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21世紀におけるコンクールの開催方式と合唱連盟の取り組みについて

●はじめに

戦後日本の合唱界の中で「コンクール」の果たしてきた役割は非常に大きく、日 本の合唱界全体はコンクールという目標とシステムによって急速な発展を見せて きたと言える。コンクール形式のメリットについて考えてみたい。

1.批評されるというシステムを通して技術向上の為の具体的な方向性が得られる。
2.競い合うというシステムが克己心やモチベーションを刺激し、レベルアップに繋がる。
3.課題曲によって古今の名曲を共通的に経験することが出来る。
4.自由曲にいうシステムによって曲の鑑識眼が鍛えられ、バラエティ豊かな曲が発表される。
5.全国の支部の回り持ち開催であるというシステムによって、全国の合唱団に高いレベルの
  演奏を聞く機会を与えることが出来る。

この形式を利用しながら発展してきた「コンクール」が日本の合唱界の現状を切り開いてきたも のと信じる。しかしながら、人数や時間についてのマイナーチェンジはともかく、大きな変化の 伴わないまま継続してきたこのコンクール形式が、そのことによっていくつものデメリットを生 じさせ、合唱を取り巻く環境の変化と微妙なズレを生じさせてきている事実も無視できない。

1.審査員を相手とし、ミスのない演奏を目指すあまり、観客不在(感動不在)の側面が出て
  しまう。
2.音楽はスポーツと異なり、そもそも競い合いを目的としていない。そのことに気付いてい
  る大人の合唱人に対する説得力が弱いため、有力団体がコンクールの場から去る。
3.異なるジャンル(ルネッサンスと現代曲、児童合唱と大人の合唱)を同一基準で評価する
  ことが、合唱音楽を平板なものに見せてしまう。
4.課題曲の選択がコンクールを窮屈なものにする。
5.自由曲は「演奏効果」の高い選曲を中心とせざるを得なくなる。
6.コンクールに割く時間が長く、コンクールがあることによる「思考停止」があるため、有
  力団体であるほど新たな取り組みに対するエネルギーが生じない。

以上は、あくまでも「一長一短」や「功罪」という立体的理解によって解釈されるべきポイントで あって、必ずしも全否定されるようなことではない。しかしながら、「コンクール」そのものの問 題点ではなく、「合唱連盟がコンクールにウェイトを掛け過ぎることによって、他に生じてきてい る根本的な課題対応に手が回らない」という点を指摘してみたい。つまり、今日はコンクールを誠 実に開催していくことが合唱界全体をリードし好転させてきた時代とは明らかに異なる状況を抱え ている。その背景に目を配り、コンクールそのものを改革するか、コンクール以外の取り組みを強 化して根本的課題と向き合うことが必要ではないかと考えるのである。

●合唱界を取り巻く課題

○合唱人口の減少
○合唱人口の高齢化
○合唱レベルの二極化

戦後日本の合唱界がモダニズムにおける三つの装置「企業=職場の合唱」「それを支える専業主婦 =お母さんコーラス」「克己心の訓練とも言うべき、受験を軸とした中等教育=コンクールを軸と した中高校生の合唱」によって支えられてきた側面があることを考えると、合唱界の発展構造は社 会構造と一定度パラレルであったことが理解出来る。時代や生活様式や考え方が推移し、モダニズ ムの装置が変貌しつつある今こそ、社会システムを視野に入れた合唱界の構造改革を意識しなくて はならないように思う。

●グローバリズムの中での日本の合唱

昨夏、日本では第7回世界合唱シンポジウムが開催された。躍動感やレベルの高さだけでなく、民 族による生活観や宗教観がにじみ出て、合唱の多様性と奥行きを示す世界的イベントの中に日本の 合唱が見失いがちであった数々の課題と指針が見えたようにも思う。

○キリスト教文化を基盤としない我々の生活の中において、「何のために歌うのか」という 命題を意識すること、それと向き合うこと

「歌のオリジンに位置する文化と向き合うこと」「結果でなく広がりを求めること」…、あるいは 「初等教育における音楽や合唱」「遊びと歌」「家族と歌」「仲間と歌」「地域と歌」「民族と歌」 「音楽会と生活の垣根を低くすること」「人前で表現し、コミュニケーションを取り結ぶというこ と」「耳を傾けあい、違いを尊重し認め合い受け入れあうということ」…、これらのテーマに向き 合うことは、合唱をより本質的で普遍的な文化的基盤に位置づけることでもある。しかしながら現 状はどうであろうか?下記のような根本的な問題を抱えたままではないだろうか?

 ・子供の遊びの中に歌がない。祭儀や季節感と共に生ずる情感を歌で分かち合う場面が
  決定的に減少してきている。
 ・学校教育の中で音楽の授業時間数が激減している。しかも器楽合奏中心である。
 ・合唱をやっていない人が演奏会へ足を運ぶことが少なく、合唱祭が満員になることが
  少ない。
 ・音楽ジャンルの中で合唱は確固たる位置付けを得ていない(と思える)
 ・中高の合唱にハイレベルな団体が存在する一方、まともに合唱を教えられない教員が
  顧問をしているケースの方が圧倒的に多い。
 ・中高でハイレベルな合唱を経験した者は、学生指揮者中心の大学合唱では満足出来ず、
  以後合唱から遠ざかってしまうケースの方が多い。
 ・多忙な30〜40代は練習参加がままならず、結果合唱から遠ざかる。

●コンクールについて

 もちろん、競争をしない運動会が運動会ではないように、評価や順位付けのないコンクールはコン  クールではない。コンクールそのものの構造には利点も欠点もあり(むしろ欠点より利点のほうが  多いと感じる)、決して一概に否定されるものではないことは明らかである。ただし、現状のコン  クール形式の中で一部の人だけがステージ上でテクニックを競い合っても上記のような合唱界が抱  える根本的問題の解決にはならず、合唱文化の成熟とは程遠いのではないかと思う。「合唱連盟が  合唱について考えるということ」は、合唱の位置づけやそれを取り巻く社会構造にも思いを馳せ、  関与するということでもあり、コンクールが全日本合唱連盟及びその支部組織の最大の行事である  ならば、それらの現象を環境面から理解して変革しなくては合唱界の抜本的構造は変わらない。
 つまりコンクール改革をするならば決して、人数枠等のマイナーチェンジや、ジャンルの融合とい  う現実的な対処法だけではなく、上記のような抜本的問題に向き合い、理念や夢、企画の必然性か  ら洗い直していくべきものであると考える。

●コンクールについての具体案<サンプル>

さて、肝要なことは上記のような事情を共通的に認識し理解することであって、コンクール改革につ いては合唱界の方向性や音楽の本質と向き合いながら多様なアイデアが出されて議論されるべきであ ろう。以下はサンプルとしての一つのアイデアであり、固執するものではない。

一般の部

□コンクール一般の部については、隔年開催、及びテーマ別開催とする。(中高大は毎年)
 (例:ルネッサンスバロック、ロマン派、フォークロアのアレンジ、邦人作品等)
 というように、毎回コンクールの形式やジャンルを工夫して開催する。

 →コンクール志向の有力団体でも隔年開催することによりコンクールのない年は、演奏
  活動や啓発活動等や新たなイベント展開へ意識を傾けることが出来る。コンクール外
  (集客のある演奏会、委嘱活動、施設への慰問演奏、学校での音楽鑑賞会への出演、
  演奏旅行など・・・)の活動で合唱界の活性化や裾野を広げる活動に気持ちが向けられる
  構造となる。
 →テーマ別開催をすることにより、音楽のジャンルやアプローチの多様性を理解する。
  (ワークショップのテーマ等と連動させることも考えられる。コンクール曲を取り上げ
  るのではなく、ロマン派部門で開催する年は、ロマン派曲目への興味を促進したりアプ
  ローチの手法を理解することが出来る等)

□開催の年はフェスティバル形式とし、前夜祭、後夜祭を開催出来る日程を組む。
□研修会等も行ない、「集い、歌い、聴き、学び、分かち合う」場として機能させる。
 →フェスティバル形式にすることにより、出演者の交流はもちろん、別の地方からフェス
  ティバルを聴きに来る人(勉強に来る人)たちが増える。「楽しい」という印象を与える。

□海外もしくは国内から団体を招聘し、招待演奏、交流会への出演をしてもらう。
 →招待団体の演奏等を聞くことによって、コンクールのトップが全てであるかのような
 「井の中の蛙」構造を防ぎ、「憧れ」構造を創出する。

その他部門

□<中高の合唱団>モチベーションの確保という意味では現状のコンクールへの取り組み
は有効である。ただし難曲の委嘱が増える等の過熱はかえって将来の合唱への意欲を削ぐ。
選曲の誘導や開催形式の中にイベント性を設けたり、音楽の多様性に対するイメージが持て
るようにする工夫が必要。レベルの二極化は別途検討。

□<大学の合唱団>社会的な現象として大学生の組織としての質的低下が著しい。現状
の閉塞感を打破し活動自体をスケールアップするにはむしろはっきりとした評価のあるコン
クールの奨励が有効であると考えられる。その為に賞金や大学生同士の交流の場を設けるこ
と等、具体的なモチベーションを創出して学生の意欲を掻き立てる工夫が必要。

●コンクール以外の合唱連盟の取り組みについて

□学校教育の音楽の時間数減等に対応して、地域の合唱連盟が指導人派遣することにより、  初中等教育における音楽(歌)ジャンルカバーしていくというプロジェクトを発足させる。
 →指導陣を派遣しての「放課後のうたの時間」「音楽クラブの指導」「クラス合唱の指導」
  (学校土休制に伴い、土曜塾や教育ボランティア制度、地域ぐるみで学校教育を支える組
  織等、小学校の中に民間力を導入した例が目立ってきています)
 
□地域の合唱連盟が合唱団、もしくは個人メンバーと指揮者をストックしておき、学校の音楽
鑑賞会や児童館、社会福祉施設や老人センターの訪問、派遣の仲介をするというプロジェクト
を発足させる。
 →合唱祭等で共通レパートリーを蓄えておき、連盟が事務を請け負い、その日時に都合のつ     く合唱人を集めて地域の文化活動に貢献していく

□教育行政と結びついた指導者講習会等の強化促進。
□わらべうた、唱歌、誰もが歌える歌(人が集まれば歌える共通のうた)の楽譜作り。季節の
 行事の中で、歌を歌うことを普及促進していく社会的活動。
□海外からハイレベルな合唱団を招聘し、各地の合唱団とのジョイントさせるなどして交流を
 含め各地域に良いものを提供していく仲介プロジェクト。

●まとめ

 コンクールについては二元論ではなく、功罪のポイントを認識し、過熱構造を持つ中高については より楽しめる立体的な構造を意識・・・、かつてのような自主性を持ち得ない大学についてはより 明確なモチベーションを与え他者評価を意識することによって「皆で努力して得る達成感」をコン クールの効用として利用・・・、一般のコンクールについては、より本質的な音楽への理解と広がり ある音楽への取り組みを意識し、むしろコンクールに縛られない活動を促進すること・・・、が合唱 を文化として根付かせていく為に必要な合唱連盟の指針であると(私は)考える。
その為に、例えば一般の部の隔年開催というリードをすることにより、音楽や活動の取り組みに幅 と個性を持たせ、コンクール外の取り組みへの協力と努力を促進出来る環境を整えることも一つの アイデアなのではないかと感じている。
 しかしながら、むしろ、どのように改革してもコンクール全国大会そのものが砂上の楼閣とならぬ ような21世紀を俯瞰した根本的取り組みの必要性を感じるものである。それには上記のような根 本的課題を合唱連盟として認識するところからスタートし、連盟自体の「社会的存在」としての使 命感、「アソシエーション」「ユニオン」としての機能・メリットを意識した広がりある活動に注 力していくべきではないかと考えるのである。

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