花と鳥と金魚
我が家には休みの日の「朝の音」とでもいうものがありました。子供部屋
は庭に面した二階でしたが、そもそも京都の西の端に位置し、仁和寺や御
室八十八カ所のそばでしたから、自然が程よく残っており、いつも雉鳩や
鳥のさえずりが聞こえる長閑で静かな日曜の朝でした。しかし夢うつつの
中で心地良い朝の声を聞いていると、いつもそれは庭や物置きを行き来す
るような音、戸を開け閉めしながら庭の砂利を踏みしめる物音に変わって
いくのでした。物音は慌しさを増し、そのうち必ず父親が大声で母親を呼
ぶ声が何度も聞こえてくるので、私などもすっかり目が覚めて起こされて
しまうのでした。「たまの日曜日の朝寝坊」などという習慣は我が家には
なく、少なくとも父親に関しては、予定がある時もない時も早朝から大き
な音を立てて慌しく「庭の土いじり」をしているのでした。
父は花だけではなく小動物(愛玩)が好きでした。犬は私が生まれる以前 から何匹か飼っており、犬が飼えなくなっても、ある年の兄の誕生日にセ キセイインコのつがい連れて帰ってきて、そのまま2代3代手乗りにして 室内で飼いならしたことがありました。池の金魚はずっと絶えることなく (私が餌やりの担当)おりましたし、捕ってきたカブトムシをごっそり幼 虫から孵していたことがありました。中でも鈴虫は20年以上の長きに わたって毎年卵を孵し育てていたように思います。夏から秋にかけて我が 家にはたくさんの鈴虫が水槽や特別の入れ物の中で鳴いており、鈴虫の声 の具合で季節の移り変わりを感じることが出来ました。その時期は夕食後 にたくさんの鈴虫の鳴く縁側で父親と将棋を指すことが私の大好きな時間 でもありました。
子供たちに小さな生命を世話することや季節感を学ばせたいというのが父
親の思いだったようです。ただ、先にも書いたとおり、どちらかというと
父親自身は大変な「世話下手」で、過剰に可愛がったり、必要以上に心配
して手をかけたり、しかもどんどん人を巻き込んでいくので、周囲は時に
うんざりすることもあるのでした。きっと人に対しても同じようなことで
あったのではないかと想像します。ただ、その裏には他者や小さなものに
対する大きな愛情があったことだけは間違いがないと思いますが…。
P.S. 全国手話通訳問題研究会の機関紙 より
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