夏休み、盆船流し
2011.9.6
今年は7月に北海道に行っていたので、母の実家の浜坂にはお盆に行くことになりました。(→いとんとんの夏休み2) 受験期と大学生の頃とその他の例外を除いて、ほぼ毎年母親の実家の浜坂に行っていることになります。何となく砂浜を歩いたり、海に浸からないと(泳ぐとは言わない)、夏を過ごしたという気分にはならないので、毎年隙間を見つけては何とか行っているのです。日本海は7月のほうが波が穏やかなので(クラゲも出ないし)、実はお盆に行くことは私の記憶の中では初めてのことです。鳥取との県境にある「東浜」がいつもの海水浴ポイントですが、いつもは静かな遠浅の砂浜が、さすがにお盆時期ということもあって活気づいていたことにはちょっと衝撃を受けました。静か過ぎると賑わってほしいと思うし、賑わい過ぎていると、もう少し人出が少ないほうが良いのに…とか思ってしまいます。
さて、昨年祖母が100歳で天寿を全うしたこともあって、夜にはちょうど初盆を迎えた人の盆船流しをするということで見に行きました。よく考えてみると、その日は京都の大文字の日でしたが、大文字は子どもの頃から大好きな行事だったので、それを見なかったことは私の生涯の中で3度目くらいのことだと思います。変わりに盆船を見送ることにいたしました。岸田川の河口から灯篭を乗せた小さな船を流して、をれを見守りながら亡き人を偲びます。人は誰かの気持ちの中に生き、誰かの気持ちの中に蘇えるものでしょうか、どちらも逝く夏を思わせます。はかない感じ…、思い思われることの大切な感じ…、わずかばかりの落ち着いた時間を過ごすことが出来ました。