白すぎて、最後まで見たことを思い出します。レイ・ブラッドベリは恐らく第一義的には詩人なのです。英語で読めないことが残念でならないのですが、翻訳家の力を借りてその比喩の豊富さ、言葉がイメージさせることの豊かさを改めて思い知ることになりました。
テニスシューズのエピソードとともに少年時代の夏が強烈に躍動します。眩し過ぎる命の輝き、地球の回転、宇宙の静寂、夏はその日ごとに瓶詰めにされたたんぽぽのお酒の中に封印されるのです。再び解かれるときに向けて。
読書は人の心を豊かにしますね。
すぐに役に立つことから一番遠いことを常に大事にしなくてはですね。何故なら、私が受験勉強から逃れるように訳も分からないまま読んでいた高校時代の読書は30年たってからじんわりと効いてきているからです。まるで封印を解れたたんぽぽのお酒のように。