大学の課外教育~パネリストとして・・・
2007-3 2007.10.12
東京の某大学の「学生支援に関するシンポジウム」でシンポジスト(課外活動支援について) を務めてきました。そこでふと思ったのですが、大学生の支援を本業とする私の立場から述べると、 現在の学生ほど一般的な誤解(もしくは理解不足)に取り囲まれた存在はないような気がいたしま す。クラブ活動に絡めて述べさせてもらいますと、特に学生に過剰な期待と思い入れを持っている かつての学生(OB・OG)に限って、がっかりしたり、嘆いたり、苛立ったり、愚痴をこぼした りして現役学生と険悪なムードになる場面を良く見聞きするような気がします。
実はそのジャンルが現在の本業ですので、経験から分析的に考えますと、私たちは少なくとも次の 2つのことを前提としなければなりません。
1つ目には大学の進学率の問題が挙げられます。進学率が上がるとともに大学に行くことは特別なことではなくなる訳ですから、全般(大学生のアベレージとして)のモチベーションは低下していきます。大学が一部のエリート教育であった時代(高等教育機関)から、多くの人が多様な入試制度によって通う時代(公教育機関的な側面が増大)に変わってきておりますし、それに伴って学生の活動や大学そのものの内容が変貌せざるを得ない事実を受け止めなければならないでしょう。
2つ目は、現在の大学生の育ってきた過程ならびに現状です。現在の大学生の多くは兄弟や従兄弟、 近所付き合いも少ない小コミュニティの中で育ってきておりますし、幼い頃から、先輩・後輩、近 所の怖いおじさんやおばさん…、という付き合いの中から人間関係が鍛えられてきた時代とは資質 が違うということも認識せねばなりません。家庭や地域コミュニティにおける父性の欠落という問 題も無視出来ないと思います。短絡的な因果関係を提示したくはないですが、やはりコンビニやフ ァーストフード店とワンルームマンションを行き来する大学生に「かつての大学生=麻雀全盛時代?」と同様の人間関係の濃さのようなもの想像しても無理があるのだと思います。
最近驚いた言葉は、「…昔の学生は携帯電話がないから、友達に連絡しようと思ったら家に電話し なくてはならなかったのですか?…家なんかに電話したらお母さんとかが出てこられたんですか?そんなの嫌ですねえ…何話したら良いんですか?…」という素朴な質問と感想でした。ちょっとうろたえてしまいましたが、友人に連絡を取るということ一つとっても、そこから派生した人間関係やコミュニケーションの広がりはなく、パーソナルな関係へと完結しているのが現実でしょう。
大学自体も自主休校が当たり前であった時代とは随分異なってきております。キャンパスが分かれたり、カリキュラムの多様化、授業時間帯の多様化で、何かに没頭したり、仲間と一緒に一体感を醸成出来るような場面が減少してきているのも事実です。
このような状況に対して、正課・課外の場面で大学は何が出来るか?ということを考えるのが私の立場でもあり、シンポジウムで述べてきたことでもありました。中身は略しますが、要は上記のような要素を決してネガティブに受け止めるべきではなく、変化してきた状況として分析し、大学として(もしくは大人として)どのように学生と接し導いていくのか、ということです。つまりは、 学生の自主性というものを意識して放置する時代ではなく、切っ掛けを与えたり、情報提供や効果 的なアドバイスをしたり、励ましたり評価する等の関与があったほうが良いというもので、大学で は様々な課外プログラムを提供している他、最近までは放置したままであったクラブ・サークルに 関してもむしろそこで育まれる社会性や人間性に着目し、積極的に支援する方向に転換しております。
クラブのことに絞り込んでの大学生を取り巻く私のアドバイスは以下です。
一つは、大学生に対する勝手な幻想を捨てて構えずに丁寧に付き合うことです。教えられることは 出来るだけ教え、伝えられることは出来るだけ伝えるという単純なことはとても大事だと思います。 よく「大学生だけで考えてやり遂げた」というようなことを売り文句にしている企画があったりしま すが、そのこと自体は素晴らしいこととしても、逆に考えれば「大学生だけで」という言葉に過剰な期待を持ってはいないでしょうか?誤解を恐れずに言うと実際に完全に大学生だけでやっている例は非常に稀です。上手くいっている事例はたいてい「大人」がタイミング良く関わったり導いたりしています。何故なら大学生はまだまだ学ぶべき存在であり、学んで成長する存在だからです。
学生側に関しては、いろんな次元がありますのでひと括りには出来ませんが、全般的には「自分たちらしさ」「個性的でなくては」という幻想に拘わりすぎず、むしろ少しだけ謙虚になってみることを勧めたいと思います。自分たちだけでチャレンジする勇気は欲しいところですが、自分たちはまだ 一人前ではないということを前提に、その前にしっかり学び、しっかり聞いて、その通りにしてみる ことも含めてアドバイスを受けるということを勧めます。こういったことの繰り返しがやがて自ずと オリジナリティを生み出しますし、逆に次元を上げられないまま自分らしさにこだわることは、下手 をすると内輪での自己満足を誘発することがあります。それよりもこの機会に総合的に成長していく ことを求めた方が学生らしい輝きに繋がると思うのです。
折しも、高等学校の教育の中でボランティア活動を制度化するという案が提出されておりますが、 かつて私が大学の連合体の中で提案していた大胆な案は「大学5年生論」なるものでした。正規の単位を4年で取得するとすれば、あと一年の時間の中で課外活動か、ボランティア活動か、インターンシップ等、社会とのつながりやトータル能力の向上に寄与することに没頭する時間を与えても良いのではないかと思ったりしたのでしたが、少なくともこの現状の中でクラブ・サークルが学生にとって非常に重要な装置(人間性や社会性を獲得するための…)として機能していることは明らかであり、 むしろ活動を奨励すべき状況にあります。問題は、学生のクラブ・サークル活動について、開けてはならない子供部屋のような状態にするのではなく(意外と簡単なところで悩んでいたりしますので) 、多くのOBOGたち、周囲の大人たちが声をかけ、励ましたり、怒ったり、応援したりしながら関与し、指導していく責務があるような気持ちがしております。
1