第1回東京国際合唱コンクールについて

2018.12.29

松下先生に声をかけられ、主宰する機構の理事の一人に名前を連ねているのですが、実際離れていることもあり、ほとんど何も携われてないまま、ともかく東京に向かい、本番だけは全て聞いてみました。
ある程度のことはもちろん予測出来ていましたが、実際に目の当たりにすると「これはもしかしたら日本の合唱の歴史の大きな転換点かもしれない」「日本の合唱史の中で特筆すべき出来事かもしれない」と感じたのでした。

英語もろくに話せず、コミュニケーション能力が欠如し、国際感覚のない私ですが、数えあげてみると、学生時代の1か月に及ぶヨーロッパの演奏旅行の体験を皮切りに、「なにわコラリアーズ」(ソウル)と「アンサンブルVINE」(バルセロナ)での世界合唱シンポジウムの他、バンクーバーや、シンガポール、台湾…、松下耕先生とのポーランドとコソボ、児童合唱団での上海も含め、多数の海外遠征機会を得ていることに気付きます。宝塚国際室内合唱コンクールの最盛期や日本での世界合唱シンポジウムにも関わっておりますから、意外と世界の合唱団や合唱シーンについては意識とアンテナが高いほうかもしれません。
しかしながら、今回の衝撃は、どこそこがびっくりするほど上手だったとか、無根拠に「外国の合唱団は凄い」と言ってしまうような話しではないところがミソなのです。

東京国際合唱コンクールで最も重要な場面は、実は、「日本人作曲家の日本語の曲」が課題曲になっているのに、それを数多くの海外の合唱団が研究して歌っているという事実だったと思います。私はそこに眩暈のように大きな歴史転換を見ました。これまでは、例えばバスクで開催されるコンクールでバスク語の課題曲を、頑張って日本人(やアジア人)が勉強して挑むという姿が国際コンクールの一般的な姿であったと思うのですが、その逆の現象が起きているということに日本の合唱の歴史的な転換点と努力の積み重ねを感じます(実際には松下耕先生の圧倒的な知名度がそれを成し遂げているのですが)。5つの日本人の課題曲のうち4つが日本語の曲でしたが、作曲家賞を取った日本の団体は1団体しかありませんでしたので、日本も世界全体も大きく変わろうとしているのです。私たちはそのことに気付かねばなりません。日本の国内合唱の偏狭な世界の中で、1番だとか2番だとか言うことがいかに小さなことであるかということも思い知ります。

そして、どんな連盟行事に参加しても、たいてい平均年齢が高いのですが、何より東京国際合唱コンクールの客層が多様で、全体的にも若く、演奏のスマホの撮影がOKでしたので、状況は動画拡散されています。恐らく来年、再来年と多くの海外の団体が東京を目指してやってくることでしょう。そして、日本の合唱団も恐らく今までのコンクールや合唱イベントとの落差を大きく感じていくことでしょう。そうなると日本の合唱シーンも変わっていくはずですね

それでも私が一番感動したシーンは最優秀合唱団の演奏ではなく、海外の児童合唱団でした。そこにも東京国際合唱祭の意義があったと言いたいわけですが、台湾の原住民族の児童合唱団が歌ったフォルクロアはスタンディングオべーションで称えられた素晴らしい演奏でした。ソロの子どもが歌い出した一音目で、私は、「私たちがやっていたことは何だったのか、子どもに教える、子どもを応援する、など、なんとおこがましいことを言っていたのか」と感じました。「子どもから学ばないといけないことは多すぎ、子どもは環境を与えて、引き出してあげることによって勝手に心の底から聞き手の心を打つ声を出すのだ、そしてそのことが私たちの勇気になるのだ…」という気持を強くしました。

東京ではすでにこのようなシーンまで作り出しています。 東京とは環境が違い過ぎるので、私たちは私たちに出来ることを私たちなりに地道にやっていくことしかないのですが、これから何かを計画するにしても、そこにビジョンがあるか、視座があるか、意志があるか、夢とロマンがあるか、ということが最も大事だと思い知らされた4日間でした。