「アタラント号」
ジャン・ヴィゴ(1934年/仏)
水の中で目を開くと恋人の姿が見える・・・「アタラント号」はその台詞の通り幻想的で、優しさに満ち溢れた作品だった。この作品はもう50年も前に作られ、トリュフォーらヌーベルバーグの作家からは神聖視された幻の傑作である。詩的で、美しく、叙情豊かな映像はセーヌを流れる小船の揺れにも似た穏やかな表情を持つ。それは決して作られたパリのロマンチシズムでもなければ、安易な情緒 を導き出すものでもない。系統的に言えばジュリアン・デュビビエ流の作為的なメロドラマとは対角線上にあるといえるのではないだろうか。
内容は、結婚したての若い船乗りが小さないさかいから妻と別れ別れになるが、 結局元の鞘におさまる・・という他愛のないものである。しかし、画面から導き出される叙情のなんと瑞々しく、暖かなことか・・カメラは空気や水の感触や船の揺れや、パリの気温や天候までも表出し、二人の間に起こる些細な感情の起伏 をこれ以上に無い分かり易さで我々に伝えてくれる。映像は説話的な機能より、 言葉にならない感情を表出するメディアであるということを痛切に感じさせてく れるのである。
相手を思い身悶えする映像・・一人彷徨うパリの街の肌寒さ・・なまめかしささえ感じる水中撮影・・映像はどこをとっても愛情に満ちている。「目を開く」という作為の無い行為は、実はこんなにも幻想的で素敵なことだったのだ・・。まさに、その行為から世界は始まっているんだ・・溢れ出るような優しさと共に、 映画はそう感じさせてくれた。29歳で世を去った夭逝の詩人の瞳は、かげり無く透き通っているようだった。