なにわおとこにあづまおんな
2011.5.20
京都におり、デスクに向かいながら「眩暈がしたか、、やけに長く続く」と思っていたら、あの大震災でした。被害の全貌がまだ見えず、痛ましい映像の流れる中、取り敢えず宮城の合唱団の方等と連絡をとって、無事は確認いたしましたが、即座に入ってきた情報で、ホールに被害のあった翌日の横浜での演奏会(リモーネさんとのジョイントコンサート)は中止と なりました。実は「なにコラ」は敬愛する岸先生の女声合唱団とのジョイ ントコンサートを二日続けて計画しており(していただいており)、その翌日は東京で「舫の会」との演奏会がありました。電力状態が取りざたされる前のタイミングでもあり、この演奏会は逡巡したあげく岸先生のご英断で何とか実施しました。ひとまず不安な気持ちのままに東京に乗り込むと、 前日の帰宅難民状況の反動からか人が誰もおらず、ときどき余震で地下鉄が止まるような状況でした。被災地のことを思うと音楽をしている場合ではないという思いもあり、気持ちが乱れましたが、大学時代から親しんで いた「コルネリウスのレクイエムエテルナム」が繰り返し私の頭の中で反復され、どうしてもその曲から演奏会を始めたく、岸先生にもお願いして、「なにコラ」メンバー10数名で冒頭に祈りを捧げました。
不思議なことに、20年以上ぶりに指揮するのに、楽譜一切なし(私が暗譜で振れる曲は限られているのに)で指揮が出来る状態だったので、よほど私の身体には染み込んだ曲だったのでしょう。(同志社グリークラブとしてはOBに物故者があったり、大学関係の追悼コンサート等では必ず演奏する大事なレパートリーだった)
演奏会チケットもともとチケットが完売していた演奏会ですが、会場にはほぼ満員のお客さんが詰め掛けてくださり、やはりこのタイミングでも音楽が求められていたことを肌で感じることが出来ました。(もちろん、その他の音楽会の動向、行政の指示、ホール側の安全宣言等、諸々の状況を判断されてのこ とでしたが)「なにコラ」メンバーも直接の被害を受けたり、阪神大震災での被災を思い出して心を痛めていたメンバーもおり、予定していた全員がその場に行けたわけではなかったのですが、ステージに立った全員が 「今自分たちに出来ること、音楽に出来ること」を考え、集中度の高い演奏会になったと思います。「舫の会」の演奏も大変気持ちのこもった感動的な演奏内容でした。
終演後、わざわざ駆け寄ってこられ「震災以後テレビでの映像に不安な気持ちと動機が収まらなかったが、八木重吉の詩に付けられた曲(松下耕先生 の「秋の瞳」)を聞くことが出来て、心が落ち着いた。ありがとう」と言ってくださった方がありました。
実際には音楽に出来ることと出来ないことがあると思います。ましてや大勢の人を集めた演奏会ともなると社会性を帯びてきますので、優先順位やタイミング、その場で要求されることに違いもあり、様々な判断があり得ると思います。しかしながら、その日に東京で演奏会を持ったこと(その翌日からは電力等の関係で多くの演奏会が中止となりました)、仲間が様々な気持ちを抱え、音楽の中で表現しようとしたことの中身について、私の記憶にも深 く刻まれる演奏会ともなりました。岸先生と舫の会の皆様にも感謝いたします。
キャンセルとなった「リモーネさんとのジョイントコンサート」はどこかでまた実現させたいものです。
このたびの震災で亡くなられた方々の冥福をお祈りするとともに、被災地が一日も早く復興することを願います。