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多田作品の美意識

「もし多田武彦がいなければ、日本の男声合唱はここまで盛り上がらなかったのではないだろうか……」とよく考えます。「多田作品」の神髄は詩の選択眼であり、音楽と取り組むことが「人生を反映させた抒情詩」と格闘することと同義になることから、青年たちの崇高なジャンルに成り得てきたのではないでしょうか。特に日本の合唱界は(ほぼ男性しかいなかった時代の)大学において編成された合唱団(つまり男声合唱団)によって、その発展が担われてきた側面がありますが、そこに文学的内容を含むレパートリーを提供してきたことにより、「うんちく好きで悩める青年たちの」格好の取り組み題材になってきたようにも思います。しかしながらその分、思い入れ過多、もしくはオールドボーイにとってのノスタルジーの対象になりやすかったのも事実でしょう。

北欧の曲をレパートリーの中心に据えていた「なにわコラリアーズ」が、コンクール活動を止めるとともに"多田作品だけを集めた"「ただたけだけコンサート」(現在2018年1月のvol.5まで進行中)を始めたのは、そんな多田作品をある程度まとめて研究し、声楽技術とオーソドックスな音楽観を持ち込みながら新鮮な音楽作りをしてみたかったからでもあります。

多田先生は、実は映画監督を志された時期があったということで、私と「なにわコラリアーズ」の演奏をよく映画に例えて評価してくださっていました。フレーズや段落ごとにシークエンスを感じ、細部にもアングルやカット、カメラワークのようなものの意図がある……と、よく仰ってくださいました。実は私も大学時代に映画芸術を学んでいた経緯があり、共通のボキャブラリーの中で芸術談義をしていたことが思い出されます。「なにわコラリアーズ」でCDにして出させてもらったものは全て「友人に配るから」と、たくさんご購入されていたようです。定期的に長いお電話を頂きました。山田耕筰先生や清水修先生の話、カールベームとウィーンフィルの話……(いくつかの話は重複、反復)をはじめ、たくさんのことを教えていただきました。

そして最晩年には、私が「みなづきみのり」という筆名で作詞活動をしていることを嗅ぎつけられ、「他にも書いてるでしょう、ぜひ見せなさい」と言われたので慌てて詩を書きためたノートを提出いたしました。すると「頂いた詩は、ほとんど曲にできる。中でも12の月の詩が気に入ったので、ぜひ曲を付けたい」と言ってくださり、それが多田先生史上例を見ない全12曲の組曲『京洛の四季』(カワイ出版刊)となったのでした。

詩の選択眼という話からすると拙作についてはお恥ずかしい限りですが、恐らくさまざまなやり取りから、多田先生が最も大切にされていたのは「春夏秋冬」、「花鳥風月」、「喜怒哀楽」……そして、様式としての「起承転結」であったものと思われます。ある種の品性を保った情緒性と、様式感を伴った美意識が多田作品の中心ではないでしょうか。一度見た美しい角度のお辞儀姿や、ご自身の死に際しても年末年始に御迷惑をかけないようにと隠されていたことからも、謙虚で筋道の通った生き方、お人柄がしのばれます。

多田先生はもちろん作品の中に生きておられます。多くの青年たちが多田作品と出合い、まずは「うんちくを語ろうが、思い入れ過多になろうが」必死で表現と格闘してくれることを願っています。

ハンナ 2018年3月号に掲載
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