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「リアの物語」演奏評

■「リアの物語」
原作:ウィリアムシェークスピア
翻案オペラ台本:鈴木忠志
作曲・音楽監督:細川俊夫
演出:ルーカ・ヴェッジェッティ
指揮:川瀬賢太郎
管弦楽:広島交響楽団
会場:1月30日アス テールプラザ能舞台(広島)

「リアの物語」では細川俊夫の卓越した音楽とそのVisionにシンプルな深み を持って寄り添ったヴェッジェッティの演出が「能舞台」という場で融合 し完成されていた。そしてこの方法論が日本的特性を生かした室内オペラ的 なものの一様式としてさらに転 開していく可能性すら感じさせるものでも あった。
そもそも「リア王」であるが、シェークスピアの中でも運命や宿命という 演劇的仕掛けでなく人間の本質的なもののぶつかり合いから世界の崩壊に も繋がる裂け目の広がりを描き出すという(ある意味ドストエフスキー的な) 内容を持つ。細川俊夫の音楽は、人間の内奥の精神性が奏でる鼓動と狂気を 宇宙の胎動とも言えるリズムとの対立や浸食で示し、他方で嵐の荒野の中で も迸りを見せる親子の情愛や神の慈愛のようなものを、幾層にも纏った音色 や震えのうちに滲ませていく。
一般的に西欧的なものがある種の明瞭な動機や調性を軸 に歌と大きな身振り を持ってドラマツルギーを推進させていくのに対し、日本的なものとは最小 限の所作により無限大の情緒と矛盾する概念を 同時に表出出来る可能性を 持つように思う。今回の演奏では、能舞台そのものの持つ宇宙観や死生観の 中に、所作や身振りが舞踏的なものとして昇華し、歌や声が人間の魂の往来 を表出させている。その意味においても、「シェイクスピア」や「能」の精 神性の本質に根差し、高次に再構築されていると言える。また、真に古典的 なものとは人間の奥底に潜む情動と生死を軸とした内的宇宙の繋がりを扱っ てるゆえ、必ず時空を越えて「現在の我々」を照射するものとなり得るが、 古典のテキストと様式に根を持ったこの演奏が本当に素晴らしいものであった 理由は、これが遠い時代の絵空事ではなく、「今に生きる私たちの魂を奥底 から揺さぶるものであった」ことにも尽きる。
指揮者の川瀬賢太郎によって纏められた演奏は、真摯な姿勢と理解、的確な クオリティを保ちながらチームとして機能し、懸命に彷徨うリアを中心に、 去来する夢魔的なイメージから父子の邂逅に至るまで、生死を行きつ戻りつ する魂の循環を見事に表現していた。このような意義ある取組みを行ってい る主催「広島オペラ・音楽推進委員会」にも敬意を表したい。

ハンナ 2015年3月号に掲載
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