200本の映画を選出する試み - 3
零れ落ちている愛すべき小品たちを掻き集める。
犬の生活 |
チャールズ・チャップリン |
1918 |
キッド |
チャールズ・チャップリン |
1921 |
サーカス |
チャールズ・チャップリン |
1928 |
そして、取りあえずのとどめとして、実は最初の10本に入れるべき作品
であるのだが、あえて他の作品から独立させることで一際その思い出を大
切にしたいという愛すべき作品2本。
「戦争は僕らの長い夏休みだった」・・という言葉に現れない述懐と、暖炉
のついた寝床のぬくもりが忘れられない永遠の傑作。
映画の美しさと人間の怖さと弱さと愛しさがほとばしるように詰め込まれた奇跡の大傑作
…それからついでに、実はこんな素敵な作品にであったという記憶をと
どめておきたいたいという佳品。
萌の朱雀 |
河瀬直美 |
1997 |
夢見るように眠りたい |
林海象 |
1986 |
廃市 |
大林信彦 |
1983 |
そういえばこの監督の作品を書き漏らしていたということに気付く。
そこで10本
恋人たち |
ルイ・マル |
1958 |
いとこ同志 |
クロード・シャブロル |
1959 |
ぼくの伯父さん |
ジャック・タチ |
1958 |
カオス・シチリア物語 |
タヴィアーニ兄弟 |
1984 |
アポロンの地獄 |
ピエロ・パオロ・パゾリーニ |
1967 |
密告 |
アンリ・ジョルジュ・クルーゾー |
1943 |
灰とダイヤモンド |
アンジェイ・ワイダ |
1957 |
ツィゴイネル・ワイゼン |
鈴木清順 |
1980 |
飢餓海峡 |
内田吐夢 |
1965 |
王将 |
伊藤大輔 |
1948 |
素晴らしき哉、人生 |
フランク・キャプラ |
1946 |
いやいや、まあこれにもたまには一票投じておいてもいいんじゃないかという作品
芙蓉鎮 |
謝晋 |
1987 |
ブリキの太鼓 |
フォルカー・シュレンドルフ |
1979 |
予告された殺人の記録 |
フランチェスコ・ロージー |
1987 |
雨の中の女 |
フランシス・コッポラ |
1969 |
アニー・ホール |
ウッディ・アレン |
1977 |
幸福 |
アニュス・ヴァルダ |
1965 |
ミモザ館 |
ジャック・フェデー |
1935 |
山の焚火 |
フレディ・M・ムーラー |
1985 |
泥の河 |
小栗康平 |
1981 |
田園に死す |
寺山修司 |
1974 |
バンド・ワゴン |
ヴィンセント・ミノリ |
1953 |
シュレンドルフは奇跡的な傑作を作ったが才気に溢れているとはいいがたい。アレンは
基本的に嫌いだ。しかし、まあこの作品一本だけなら悪くはないのではないか。コッポ
ラは素直なこの作品がベストではないかと思う。
<痛快映画傑作十選> |
生きるべきか死ぬべきか |
エルンスト・ルビッチ |
1942 |
リバティ・バランスを撃った男 |
ジョン・フォード |
1962 |
リオ・ブラボー |
ハウアド・ホークス |
1955 |
北北西に進路を取れ |
アルフレッド・ヒッチコック |
1959 |
殺人カメラ |
ロベルト・ロッセリーニ |
1948 |
黄金 |
ジョン・ヒューストン |
1948 |
用心棒 |
黒澤明 |
1961 |
幕末太陽伝 |
川島雄三 |
1957 |
<サスペンス十選> |
誘拐魔 |
ダグラス・サーク |
1947 |
穴 |
ジャック・ベッケル |
1960 |
抵抗 |
ロベール・ブレッソン |
1956 |
十字路の夜 |
ジャン・ルノワール |
1932 |
ナチス大追跡 |
オーソン・ウェルズ |
1946 |
飾り窓の女 |
フリッツ・ラング |
1960 |
見知らぬ乗客 |
アルフレッド・ヒッチコック |
1951 |
三つ数えろ |
ハウアド・ホークス |
1946 |
天国と地獄 |
黒澤明 |
1963 |
必ずしもその監督のキャリアを代表するものとはいえないが、
少し感傷的になりながら擁護したくなる十本の傑作
楊貴妃 |
溝口健二 |
1955 |
東京暮色 |
小津安二郎 |
1957 |
まわり道 |
ヴィム・ヴェンダース |
1974 |
捕らえたれた伍長 |
ジャン・ルノワール |
1961 |
そして船は行く |
フェデリコ・フェリーニ |
1983 |
不良少女モニカ |
イングマール・ベルイマン |
1952 |
熊座の淡き星影 |
ルキノ・ヴィスコンティ |
1982 |
やさしい女 |
ロベール・ブレッソン |
1969 |
ああ結婚 |
ヴィットリオ・デ・シーカ |
1964 |
書かれた顔 |
ダニエル・シュミット |
1995 |
擁護すべき作品5つ。そして、たいした作品ではないかもしれず、
また、その名をだすのも気恥ずかしい気もするのに実はやっぱり好きだという作品
太陽がいっぱい |
ルネ・クレマン |
1960 |
野菊の如き君なりき |
木下恵介 |
1955 |
シベールの日曜日 |
セルジュ・ブルギニョン |
1962 |
シェルブールの雨傘 |
ジャック・ドゥミ |
1964 |
心の旅路 |
マービン・ルロイ |
1942 |
誓いの休暇 |
グレゴリー・チュフライ |
1959 |
旅路の果て |
ジュリアン・デュヴィヴィエ |
1939 |
ロミオとジュリエット |
フランコ・ゼフィレッリ |
1968 |
ブーベの恋人 |
ルイジ・コメンチーニ |
1963 |
我ら人生最良の年 |
ウィリアム・ワイラー |
1946 |
また遭う日まで |
今井正 |
1950 |
砂の器 |
野村芳太郎 |
1974 |
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「太陽がいっぱい」の哀しい魚市場の場面。水鏡のような「野菊」の映像。
かつて好きだったロマン・ロランの見事な翻案。水墨画のような森の中の映像。
「シェルブール」はどうしようもなくつまらないと思いながら我慢しているうち、
最後のミニチュアセットのようなクリスマスのシーンにしっかり泣かされてしま
っていた。
最後にどさくさに紛れて潜りこます。
神の伝道師フランチェスコ |
ロベルト・ロッセリーニ |
1950 |
オーソンウェエルズのフェイク |
オーソン・ウェルズ |
1974 |
自由の幻想 |
ルイス・ブニュエル |
1974 |
乱 |
黒澤明 |
1985 |
さすらいの二人 |
ミケランジェロ・アントニオーニ |
1974 |
山猫 |
ルキノ・ヴィスコンティ |
1964 |
二四時間の情事 |
アラン・レネ |
1959 |
柔らかい肌 |
フランソワ・トリュフォー |
1963 |
モード家の一夜 |
エリック・ロメール |
1968 |
ハリーの災難 |
アルフレッド・ヒッチコック |
1955 |
カルメンという名の女 |
ジャン・リュック・ゴダール |
1983 |
東京画 |
ヴィム・ヴェンダース |
1985 |
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〜・〜 映画の事を考えると、夢のような時間と空間が溢れ出してくる。
足しげく映画を見に大阪に通ったころ、決して無茶な本数をこなしたり、あるいはまた誰と
語るということもなかったのだが、そのメディアの持つ不思議な魅力に引き込まれていた。
いや、まさにその魅力は映画館の暗闇そのものにあったのではないかと思う。映画は光の芸
術である以前に暗闇の芸術であると確信しながら、長い間思い出したように映画を見ては、
評論らしい評論を書くこともなく溜め息を漏らしつづけていた。
それにしても、白紙の紙を前にした時、どうしてもいろいろな思いや記憶が洪水のようにな
って溢れ出してくるのを感じる。結局は白紙のままにしておいて紙切れが風にさらわれてし
まうのを待ってる方がいいのかとも思うが、せめて記憶に深く残るタイトルを列記すること
によって、紙をイメージで賑わしてやろうという考えに至ったとき、自分の小さな手帳の中
の消えかかった鉛筆の文字を拾い出してみて、映画がその場の空気と共に記憶に残っている
ことを確認した。
よくタイトルをあげることによって面倒なコミュニケーションの手筈を潜り抜けてしまう。
「ノスタルジア」と出さずに「鏡」と出したところが自分であるし、それをなるほどという
まなざしで受け止めてもらうことほど幸福なことはない。つまり、作品を愛する感情は、人
の内面と深い部分で繋がっているのだと言いたい。僕の心の奥底で響いているのはやはりコ
クトーのささやきであり、「鏡」の風景である。そういったものを心からすくいとったときに
改めて自己の本質を突き付けられる気がする。自分の物でもない作品に取り囲まれている至
福とは、それを愛する気持ちが何の飾りも無い自分の本質に他ならないからだろう。
こう書いてしまうと大袈裟なようだが、いささか混乱し出した頭と、締め付けられるような
印象の集積を胸に持ち続けることの苦しさから一時的に少しだけ解放される事を願って、い
や、あるいは、個人的な記憶の整理のために、思い付くタイトルを吐き出し、パズルのよう
に並べかえてみただけのことである。ささやかな遊び心とでもいうのだろうか。
1989 11 初校
1998 2 28 改訂
・・1989年の11月。ベルリンの壁が崩壊した日に生まれた雑誌[耳]
の創刊号のために寄せた文章より若干の修正を加えて抜粋。
タイトルの中身についてはその後観た映画を含め、入れ替えを行った。
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