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雪と花火 多田武彦 男声合唱作品集


「中勘助の詩から」

これは実に今から20年前(1989年)、私が「同志社グリークラブ」の学生指揮者で あった時の「同志社グリークラブ」の定期演奏会の「ライブ録音」です。私自身思 い入れがあり、一生懸命指揮をした曲がこのタイミングで甦ったことには驚きと感 謝の気持ちで一杯です。少し気恥ずかしさもありますが、当時の学生合唱の仲間の 熱気とこの名曲の存在を少しでも思い出してもらえればと思います。
実は、私の愛読書は高校時代より中勘助の自伝的随筆「銀の匙」でした。「銀の匙」 は引き出しの中の珍しい形の銀の小匙の思い出から始まり、幼い日々の思い出を綴っ たものですが、センチメンタリズムという言葉では片付けられない独創性と比類のな い美しさがあります。子供の世界と子供の心情を細やかにとらえ、何気ない現実の世 界の中に、はっとするような詩的な瞬間を見付けだしています。友禅縮緬の美しい一 片で縫われた女の子のお手玉の描写、そのお手玉を取り合って睦みあう小さな恋人た ちを見詰める視線などは、このうえなく繊細ですし、現実を研ぎ澄ましているうちに いつからか幻想になった・・・、とさえ言えるような不思議な雰囲気も漂います。どこ かで見掛けた風景、どこかで感じた感情、どこかで聞いた話・・・中勘助の詩と文章から は、遠い遠い時間の果てのほうから感性に囁き掛ける声を感じます。その距離感には、 ロマンチックな色付けがあるのではなく、ただ、子供の頃の小さな落書きをそのまま 残しておきたいというような気持ちが、ほのかに香っているだけなのです。

「絵日傘」・・・・・・・・絵日傘を持って遊ぶ子供の情景に襖越しの呼び掛け。
「椿」  ・・・・・・・・・久兵衛さんの家の椿を手毬歌ふうに褒める
「四十雀」・・・・・・・・睦まじい男女の恋と結婚を四十雀に託してやさしく歌い上げる。
「ほほじろの声」・・・ほほじろの声にまどろみ、昔の孤独と今の傷心を抱き締める。
「かもめ」・・・・・・・・・わらべ唄ふう。しかもほんのりとした色気を香らせ。
「ふり売り」・・・・・・・遠い時間の彼方から、記憶の中の一場面の、朧気な蘇り。
「追羽根」・・・・・・・・中勘助の病身の兄嫁に対するいたわりの詩であるが、日常の細
            かなものに対するまなざしと、繊細さ。匂うばかりの季節感

・・・言葉や物腰の柔らかさや美しさ。生活の中でつい見逃してしまうような「風景」 にまなざしを注いだとき、眠っていた感性の蘇りと共に、世界はその扉をそっと開 いてくれるようにも思います。

「雪と花火」「東京景物詩」

こちらは「なにわコラリアーズ」の演奏会からのライブ録音です。「なにわコラリ アーズ」では古今東西の珍しい男声合唱作品や、日本の男声合唱団ではあまり取り 組まれていなかった北欧の作品にチャレンジする一方で、これまでの演奏会の中で は何度か多田作品を取り上げています。そのほとんどが北原白秋の詩であるところ に私の趣味が垣間見えるところではありますが・・・。
明治37年(19歳)東京へと上京した北原白秋は、その後、処女詩集『邪宗門』に続 いて『思ひ出』『東京景物詩』等の作品を残しています。特に後者では郷土や幼少 時代への愛惜と交差するようにして、新しくエキゾチックに彩られながら生まれ変 わる都会の風景の中に官能的で耽美的でもある抒情を感じ取っているようです。… 「あらせいとう」「カステラ」「サモワール」等、選択された言葉からは本来の意 味の現出ではなく、人生の中の最も大切な感情を押し込めたような愛おしさが覗き ます。優雅でダンディな感覚は決して表層のオブジェに留まらず、通奏低音のよう に鳴り響く人妻への秘めたる恋の悩みやその背徳感、人生全体を覆う悲しみと傷み に結びつくようなロマンチシズムの深みを感じさせます。ここに収められた2曲は、 作曲時期こそ異なりますが、北原白秋の美しくも官能的な言葉に寄り添うだけでな く、見事な情緒性と物語性を漂わせた多田武彦の真骨頂ともいうべき2作品だと思 います。
…ちなみに、白秋はこの詩集の後、知られた通りの姦通罪で拘置され、世間の非難 と罪の意識を背負って錯乱状態のまま木更津に渡ることになり、やがて大正2年に は俊子と正式に結婚。新生を求め三崎へ移住します。(なにわコラリアーズ「三崎 のうた」CD)

〜東京景物詩〜

「あらせいとう」
あらせいとうのたねを取る子どものしぐさを見つめながら流す涙の向こうに赤い夕日。

「カステラ」
カステラの甘さとしぶさ。ほろほろとこぼれる様子から連想する幼年期への愛惜と涙 との対比。恋することの切なさ、苦さ。

「八月のあひびき」
ふと仰ぎ見る八月の空虚な瞬間。不幸な人妻に同情し、やがて恋をしてしまった白秋 はその思いを振り切ることが出来ず、スロープを滑り落ちるように背徳的な人生の深 みにはまってゆく。恋愛の「光と影」とその混迷に、生きること自体に根ざした傷が 疼く。

「初秋の夜」
嵐が去った夜。稲妻がまだ幽かに聞こえ、十六夜の月、虫の音、孤独感。

「冬の夜の物語」
表面的には何も起こらないのに内側では秘めたる恋情の炎が官能的なまでになまめかし く燃え上がる…。男に寄り添う女、ゆっくりとうなづく女。湯気をあげるサモワール。 そして、女の愛に応える男。窓の外は音もなく降り積もる雪、やがて雨。…ゆっくりと した時間の推移の中に濃密な吐息を漂わせた(まるで映画のような)視線の切り返しと、 俯瞰し見守るようなやさしい眼差し。悲しくも美しい物語にやがて時間と世界がゆっく りと寄り添う。

「夜ふる雪」
降りしきる雪と揺れ動く白秋の心。雪降る夜の闇の中に辛くも一人遠ざかってゆく。

〜雪と花火〜

「片恋」
アカシアがたそがれの夕日に照らされて金色と赤色に散る。やわらかな君の吐息。

「彼岸花」
彼岸花は女性。人妻との恋愛に耽溺していく白秋の心象。

「芥子」
芥子の葉は世間の例え。世間との断絶感や自身の孤独感を歌う。

「花火」
隅田川、両国橋に掛かる花火と頬に流れる涙。遠ざかり消えていく両者の距離感。 銀と緑に散る孔雀玉、恋愛の体温を感じさせる涙、・・・花火は男女の情愛の極みで あるとともに、手を伸ばしても手に入れられない遠い日の象徴のよう。

・・・白秋の詩歌は綺麗ごとや絵空ごとではなく、生きていくことの苦悩や哀歓に溢れ、 血や涙のような強い叙情が滲んでいるように思います。

2007年8月発売
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