JCDAユースクワイヤー~ポーランドへ

2012.4.5

「JCDAユースクワイヤ」は日本合唱指揮者協会の関西支部が年末 に主催している学生指導者合宿(→学生指導者合宿) から派生して活動している合唱団ですが、一昨年の年末合宿(原 爆小景をシアターピースで)から昨年の広島での原爆小景(水ヲ クダサイ/永遠ノミドリ)演奏(→JCDA ユースクワイヤー大阪・広島)という流れの延長線上として、 今回ポーランド演奏旅行を行いました。
考えてみると、私個人が最近「演奏旅行」として海外に行ったのは 「シンガポール」「上海」「台湾」「アメリカ・ボストン」「カナ ダ・バンクーバー」…と、どうしても時間的制約があるので、アジ アとアメリカばかりで、ヨーロッパに演奏旅行に行くのは学生時代 の欧州演奏旅行以来、約20数年ぶりのことでもありました。どちら かというと海外が苦手で、空気や水いろいろに慣れるまで緊張して しまう私ですが、やはり合唱音楽の源流のヨーロッパに出向いてい くことは重要であり、改めて音楽や歌の力に気付き、私自身が何を 成すべきなのかというようなことを感じさせてくれる旅となりました。

企画コーディネートしていただいた沼丸先生(事務局長=私はその 下で働く事務局次長なのですが…全てやってもらっています)、東 京から合流していただき、私と指揮を振り分けてもらった松下耕先 生(ここでまた晴男、雨男対決がなされたわけですが)、通訳+事 務局の前田さん、現地通訳の名方さん、準備まで携わってもらい空 港までお送りいただいた西牧先生、、グタニスクのヤン先生、カー シャさん、現地の方…いろいろな方にお世話になりました。
また、何と言っても同行した38名の学生メンバーには、その底力 と無限の可能性を感じさせていただいて感謝です。
(トランジットのアムステルダムでは指揮者留学中の水本氏にも会 うことが出来ました。)
旅先で感じたことはとても書ききれるものではありませんが、記憶 を留めるメモ程度に

◎ウッチ

最初の演奏会でもあり、私もメンバーも緊張気味でしたが、アヴェ マリア(アルカデルト)を歌い出した瞬間から、素直に温かい共感 を持ってもらえたような気配を背中に感じました。演奏を聞いても らっているというよりは、一緒にお祈りをしている…、という心境 なのでしょうか?学生時代の欧州演奏旅行では10数回の演奏会の ほとんどを教会で行ないましたが、その際に感じてきた感覚と同じ ものでした。演奏会後にも老婦人がそのように語ってくださり、典 礼曲を基本に練習することの多い合唱指揮者としては、一番大切に しなければならない感覚だと思いました。

松下耕先生の指揮する「原爆小景」では、また別の反応を客席から 目にすることになりました。原爆小景のことが冒頭にポーランド語 で説明され(日本から留学中の名方さんにお世話になりました)、 シアターピース形式での演奏の最初の音がなった瞬間に、客席の老 婦人たちが身を乗り出して聞き、しばらく後にハンカチを握り締め ながら頭を抱えるシーンを目にしました。
ウッチはもともとユダヤ人の比率の高い町で、戦前は栄えていまし たが、ナチス軍によって多くのユダヤ人がアウシュビッツに連れて 行かれ処刑されたということです。老婦人の反応は、戦争の生み出 す陰惨や痛みや呻きのようなものを瞬間に感じ取り、反復してきた であろう体験や思い出がよぎったのでしょうか?
言葉が通じない国でフォークロアでない日本語の曲がどのように聞 かれるのか、大変不安のあるところでしたが、同じように戦争の悲 惨を経験しているポーランドの地で、日本の若者たちが「原爆小景」 を歌うこと、…その彼らの前でこのような反応があったことは、音 楽の持つ力、歌い継ぐ意義、を改めて感じさせるものでもありました。

ウッチ」のホール
ウッチの夜に松下先生、沼丸先生と足を運んだ酒場は、こちらで言 うとガード下の寂れた飲み屋という雰囲気でしょうか(実はもう少 し足を伸ばすと観光客が行くような店が並んでいたのですが…)。 少し怖くもありましたが、入ってみると場末感たっぷりでとても印 象的でした。ビールとクランベリーのジュースを混ぜた飲み物を勧 められ、明日も来いよと言われたりしました。外に出て見上げると 三日月が綺麗で、ふと10数年前にボストンで見上げた月のこ とを思い出しました。

◎ワルシャワ

ワルシャワではワルシャワ音楽院のショパンホールで演奏させても らいました。こちらは若い学生等にもたくさん客席に来てもらって おり、日本の大使ご夫妻にも臨席いただきました。手作りの交流 会もおこなわれ、学生たちにとっても思い出深い一日になったこと と思われます。ちなみに練習したポーランド国歌をステージで演奏 するのは失礼になるのかどうか、と迷ったところですが、思い切って アンコールにサプライズ演奏してみたところ、それと分かった2音目 くらいで客席が一斉に立ち上がる気配がしたのを背中で感じました。 日本では国歌を演奏することに対する見解はいろいろあろうか と思いますが、少なくとも国家の成り立が異なるこの土地では、 国歌に対する誇りと愛着度が違うのだということをひしひしと 感じました。学生が必死で練習してくれたかいあって、国歌は客席 から大きな拍手と笑顔を持って受け止めてもらいました。ポーラン ドは親日国家でもあり、ショパンのイメージもあって、ピアノ留学 している日本学生も多く、今後の活躍を期待したいところです。

ワルシャワ旧市街
それにしてもこの頃からのポーランドでの天気は怪しく、大の晴れ 男である松下耕さんをしても私の雨男ぶりを阻止する訳にはいかな いようです。2回の演奏会は曇り程度で、ことなきを得ましたが、 翌日の移動日には、晴れたり小雨がパラついたり、また快晴に晴れ たり、また降ったりと、激しくせめぎ合っておりました。(伊東VS 松下)の構図はよく夏の軽井沢で見られる構図です。

ワルシャワの旧市街地を観光しました。戦禍の後、社会主義体制の 中で建てられた新市内の建物とは色彩感が異なり、心和む風景が広 がっていました。

松下先生、沼丸先生と
◎グダニスク

さて、このツアーの演奏会のメインイベント(松下先生、沼丸先生 とも親交のあるグダニスクの室内合唱団のコーディネートでもある ので)とも言えるグダニスクのコンサートは本当に素晴らしいもの になりました。午前の観光を経て、オリバー教会に行ったあたりか ら私の集中力が増してきたのか、雨を通り越して雪に変わってきて いました。またそのオリバー教会で、世界一の音色と言われるオル ガン演奏を聞いたあとに、特別に私たちユース合唱団にも歌う機会 をいただきました。
ビクトリアのアヴェマリア(松下先生)の後、千原英喜のアヴェヴ ェルムコルプスを指揮させていただきましたが、この教会での演奏 経験はメンバーたちにも大変大きな価値と意味があったようです。 「宗教曲が何のために作られ、何のために存在し続けているのか」 いや、「私たちは何のために歌うのか?」という命題に対して、一 気に答えが与えられたような瞬間がありました。…例えば、歌は 人が生きているのと同じだけ存在する悩みや痛みに対してひたむき に祈るために存在するのだ、とも言えるのではないでしょうか?痛 みや祈りの中身は人それぞれでしょう。しかし、音楽は言語や時代 や国境を越えて人の心の深いところに届く、ということに学生たち は気付いたはずです。私自身も一生懸命に歌う学生たちの表情を見 ているだけで、胸が熱くなってきました。歌い終えたあとに大きな 拍手とともに、近寄ってきた年輩の男性に抱擁されました。ポーラ ンド語しか話せないようで、何をおっしゃったのか分からないので すが、歌によって何かが伝わったことを実感した瞬間でもありました。

教会にて
…港町でもあるグダニスクに停泊する船、静かな運河の流れ、濡れ た石畳、教会の鐘、運河沿いのテラスのカフェ、…そういう美しく 叙情的な風景に囲まれ、私の気持ちが最高潮に高まってきた演奏会 は、ついに「雪の舞う中での演奏会」となりました。
演奏会の中身はここに書き表せるようなものではなく、大変大きな 感動に満ちていました。ユース合唱団の歌う宗教曲は昨日までとは 完全に別のものになっていましたし、一曲一曲の拍手がもの凄く長 く温かく、なかなか次の曲が始められない状態でもありました。こ こにいる全ての人の(いや世界中の人の)マリアに対する(幸福を 希求する)気持を、皆に見守られながら「私たちが代表して歌わせ ていただいている」という感じすらしました。何かが伝わり、何か をもらった素晴らしい演奏会は、最後にメンバー一人一人に一輪ず つの花が贈られ、美しく締めくくられたのでした。

ヤンさん打ち上げ
全てのレセプションが終わった後。
みぞれのような雪が舞う中歩いたグダニスクの街の風景は一生忘れ られないものとなりました。少しばかりふっくら半月に近づいてき た月が枇杷のような色に浮かび上がり、黒い運河の流れには色とり どりの酒場の灯りが滲んでいました。ここはリフィ河なのかネヴァ 河なのか…、いや、それよりも夢に見た風景と見紛うシチュエーシ ョンの中で、私の手はとても温かかったと思います。眠ろうとして いたのか、目覚めようとしていたのか、心はその瞬間に寄り添うよ うに静かに息を潜め、夢見るようでした。パブで飲んだ香りの良い ポーランドウォッカの銘柄は何かの暗号のように思い出せません。 (ズブロッカではなかったが、ポーランド語だったので分からず…、 2杯目は同じものに甘いミントのリキュールを加えてくれたのだと 思います。チョコミントアイスのような味わいでした)
…石畳に映る吹雪の向こうの灯りが美しく、この場にいることがと ても嬉しく、…それなのに今となっては何故か圧倒的な寂しさと切 なさを伴なって思い出されてくるグダニスクの夜なのでした…。