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シューベルトの合唱作品

【憧れの人:シューベルト】
個人的なことではありますが、私がものごころついた頃の愛唱曲は「シューベルトの野ばら」 でした。シューベルトの曲を歌うウィーン少年合唱団に憧れたり、小学校の図書室では真っ先 に尊敬するシューベルトの伝記を借りて何度も読んでいたように思います。少年の心にもシュ ーベルトのピュアな音楽と人柄が真っ直ぐに入っていたのだと思います。

【歌の人:シューベルト】
歌曲の作り手として知られるシューベルトですが、合唱曲も数多く残しています。ラテン語 (もしくはドイツ語の典礼文)による宗教曲に関しては、しばしば自由にテキストに手を加 えたり、順番を入れ替えて作曲していることで様々な議論がなされていますが、いずれも格 式や厳粛性とは異なる温かさにシューベルトの特徴が出ているように思います。しかし、何 より、シューベルトの合唱曲の真骨頂は歌曲の場合と同じく多数のゲーテやシラー等のドイ ツ語 (母語)に付けられた芸術的(抒情的)作品の数々ではないでしょうか?混声合唱作 品も存在しますが、男声合唱作品に傑作が多いのはこの時期の特徴でしょうか。ドイツを中 心にしたヨーロッパでのリーダーターフェル運動が興こるのはその直後の時代だと思います ので、男声曲の名曲の多さは、そこで(死後)シューベルトの曲が多数反復されて歌い継が れてきたことの証なのでしょう。ときに感傷的部分もありますが、親しみ易く穏かさの中に も深い味わいを持った作品が多いです。作曲された時代を考えると、音楽の中身の方向性は ロマン派的ですが、様式は古 典派的な立場を備えながら、情に溺れすぎない品性を保って いるのが特徴だと言えるでしょうか。酒や恋、自然のようなテーマについての曲がたくさん あります。いずれも過剰になることなく、率直な心情や細やかな表情を出すことが肝要です。

【ドイツ語を歌うということ】
一般的にはシューベルトの合唱 作品は、いざ演奏するとなると、かなり難易度が高く、 最近はあまり聞かれなくなってきているようにも思います。理由の一つはその名曲の大半が、 ドイツ語の繊細な表情に依拠しており、「言葉が多い」ことにもあるように思います。そも そもドイツ語の曲全般が日本ではかつてほど歌われなくなってしまっていますが、(声楽の プロフェッショナルはともかく)大袈裟な言い方をすれば、それはグローバル化の中で日本 の高等 教育や文化芸術におけるドイツの影響がかつてよりは相対的に低下しているというこ とでもあるのかもしれません。(例えば、最近大学生と一緒にドイツ語の曲を演奏するにあ たって念のために第二外国語の履修状況を聞いてみると、圧倒的に中国語かハングルを履修 していることに気付きます。)
合唱の傾向を見ても「言語に依拠した深い(ロマン派的)表現」より「サウンド志向」とも 言える「現代風の音楽」に関心が移っているように思いますし、ドイツ語曲より、東欧や 北欧圏の作品、最近ではアメリカやアジアの作品を目にするようになってきています。また 日本人が言語を発音するときに、ドイツ語より実はフィンランド語やエストニア語の(東方 言語とも呼ばれる)ほうが発語しやすいということも言われます。

【シューベルトの典雅さ】
それでも、例えばブラームスはコンクールのようなシビアな場面においてはまだ歌われるの です。例えば、ブラームスには多くの分析に耐え得る構築性があったり、人生の哀歓を大き なジェスチャーで熱く歌い、強い意志とそれを裏付ける技法が表現を支えていると思えます。 シューベルトの場合は、シューベルティアードに象徴されるように、リートや重唱という表 現形式の延長線上に合唱のフォルムや発表形態 が想定されているようにも思え、身近な情 感に近いものが表現される必要があるように思います。極度の緊張と弛緩ではなく、やりす ぎない節度や優美さ、分析や評論を寄せ付けないモーツァルト的な天衣無縫さがあるのかも しれません。

【思い出の曲:Die Nacht】
私の思い出の曲は例えば男声合 唱作 品Die Nachtです。この曲は「なにわコラリアーズ」 で宝塚国際 室内合唱コンクールの20回記念大会グランプリを獲得したときに、外国の審査 員や合唱団にも 評価していただけました。実は、まだ若い頃に、その曲についての畑中良 輔先生の指導やその成果物(音源)の分析を行っており、自分の合唱団に対しては、共に研 究しながら息の吸わせ方と運び方と溜め方、繋ぎ方を反復練習した記憶があります。繊細さ と典雅さ、拍節的なもの を緩やかに意識させながらも過度でない表情、囁くような言葉の 揺らぎが、男声合唱に相応しいソフトで温かな音楽を紡いでくれます。他にもたくさんの 名曲がありますが、リート歌手よろしく繊細な表情を持ったドイツ語をものにすることが 必要なのでしょう。その困難ポイントを乗り越えると、比類なく美しい歌の世界を体験出 来ることは間違いありません。

【「美しき水車小屋の娘」が合唱曲に!】
最近の話題を一つ。作曲家の千原英喜先生からの依頼を受けて、日本語による混声合唱作品 にするために「美しき水車小屋の娘」の(日本語版)を作ってみたのですが、改めてシュー ベルトの曲がドイツ語の素朴な表情による「歌」であることを思い知らされました。シュー ベルトの合唱作品は、その構築性の以前に「言葉から紡ぎだされたうた」なのですね。この あたりがシューベルトの魅力であり、実際に演奏することの難しさでもあろうかと思います。 ちなみにこの驚くべき(日本語による)「美しき水車小屋の娘」は、千原先生の手により、 楽しく愉快なアレンジになっていますので シューベルトの入門には最適かもしれません。 来年の春、大阪で演奏(公募合唱)してみますので、ぜひお楽しみに。(→)。

ハンナ 2015年1月号に掲載
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