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 セギッツィ国際合唱コンクール

19−02 2019.9.07

コミュニケーションと英語に難があり、また体調に神経質なためにあまり海外志向がなかった私ですが、考えてみると海外に「演奏旅行」をした回数はけっこう多くなっており、大学時代の1ケ月に渡るヨーロッパ演奏旅行を除いても「アメリカ(ボストン)」「カナダ(バンクーバー)」「シンガポール」「台湾(台北)」「韓国(ソウル)」「マレーシア」「中国(上海)」「ポーランド(ワルシャワ、グダニスク)」「ブルガリア(ソフィア)・コソボ(プリシュナ)」「スペイン(バルセロナ)」となっています。加えて、今年はエストニア(タリン)から帰国して1週間しか経たないのにイタリア(ゴリツィア)に行っており、ちょっととんでもないことですが、この二つのヨーロッパ遠征が重なったことには大したエピソードはないので省略いたします。ただ、まずまず海外に行っているのに、実は「国際コンクール」というものについては「畷ジュニア」時代の上海でのコーラスキャンプがややコンペティション的要素も含んでいた、ということくらいであまり経験がありません。そういう意味では「何となく知っているつもりではあったけれど体験するのは初めて」の本格的な海外国際コンクールなのでした。

プラバ少年少女合唱団は、松江のプラバホール(プラバは宍道湖のシンボル=千鳥)に併設して創団された合唱団です。今はホールとは独立した活動をする団体になっておりますが、私との出会いは10年以上前に遡ります。久しぶりに来た宍道湖の魅力に惹かれたこともありますが、コンクールを審査したご縁で何度か練習にお邪魔するようになり、渡邊先生とメンバーの醸し出す何となくおっとりとした雰囲気から「私の居心地の良い場所」として、時々出入りしながら指揮もさせてもらっておりました。練習にお邪魔し、湖北の珈琲館でくつろぎ、カラコロ工房前の珈琲館(最近潰れていた)で詩を書き、時々堀川遊覧船に乗り、時々お城に上がり、時々八雲庵に入り、時々美術館から宍道湖を眺め、珍しいホーランエンヤは見逃さず、気が付いたらワインバーで顔を覚えられている、という状態です。定期演奏会でも何度も客演指揮をさせてもらってもいますが、カワイ出版のオール新作コンサートの第一回目に女声団体として推薦させてもらったのもこの合唱団でした。

さて、自分自身が行くことを想定することなく数年前からプラバ少年少女(お姉さん団体であるピュアブルーベリー)には海外のコンクールかフェスティバルに出演してはどうか、とアドバイスをしておりましたところ、何度か実現しかけたのですが、最終決定には至らず持ち越して来ていました。そしてもろもろの機が熟して、ようやく今回実現に至ったのですが、セギッツィ国際合唱コンクールを選んだのは、私が参加出来る日程と子供たちの夏休み時期を勘案してのことでした。(エストニアとは偶然の一致)

1年前から選曲等は準備をし、この間、何度か松江にもお邪魔して練習をしてきましたが、何せ私がタイトなスケジュールで、エストニアから帰国後のアルティ声楽アンサンブルにプラバに出演してもらって練習を増やし、その後先に子供たちを送り出しました。
子どもたちは京都→USJ→関西空港→ドバイでトランジット→ヴェネツィア観光をしてからゴリツィアの街に向かい、どこでも元気そうでしたが、私は旅程を最短にするために観光は全てカットして(いつもそうなのです…泣)、いささか強行なミュンヘン空港経由トリエステ空港から「へとへとの状態」でゴリツィアの街に入ったのでした

 

「イタリアに行った」と言うと「ミラノですか、ナポリですか、フィレンツェですか?」と聞かれて、「ゴリツィアです」と言っても当惑した顔をされます。何しろイタリアの分厚い観光冊子には5行しか書かれていません。実はスロヴェニアとの国境の街で、現在は自由に行き来出来るのですが、東西冷戦時代には一応緊張感のある場所であったようです。(とは言え行き来していたようですが) セギッツィ(これは人の名前を冠している)国際合唱祭が行われる場所であるゴリツィア自体はイタリアの敷地内ですが、宿泊しているドミトリーはスロヴェニア国境内のノヴァゴリツィアに属しているので、私たちは毎日国境を越えて行き来していたということになります。(バスで往復30分程度ですが)

 

ミュンヘン空港で事前に聞いてたターミナルと違うターミナルに入ったために戸惑い、空港を全力疾走して乗り換えを間に合わせた後、夕方にトリエステ空港に到着してからの私のスケジュールは下記の感じです

●初日:夕方空港からタクシーでゴリツィアに向かいそのまま市役所でのミニ演奏会
 →その後、市役所で簡易なパーティ(ワインが美味しいことに感激)
●2日目:午前練習して午後「コンクール1〜現代音楽カテゴリー」で演奏
 →その後、レストランでのワインにまた感激、そしてイタリアン
●3日目:午前練習して午後「コンクール2〜フォークロアカテゴリー」で演奏
 →その後、喫茶で一人打ち上げビール、そして旅行会社の永田さんとともにゴリツィア城へ唯一の観光(お城の中には音楽博物館もありました)。夜は野外パーティでまたワインを飲みパスタを食べていると「グランプリファイナルに進出出来る団体」として発表される。
●4日目:国境線まで一人で早朝散歩し旅行気分を満喫。午前に教会でミサに参列させてもらい本物の典礼の中で4曲の宗教曲を歌唱する。午後練習して「グランプリコンクール」。
 →結果発表2位+Mauro Chiocci特別賞受賞(団員のシェイちゃんとともに檀上に上がり3位より上であることを知るもその後の英語が分からず、ウクライナの合唱団が大喜びしていたので2位であることは分かったが、特別賞については「一貫して音楽性の高い団体に贈られる賞」のような説明をシェイちゃんから受ける。)
●5日目:早朝4時にドミトリーを後にしミュンヘン空港に飛び立ちました。

  

こうやって振り返ってみると大変なスケジュールっぽく見えるのですが、私はほとんど疲れもストレスも感じることなく、この街でリラックスと集中を繰り返していたように思います。まず、ゴリツィアですが、確かに小さな小さな街ではありますが、生涯の中で再訪したいな、と思うような美しい風景がありました。中世から続く街で、石畳も美しく、街から離れると葡萄畑が広がりワイン農家が美味しいワインを作っています。毎日鳥の声で目覚め、空を眺めて今日の天気を確認し、おいしい空気を吸い、コンクール自体もバカンスのゆったりとした時間の中で開催されていました。

 

また、合唱団が完全に私とは別のところで統制が効いていてメンバーが集中している(渡邊先生の存在)、マネジメントにストレスが全くない(旅行会社の永田さんのお陰)、通訳がしっかりしている(メンバーのシェイちゃんのお陰)、食べ物が美味しい(結構重要、特にドミトリーはスロヴェニアに属し、朝昼晩と大量の新鮮な野菜を出してくれるのでとても助かる)、ワインが美味しい(これも重要、イタリアに入るとノンラベルのイタリアワインが安価で飲める)という条件がすべて揃っていることに加え、やはり海外のコンクールというものが基本的には最初に「交流ありき」「音楽の喜びありき」だからなのだと思います。かつて経験した宝塚国際室内合唱コンクールや、昨年の東京国際合唱コンクールもその水脈を持つものですし、地域からの勝ち上がりの要素を持つJCAのコンクールの構造の持つスポーツ的な緊張感とは別のファクターが支配しているということなのだと思いました。

それにしても20名の中学生(大人2、高校生1含む)たちは本当によく歌ってくれました。現代曲部門の1曲目こそ緊張感の漂う瞬間がありましたが、私が「プリティジャパン」と命名すると、笑顔を大事に愛想良く行動してくれてました。少しリラックスした後のフォークロア部門では会心の演奏が出来たと思いました。(それにしても、各国の合唱団が民族衣装で出てくるのですが、日本の「浴衣」は柄が一人一人違うこともあって、圧倒的に華やかに見えるのですよね!子供たち大人気でした。)もともとグランプリファイナルに進めるとしたら「おまけ」だと思っていたので、カテゴリーの練習を優先し、ファイナルで演奏する曲(グランプリファイナルではいくつか曲を変え、カテゴリーも跨がなくてはならない)は確実に練習不足だったのですが、ファイナル進出決定の翌朝は早朝からよく練習してくれました。 加えて、朝に参列させてもらったミサでは当日演奏するホルストのアベマリアを歌わせてもらったのですが、まさしくそれが日頃の練習の100倍くらい価値ある経験になったとも思います。演奏会ではないので彼女らの演奏にすぐに拍手があるのではなく、地元の人たちが通うミサの祈りのシーンの中でその作法に乗っ取って演奏させてもらったのですが、教会の残響もさることながら目の前のマリア像、一生懸命に祈りをささげる人たち、…そういったシーンが(私も含めて)彼女たちの目に焼き付いたことでしょう。そのあとのコンクールでの演奏は見違えるものになりましたので、うわべの賞以上に中身のある演奏が出来たと確信しております。

 

結果として、彼女たちの頑張りによってグランプリファイナル総合2位の結果を得ることが出来ました。ジュニアやユースのカテゴリーもなく、総合1位のウクライナの合唱団がほぼプロフェッショナルな人たちだったことを考えるとものすごい快挙と言えるでしょう。加えて、Mauro Chiocci賞という特別賞を受賞することが出来ました。これはこのコンクール直近に亡くなってしまった音楽監督の名前を冠した賞で、もちろん私たちが最初の受賞者ということになります。バスで出発する手前に、未亡人がわざわざ私たちを探し、尋ねてきてそのことを伝えてくださり、記念に写真を撮らせて欲しいとおっしゃいました。大変ありがたいことだと深く感じ入りました。 しかしそのような受賞の幸運を上回って価値があったのは、子供たちがインドネシアの合唱団、フィリピンの合唱団はじめたくさんの国の合唱団と交流が持てたことでもあると思います。もちろん比較したり否定するものではありませんが、ともすればシリアス過ぎて神経質過ぎる反応をしてしまうこともある日本のコンクールと比べて、参加団体は皆オープンマインドでフレンドリーでした。同じドミトリーに4か国の合唱団が宿泊していたのですが、子供たちは常に声をかけられ、一緒に歌い、写真に納まっていました。コンクールが最終ゴールになるのではなく、コンクールをきっかけにしていろんな歌が好きになり、人の心が育っていく瞬間を目の当たりにしました。 それでこそ合唱の役割と言えるでしょう。

 
 

1ケ月の中で、「和歌山児童合唱団」「プラバ少年少女合唱団」と中高生たちが、歌を持って海外に行き、外国の合唱団と歌を通して交流する中で、人間として成長していく姿をみました。これは、観光では不可能なことだと思います。歌は言葉を持ち、文化を色濃く背負います。そしてそれを超えて交流するからこそ、中身の濃い国際文化交流が出来ると言えるのではないでしょうか。日本の合唱界におけるウィークポイントと今後の展望を見た気がしましたし、私自身いろんなことに気づかされ、感じさせられた1ケ月となりました。 関係者、応援していただいた皆様に深く感謝です。

P.s
今回の旅での私にとっての大発見はイタリアンコーヒー(エスプレッソ)でした。ドミトリーの自販機を眺めていると親切な掃除のおばさんが、買い方とそれぞれの味の説明を熱心にしてくれたので早速試してみると、小さなカップにほんのちょっと(1センチほど)しか出ないのでした。一人でいたなら「なに、故障か?」と思ったところでしょうが、掃除のおばちゃんは「それで良いんだよ、美味しいよ」という顔で微笑むので、そのまま取り出して飲みました。これが、自販機と思えないほど素晴らしく、しかも私にはちょうど良いサイズで一気に気に入ってしまいました。(もともとコーヒーをがぶ飲みするのが苦手なのです。好きなのですが、たくさん飲めないのでたいてい残す。)
高いものでも65セント、安いものだと35セントです。以後、私はその自販機を通るたびに買ってはひと口こくり!ってしてましたので、4日の滞在にカップが14もたまりました!14杯!
で、最終日、早朝のタクシーが来てから最後の記念にともう一杯コーヒーを飲んで帰ろうとしたのですが、あいにく細かいお金がなく、5ユーロ札を入れたところ、ものすごい勢いで釣銭が小銭で出てきたのです。まるで今まで14杯分の私の小銭を全部1セント、2セントのコインで返してくれるような感じで。私は財布にはとても収まらない100枚くらいのセントコインをそこらへんにあったビニール袋に押し込みながら慌ててタクシーに乗り込んだのでした。「またね、スロヴェニアのイタリアンコーヒーの自販機。でも、このコインは重過ぎる、最後無理して買わなければ良かった…」と心の中で叫びながら。

で、そのコインの行方ですが、トリエステ空港では朝早くからそれを10枚ずつくらい重ねながら、小さなお土産物を何度も買い、売り子のお姉さんに感謝されました。
(※伊東が聞きい取った満面のお姉さんの英語のみなづきみのり風の超訳「…細かいコインばかりだけど金額合ってるわ、パーフェクトよ!。朝だから、いつもお釣りが足りなくて困るところなんだけど、これでお釣りの準備が出来て助かったわ、ありがとう!。今日は良い一日になりそうよ、あなたにもね!良い旅を!」。

ヘルシンキ空港の二の舞にならないようミュンヘンでは不用意に外に出ず空港内で過ごしました。美味しいソーセージとビールでした。2軒目ではビール飲みながら一人なのに寝てしまってました。貴重品はありませんが、あぶないあぶない。心地良い疲れで、夢見てしまっていたのです


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